最終話 帰郷
魔獣による王都・ナフル領襲撃、及びヒサール領悪魔出現事件の2か月後、事件の当事者たちはシャマル王宮に集っていた。
今日ここで、事件の首謀者たちへの処遇が決定することになっていた。裁判所に集まった人々は誰もかれもが気まずい笑顔で挨拶して黙り込む。
「閣下、魔女様」
そんな中、懐かしい声に呼ばれて廊下でヒサール領の2人は立ち止まった。監視を傍につけて首謀者側の控室に行こうとしていた黒髪の青年が笑っている。
ナーヒヤール・ボーカード、否、ナーヒヤール・ナナマン青年である。今のナーヒヤールの右目にはきちんとした義眼が入っているのだが、本人が10年付き合った顔とのギャップに戸惑い、いまだに眼帯を付けていた。
実に2か月ぶりの再会に盟友たちは目を見開いて感じ入ったような顔をしたので、これから被告席に座る青年は眉をハの字にして笑って近況を尋ねた。
「お久しぶりです、お2人とも、もう毛先の変色も戻ったんですね。ヒサールはあれからどうですか?」
「建物の修復もほとんど終わって、もういつも通りだ。皆お前の話を聞きたがって寂しがっている」
ヒサール領主の言葉に、ナーヒヤールは金色の隻眼を細めて笑う。
「もちろん俺も、とても寂しい」
しかし、その笑みも明け透けな盟友の言葉で照れにかわる。
「……髪、だいぶ伸びたんですね」
魔女はナーヒヤールの気をそらしてやるようにそう言って、彼の鴉の濡れ羽のような髪を見つめている。愛おしいと伝える時の眼差しにナーヒヤールは瞳を潤ませた。感情を隠しもしないのはアドラフェルもアウレーシャも変わらない。
「せっかくだから伸ばそうかなと思っています」
そう返事すると素敵だ、と盟友たちは迷いなく言う。その言葉に嘘偽りがないことをナーヒヤールは誰よりも知っていた。
悪魔を倒した後、ヒサール領及び関係各所は戦闘で破壊された建造物の修復や被害を受けた者への補填、王国府への報告、防衛局と司法局の取り調べや各種調査への協力など、混乱と多忙を極めた。ただ、負傷者はいたものの死者は一人も出なかったのは何よりの幸いだった。
そういった後処理の中で、ナーヒヤールは今回の首謀者の一員としてこの2か月間、王国府に留まって取り調べを受ける立場であった。実際には魔界召喚そのものを阻止したことへの功績や、最後の悪魔討伐などの功績もあるのだが、世間に対する体裁というのもある。何よりナーヒヤール自身が望んだことだった。
空に浮かんでいた魔法陣が一時は王国府にまで届くほどの大きさになったこと、悪魔の出現を誰もが肌で感じ取っていたことなどもあり、王都に住む一般の人々もこの事件の顛末を知りたがった。王国から発行される官報に悪魔の出現と、それがヒサール公爵、野蛮令嬢こと魔女アウレーシャ・バルワ、ヒサール領主および秘書官見習いナーヒヤール・ボーカードによって倒されたことが記され、人々の話題をかっさらった。こと、防衛局大臣と王国府の使者による戦闘の詳細なメモは全文が掲載され、野蛮令嬢の戦いぶりは人々に知れ渡るところになった。
確かに野蛮は野蛮だが、しかして炎で悪魔を滅したのなら炎滅令嬢の方が通りもよかろう、とどこかの話好きが言ったのがすっかり社交界に馴染んだらしい。そんな話が、王都から離れたヒサールにまで聞こえてきた。
本人はやっぱり「どんなあだ名でも構いません」とさっぱりとした顔で笑っていた。
裁判所内に人々が集まると、国王と宰相、司法局大臣とスタッフたち、そして今回の首謀者とされる一団が入って来る。裁判と言っても、ここで議論をし、物証を出すわけではない。ここまでの各局による調査の結果として司法局が下した最終的な決定を告げられるのである。しかしそれも国王の一声で沙汰が変わる可能性があるので、処分の予想はつきにくい。そのため、法廷内に集った人々はぎこちない表情をしていた。
まず最初に、2人の少年少女の名前が呼ばれた。まだ10代後半の子供らは、あの本泥棒のうち、自死を図った二人組だ。今はすっかり元気になっているらしい。
彼らは目を覚ますと、面通しのために傍にいた両親に抱き着いてわんわん泣いたのだそうだ。そして、行方不明になってから何があったのかをつまびらかに語った。
「貴殿らはむしろ、遊びに出たところを言葉巧みに誘われ実質的に誘拐され、事件の片棒を担がされたという意味で完全な被害者である。また、髪の毛の色を操作し身元を偽り家族などに見つからないようにするため、魔獣の臓器を無理やり入れられ身体もかなり傷ついている。保証を出すので療養に励むように」
はい、と明るく返事した少年少女はイスに座る際に、ナーヒヤールにヒラヒラと手を振って笑った。
「この2人への対応は、ナーヒヤール・ナナマン、貴殿には当てはまることだ」
司法局大臣の言葉にアウレーシャとアドラフェルは互いに顔を見合わせてほっと息をつく。
「今回の事件は、シャマル王国への反乱であるのと同時に、ヒサール領を貶める意図があったのは明らかである。この二つの要素を結びつけたのがあのナフル領に出現した人型魔獣に仕込まれていた分霊箱である」
「間違いありません。僕があれを持ち出し、行き倒れた僕を拾ってくれたシラト・ボーカードを信頼し預けてしまったものです」
眼帯に覆われた顔は真っすぐに大臣を見つめて言う。
「10年前、僕がその箱を差し出さなければ、すくなくともヒサール領とアドラフェル卿、そしてそのお父上がこれほどまでの不名誉をこうむり、騒ぎに巻き込まれることは無かったでしょう。そして結果として、旧き家系による、より徹底した反逆を成功の一歩手前まで導いてしまいました」
言い訳のしようもありません、とボーカード家の養子だった青年は傍聴席に座る現ヒサール公爵に深く頭を下げた。
「お力になるどころか、むしろお味方でいるというあの時の約束を裏切ってしまった」
苦しげな盟友の声に、アドラフェルは寂しげに笑って首を横に振る。子供ゆえの無力さを抱えながらも選んだその時の最善の行動を恥じてほしくはなかった。
ボーカード家の養子は司法局大臣に向き直った。
「いずれにせよ、僕には責任があるのだから、この事件は僕自身の手で終わらせるべきでした。しかし僕はシラトの考えを見抜けず、力も及ばなかった。結果として皆様の手を煩わせてしまったことについて、謝罪のしようもございません」
特にアウレーシャ嬢、と呼び掛けて今度はアウレーシャを振り返る。
「僕がシラトの次善策を見抜けなかったばかりに、魔女の称号を持つあなたには悪魔を相手取るという命懸けの戦いを強いることになりました。これもまた、お味方でいると誓った者の所業ではありません」
アウレーシャもまた首を横に振ってほほ笑む。戦ったのは間違いなく彼女の意志だ。盟友を守りたくて、盟友に自分の一番凛々しくて素晴らしいところを見てほしくて駆けて行った。ただの彼女のわがままなのだ。
司法局大臣はフム、と首をひねった。
「しかし、ナーヒヤール・ナナマン、失踪当時の貴殿は12歳、まだ子供だ。目玉を抜かれたことで当時の貴殿は両親が成すことを恐れて家から逃げ、かといって拾われた家では“拾ってやったのだから”と弱みを握られ、分霊箱を奪われ、逃げるべき場所も帰るべき場所も失ったた、ただの子供だ。子供の幼さゆえの間違いや無力を裁くのは、司法局にはあまりに荷が重い。裁かれるのは大人であるべきだ」
ナーヒヤール・ナナマンはぎゅ、と拳を握った。
「ましてや、話を聞くに拷問を受け、暴力を伴う躾を受けたとあっては抵抗するのも難しかっただろう。……身体に刻みついた恐怖と言うものはなかなか癒えないものだ。また、貴殿は後年自らと同じように半強制的にボーカード家とイダ家の計画に参加させられた先の2人を庇っていたとも聞く。それは間違いなく貴殿の美徳である」
司法局大臣の言葉を聞きながら、アウレーシャは以前ナーヒャの友人が言っていたことを思い出す。どんな暗い場所でもどんな苦しい時でもいつも想っている、それがどんな気持ちで出てきた言葉だったのか、今なら分かる。
「ただ唯一、貴殿がもう少し早く、あるいは瘴気の穴に近づく直前に、周囲の者と協力して彼らを取り押さえれば今回のような事態にはならなかったのではなかったか、という点は指摘すべきだ」
まったくだ、と盟友たちは呟く。もっと早く、困っていると言ってほしかった。
「よって、ナーヒヤール・ナナマン。貴殿は今後3年間、ヒサール公爵と王国府魔術戦闘特別顧問の監視下にて過ごすものとする。なお、3年間は王国府に対し監視レポートが提出されるのでそのつもりでいるように」
実質的な無罪放免。
その結果に目を丸くしたのは証言台に立つ本人だけだ。傍聴席の盟友たちは小さくハイタッチし、その横に座ったザマン秘書官がそれを小声で咎めた。
「さらにこれに引き続いて申し渡す。ナナマン家夫妻は今後20年間ナーヒヤール・ナナマンに会うこと、言葉を交わすことを禁じる」
傍聴席に座っていた黒衣の夫婦がせわしなく立ち上がる。
「あの狩猟会にいた子がナーヒャだなんて、思いもしなかったんです!」
「私たちが最後に見たあの子はまだ黒髪だったから……せめて一度だけでも、話を」
悲鳴じみた声を上げる父親にも目に涙をため始める母親にも、司法局大臣は淡々と、しかしきっぱりと言い切った。
「あなた方はきっと、魔法石をはめ込まれたことで息子の髪色が変化し始めていることを見逃したのだ」
そもそも、と大臣は話を続ける。
「今回の一件の発端のひとつが、貴殿らが作った分霊箱が外に出てしまったことにあるのは明らかだ。だがそれが外に出た原因は、貴殿らの息子への愛情がその子本人にとっては恐怖でしかなかった、ということだ。子供が何を求めているか、親にどんな目を向けているのか、貴殿らは見逃していた」
夫妻はハンカチを握りしめ、唇をかんでいる。
「それが、子供が命すら顧みず家を飛び出すという行為につながった。本来子供にとって最も安心できる場所であるべき家や親がそうはならなかったことについて、貴殿らはよく考えるべきである。そして、10年の時を経てあの時と違う人間になった子供の行く先を遠くから見守ると良い」
夫婦は力なくイスに座り込んだ。証言台に立つ間も、そして自身の椅子に戻る間も、ナナマン家の一人息子が生みの親たちを振り返ることは無かった。
司法局はひとつひとつ、立場やかかわりの度合いごとに人々を読んでその処分を言い渡す。
順番がやってきて、証言台に立ったカレーナ・イダとレパーサ・イダはいつもと変わらず明朗快活な喋りと鋭いまなざしに、落ち着いた年相応の色気を備え、けれど今日はどこかつきものの落ちたような顔をしていた。
イダ家当主代理の双子は、10年間の計画を支え続けたあのローブ姿の者たちが元は東方独立未遂事件に協力して財産や爵位を失った旧き家系の幼い生き残りや、そこで働いていた者たちだったことを実に堂々とした態度で改めて告げた。生き方のわからない子供たちを養い、あるいは謀反人の家に勤めていた者を好んで雇おうとする者は当時ほとんどいなかったのだ。
路頭に迷う彼らの手を引いたことで計画が進んだのと同時に、隠れ蓑としてイダ家の稼業に従事させたことで結果としてイダ家の畜産業はこれまでにない利益を叩きだすことになった。
「貴殿らは今回の事件において、あわや国一つ、場合によっては大陸一つを吹き飛ばすほどの所業を成そうとしたが、それに失敗した。失敗の最大の原因は何であると考えているか」
そう問われて、イダ家の姉弟は振り返って妹分だった少女を見つめる。
「結局のところ、ボクたちが」
「アウレーシャにはどうやっても勝てなかったことですわ」
昔なじみの双子は肩をすくめて見せた。
「後悔はあるか?」
「ありませんわ。10年かけて準備をし、分霊箱を埋め込んだ魔獣の操縦テストとして4か月ほど前から魔獣を動かして、ぶっつけ本番だったあの人型魔獣の稼働にも成功した。中央の疑いをヒサールに向けることにも成功した」
「準備期間中は、稼業も領地運営もさぼらなかった。やりたいこととやるべきことを全て全力でこなして失敗したのだから、言い訳はしない」
堂々とした問答を聞きながら、アウレーシャは僅かに顔をしかめた。どれだけ2人のやり方や態度が気に食わないと思っても、こういうところに滲む旧き家系らしい気高さが好きだった。それを今思い出したからだ。
「そうか……では、処分を言い渡す。貴殿らにはこれより東方辺境領にてその生涯をかけて旧き家系が受け継ぐ知識をまとめて書籍を作ることを命じる」
誰もが唖然とした。無罪放免、とまでは行かないがそれでも想像していた処分よりも随分軽い。防衛局大臣がなぜだ、と声を上げるのも無理からぬことである。
「余が頼んだ」
そう言って、一番高いところにある椅子に腰かけていた老人が立ち上がった。
起立した国王に倣って、その場にいた者の全てが立ち上がって礼をした。
「此度の事件で、我々は知識の有用性を思い知らされた。呪術の知識、旧き家系の持つ知識、魔王時代の知識、そういう今時代には見向きもされない知識を用いて起きた事件であるのと同時に、魔女殿やヒサール公、あるいは魔獣調査班長ネリネらにそういう知識があったからこそ最悪の事態を防ぐことができた、とも思っている」
言いながら、国王はゆっくり階段を降り、警護の兵の反対を押し切ってイダ家姉弟の前まで歩み寄った。
「ムムッタ家の子供のことを、余は今でも夢に見る。処刑台に立たされる前の子供のあの顔だ。それを思い出して眠れない日も多い。……いまさら言えた義理ではないがな」
自嘲気味に言う国王に、当然です、とカレーナは鼻で笑う。
「あの子の死の責任は、余とムムッタ当主とおぬしらと、三方で山分けだ」
光栄だ、と皮肉たっぷりにレパーサは肩をすくめる。
「故に、余もこの件に関しては共に罰を受ける。すなはち、最期まで生きることだ」
イダ家の姉弟は王を睨むが、さすがに50年間玉座に座り続けた男はひるむ様子も見せずに行った。
「自責の念に駆られ、やり直せないことを嘆き、無力さと不安に苦しみ、眠れぬ夜を幾千と超え、それでも生き続けるのだ。死ぬことならいつでもできる、殺すこともいつでもできる。だが後世のため、いつか役に立つかも知れない社会全体への保険として知識を遺すことは、生きている間しか出来んのだ」
お優しいことで、とレパーサが言うと、どこが、と王は嘲笑に近い笑みを浮かべる。柔和な国王が公の場で初めて見せる笑い方だった。
「おぬしらを冥府の客として遊ばせる気はない、と言っているのだ」
そのまま続けて国王がシラト・ボーカードの名を呼んだ。
シラトは議論をする気はないようだったが、養子だったナーヒヤールやイダ家について供述を求められた時には存外素直に喋った。
「ナーヒヤールは、一番優秀で育て甲斐のある弟子だった。楽器を教えても外国語を教えても武術を教えても、一定のラインまであっという間にマスターしちまう。……おめぇの辛抱強さには参ったよ。裏切者の汚名を着てでも自分一人で解決するつもりだったなんてな」
そう言って笑う彼は、歪ながらも親の顔をしていて、元養い子は顔をしかめる。
「オレの教えも良く守っていた。不意打ちは、相手が勝利を確信して油断したその瞬間ってな」
妙に優しいその声に、養い子は顔を伏せて「だから嫌いなんだよ」と小さく悪態つく。
「父様よりもよほど父親みたいだったから」
その声に司法大臣はゆっくりと目を伏せ、すぐに表情を切り替えてシラトに再び問いかけた。
「イダ家については?」
「ご近所のよしみだ。……呪術を嫌いながらも、誰も見向きもしなかった我がボーカード家の呪術研究に敬意を示してくれた唯一の存在だ」
裏切れるかよ、とシラトは低い声で言った。
国王は静かな声で沙汰を告げた。
「シラト・ボーカード、貴殿は児童への虐待などの件もある。北方の国王府直轄地で傷をいやしながら呪術に関する本を完成させよ」
イダ家姉弟の盟友は、腕と足を片方ずつ失った身体でぎこちなく頭を下げた。
***
「良かったじゃない、アウレーシャ。俊英騎士の称号に、名誉貴族の称号だなんて。お給金も年金も出て、ついでに死ぬまで爵位が保証されて良いことづくめね」
全ての処分と処遇が言い渡され、ヒサールに戻ろうとしたアウレーシャたちの目の前に現れた緋色の髪の女はにっこりと笑ってそう言った。
悪魔と倒したことに対して、一騎当千の戦士として送られた俊英騎士の称号と、民を守るために王国府からの命令を無視しがちだった姿勢を評価されて贈られた名誉貴族の称号は、アウレーシャ以外にもヒサール公、ナーヒヤール、そしてエリエッタにも授けられた。ちなみにエリエッタはあの戦いの後、アドラフェルに褒められるというよりも深く感謝され、涙を流して喜んでいた。
良かったわねぇ、と猫なで声で言う見覚えのない緋色の髪の婦人にアドラフェルとナーヒヤールは首をひねっていたが、アウレーシャとザマンはわずかに顔をしかめた。この女が誰であるかを知っているからだ。
「心にもないことを」
吐き捨てるような娘の言葉にも、女は別段憤慨しない。あだ名は炎滅令嬢よりも野蛮令嬢の方が良いとか、そんなことを言って笑っている。
「それで、なんの御用事で? ご当主……いえ、それともお母様と呼んだほうがよろしい?」
アウレーシャが不機嫌を隠しもしない声色で言うと、アドラフェルとナーヒヤールは目を点にした。娘の年齢を考えれば50を越そうかという年齢であるはずだが、目の前の婦人はそうは見えないほど若々しかった。
「ご当主、あなた、私に興味も用事も無いしょう?」
「そんなことないわよぉ」
バルワ家の当主はケタケタ笑ってから親指にはまっていた指輪を引き抜いた。金の輪に大きな赤い宝石が取り付けられた豪奢な指輪である。
「あなたにバルワ家当主の座を譲ろうかと思って」
私これから家を空けるから、と軽い調子で言って当主の証である指輪を娘に投げてよこした。
「どういうことですか」
娘が指輪をキャッチしながら唸って問えば、旧き家系当主はニコリと笑った。
「あなた、ようやく魔界の魔法が使えるようになったみたいだから。あなたをあの防衛局大臣の妹に預けた甲斐があったということかしら」
何でもないことのように言われ、アウレーシャは絶句する。
「私ってば魔法の使い方を教わったことがないし、人に教えるのも苦手なのよねぇ。だからあなたをあの狩猟王がいる大修道院に入れるにはどうしたらいいのかなーって考えたの」
無邪気に笑う母親に、娘は怒鳴る。
「私が処刑される可能性を考えなかったのですか!」
まさか、と旧き家系の当主はきゃらきゃら笑う。
「まだ12歳の子供を処刑したなんて、あの陛下がそれを恥としないわけがないじゃない。よほどのことが無ければ宝物塔を壊しただけのあなたを処刑するなんてあるはずないわ」
「よほどのことが起こる可能性は考えなかったのですか」
苛立ったような娘の言葉に、天才の擬人化とも言うべき女は威厳ある声で答えた。
「考えてないわよ。死ねと言われて大人しく死を受け入れるような者に、守れるものも貫けるものも無いわ」
話がそれたわね、とバルワ家の当主は軽やかに言った。
「旧き家系はそれぞれ一つずつ専門の研究分野を持ってるけど、バルワ家は人体に負担をかけないまま瘴気を取り込んで魔界の魔法を使う方法を探ること」
そろそろ魔界で実地訓練をしたくて、と笑った彼女は手のひらに緋色の炎を灯した。同時にその緋色の髪の端が黒く変色する。体内に瘴気を保有している証拠だった。
「魔界に行くし、心機一転、当主の座を降りてあなたに譲ろうと思って。もともとこだわりがあるわけじゃないし」
言葉を失う若人たちに、パッと炎を消したバルワ家当主は「それじゃあねん」とふざけた口調で言って手を振り、自身の馬車へと歩いていく。独り言のつもりなのか、「イダ家も力を振るいたいなら一人で魔界に行けばよかったのに」と言っている声が妙によく聞こえた。
アウレーシャはナーヒヤールやアドラフェル、ザマンと顔を見合わせて首を横に振る。怒りと言うよりも呆れが先行していた。新しく当主になった女は手の中で豪奢な指輪を転がしてからため息をつき、笑って言った。
「帰りましょうか、ヒサールに」
***
「……帰れるんですね、ヒサールに」
天馬の引く馬車から星形城塞の街を見つめて、ナーヒヤールは声を震わせた。
「ああ、帰ってきたんだ。俺たちのヒサールに」
「私たち、これからも一緒にいられるよ」
アドラフェルとアウレーシャはその背を抱き寄せて撫でて言ってやる。
「そうだな。それで……これからもアウリーと一緒に俺を支えてくれると嬉しい」
「もちろんです。僕もこれからもずっと、お二人の味方でいます。困っていたら必ず助けます」
「私も、約束する。2人が困っていたら必ず助けて、いつでも味方でいるよ」
差し出した手を握り合い、その熱を確かめ合う。赤と青と金、5つの瞳は星のように輝いて細められ、ジワリと涙があふれだした。
その様子をザマンは静かにほほ笑んで見守る。外からはわぁわぁと賑やかな声が聞こえている。3人が窓を開けて下を見ると、ヒサール大門の傍に人々が押し掛けていた。
「領主様の馬車だ!」
「閣下、おかえりなさい!」
「魔女様、お帰りなさーい!」
「お嬢ちゃん、今度魔法教室やってくれよ!」
「あ、ナーヒヤールくんだよ!」
「おお、あの若いの帰ってこれたか。良かったなぁ」
「当然よ、あんだけ頑張って戦ってたんだから」
3人は顔を見合わせて、笑いながら目下の人々に手を振って言った。
「ただいま!」




