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22話 終わりの鐘が響く

「王国府魔術戦闘特別顧問殿、貴官は自身の立場を分かっているのか?」

 ヒサール領とナフル領の境にあるヒサール大門の前に敷かれた陣の中で、王国府防衛局大臣は黒い官服に身を包んだ魔女を睨んだ。


「貴官はヒサール公を王国府に出頭するよう説得するのが役目であろう。それを投げ出すとは王国府への反逆の意志ありということか? これだから旧き家系は」

「我が血脈は関係ありません」

「ならばなおタチが悪い」

「分からない方ですね、私はただヒサール公爵閣下のご提案は筋が通っていると思ったからそちらを支持しているだけです!」

 ぶわりと深紅の髪が宙に浮く。野蛮令嬢バーバリアーナが、と苛立ったように防衛局大臣は悪態をつく。 


 王国府の全権大使の要請でナフル領からヒサール領の手前まで移動した大臣らは不承不承で交渉の席についていた。


「なるほど確かにヒサール公爵の言い分は筋が通っている。だが話はそれ以前の問題なのだ。使者殿もなぜこんな話に頷いた」

 陛下の御旗を持っていなければこんな交渉は端から断っていた、と荒っぽく言って防衛局大臣は腕を組む。その態度にさすがの王国府からの全権大使も鼻白んだようだった。

 いかにも頑固者といった還暦の大臣はやや頑迷な部分はあれど、王国府騎士団団長や警邏室長などを歴任した戦士であり実務家でもある。まだ10代になって間もない頃にシャマル王家に忠誠を誓った王国府重鎮きっての忠臣として知られる。


「たしかにイダ領も魔獣改造ができるということで今回の捜査対象になっている。だが疑いがかかっているのはヒサールも同じことだ。『魔王城大全』の悪用を防ぐために襲撃事件の首謀者をヒサールから遠ざける、それはお前たちも同じ考えなのだろう。ならば我ら王国府は首謀者候補であるイダ家にもアドラフェル卿にも等しくその対応を適応する、それだけのことだ」


「しかしこの一件、ナナマン家の事情も聴かねば正確な判断はできないでしょう。それにヒサール公爵閣下が嘘を言っているとはどうにも私には思えない。魔女殿も、です。昂りを抑えることも忘れて髪も瞳も魔力の色に輝かせる実直なこの二人を見ているとどうにも」

 王国府の旗を携えた使者は肩をすくめる。いかにも陛下のおっしゃりそうなことだ、と顔には出さず防衛局大臣は内心で舌打ちする。いずれにせよ王の代理としてこの場にいる使者の意見を軽んじることは不可能だった。しかし返答期限を延ばす交渉に入るのも不服で、大臣は若人わこうどに視線を向けて言った。


「ヒサール公はともかく魔女殿、貴官は時に感情が先走りすぎる。そうも正直では交渉の場に立ったとて不利になるばかりだぞ。それがいずれ文字通りの命取りになるとも限らん」

「……ご忠告に感謝いたします」


 敵対的なのか親切なのか分からない、と戸惑いながらもアウレーシャは頭を下げる。深紅の髪はすっかりおとなしくなっていた。

 忠告は彼女自身、自覚のあることではあった。彼女の激情は時に理性の静止を受け入れずに体すら動かしてしまう。しかしそれによって彼女が魔女の称号を帯び、盟友を助けることに成功したのも事実だ。


「思えば、先代ヒサール公もフレイヤ嬢もそういうところがあった。一度こうと決めれば言葉にするよりも早く行動に起こす。我々首脳陣が抑えられなかったフレイヤ嬢への誹謗中傷は、結局彼女自身の行いによって緩和されたが……」

 沈痛な面持ちになった防衛局大臣はその息子をじっと見つめ、しかしすぐに表情を切り替える。


「それにしても、こんな重要な場にザマン秘書官がおらんとはな。そちらの若い眼帯のは見習いだったか?」

 大臣の視線を受けて、ヒサール公の後ろに控えていたナーヒヤール・ボーカードはくちびるの端を持ち上げ黙って恭しく一礼した。


「話がそれた。回答の期限を延ばす、というがいつを目安にしているのだ。そして警告する、魔術戦闘特別顧問殿、貴官の言動はその任から大いに逸脱している。その言動を改めないのであれば」

 そこで大臣が言葉を切った。空を見上げる。それはアドラフェルやアウレーシャ、大使やナーヒヤールも同じだった。


「何か……大きな魔力が」

「伏せてッ!」

 アウレーシャはとっさに炎を打ち上げる。明け方の空へ駆けあがる赤い光は空を飛ぶ翼を打ち落とした。

「魔獣か……?」

 黒い煙を上げて地に落ちるその影をもっとよく見ようと目を凝らすアドラフェルの傍にいたナーヒヤールが目を見張る。そしてアドラフェルとアウレーシャの手を握った。

 金色の隻眼がきらきらと輝きながら、彼らを見つめて明るい声で言った。


「アウレーシャ嬢、アドラフェル卿、これにておさらばです!」

 そう言うや否や、微笑んだナーヒヤールは猛然と陣を駆け出ていく。


「……は?」

「何?」

「おい、どういうことだ。あの秘書官見習いはどうしたのだ」

「公爵閣下、これは一体……」

 防衛局大臣と王国府の使者がアドラフェルとアウレーシャに問いかけるが、当の本人たちも訳が分からない。何の前ぶりもなく今生の別れとばかりに挨拶し小さくなっていくナーヒヤールの背を唖然と見つめる。


「あの見習い、ヒサール城に向かったのか?」

 ヒサール城の方向に向かって駆けていく青年に首をひねる大臣だったが、その肩を使者が突如激しく叩いた。うっとおしげな顔をした大臣だったが、自分と180度真逆を見ている使者の視線の先をたどると困惑をあらわにした。

「あれは魔獣の……大群か?!」


 魔獣の群れである。大きなもの、小さなもの、あらゆる魔獣が波のようにヒサール大門を目指して突進してきていた。陣の外で護衛にあたっていた兵士たちはひきつった呼吸を繰り返し、ガクガクと足を震わせている。

 ヒサール領主はヒサール大門に控える騎士グラッドに叫んだ。

「鐘をならせ! 変則八点鍾へんそくはってんしょうを鳴らせ!」


 若い騎士はすぐさま馬に乗ろうとするが、人間がそうであるのと同じように馬もまた圧倒的な量で押し迫る魔獣の大群におびえ、人間の手を振り払ってヒサールの砦に向かって逃げていく。騎士が愕然としたのも一瞬だった。すぐさま馬を追うように自らも駆け出し、口を開いた。


「魔獣、魔獣襲来! 避難を急げ! 変則八点鍾を鳴らせ! 魔獣、魔獣襲来! 避難を急げ!」

 その声が街中のいたるところに等しく響き渡った。グラッドが生まれ持つ、大声の魔法である。それに揺らされて領内は次第に騒がしくなり、せわしなく独特なリズムで鐘が鳴り響く。だがそれだけで人々に状況が伝わったと安心している暇はない。アウレーシャは魔女の杖を握って防衛局大臣に声をかけた。


「大臣閣下、ヒサール大門を中心に防護を! 魔獣殲滅は私が行います!」

「おい、何を!」

「大臣殿、俺からも頼む。使者殿は大臣の傍に。魔女殿、ここは任せる!」

「お早く城へ、閣下!」


 アウレーシャは、馬を勇気づけて城へと駆けるアドラフェルに振り向きもしない。真っ赤な髪をなびかせて魔獣の群れに突っ込んいく。杖の一振りのもとに巻き上がった炎で弱い魔獣は既に倒れ始めている。


(見習い殿のことは気になるけど、それはアディに任せる。私の役目は騎士団の配置が終わるまでになるべく魔獣の数を減らすこと)

 魔女が燭台のような形をした杖を逆さにして足をかけ、ヒサール砦と同じ高さに浮きあがる。そのまま高度を上げて魔獣の群れが集う地上を視界に収めた。


(この状況は……まずい!) 

 事態を把握した魔女は顔を青くし、左手で炎の鳥を2羽作り出す。

(襲撃はヒサール大門方面だけじゃない。両側面にも!)

 同じような襲撃部隊が地を駆け、北門と南門にも向かっていた。

(しかも大臣の魔力障壁がそこまでわずかに届ききっていない!)

 決して大臣が無力なのではない。そもそも余人であればこの巨大な街の大部分を囲む障壁を作り上げることすら不可能だろう。生まれ持った強大な魔力と長年の経験で培われた技術で、体内の魔力を練り上げて完成度の高い魔法を展開している。


 2羽の炎はそれぞれが襲撃部隊を足止めすべく南北に分かれて飛んでいく。大臣の魔力障壁の隙間を潜り抜けようとしたものたちに燃え盛るくちばしが突っ込むと、炎が広がって赤々とあたりを照らした。


(南北の敵勢力は人形の大群? そういえばあの呪術の本に人形を使った技があった)

 何はともあれ南北のがら空きになった箇所への第1陣の攻撃を防げたことに、アウレーシャはほっと息をつき目下の魔獣たちに炎をけしかける。

「炎よ!」


 魔女の詠唱コールが響いたのと、南北で爆発音がしたのは同時だった。そのまま連鎖的に、鐘の音すらかき消すほどのドォンという音が3つ4つと響く。その衝撃に地が揺れたかと思うと黒煙が上がった。にわかに地上が騒がしくなる。地上にいる防衛局大臣は音のした方へ偵察兵を走らせたらしい。


 ヒュ、とアウレーシャの下方で空を切る音がした。視線を向ければ、彼女の足の下を巨大な鳥型魔獣の隊列が飛んでいく。途中で二手に分かれて南北の黒煙の方に向かって飛んでいく巨大怪鳥たちの上に黒いローブを羽織った人間を見出した時、彼女は己の失策に気づいた。

「しまったッ」


 彼らを打ち落とそうと炎の球を作り上げてけしかけるが、ゴウと烈風が吹き付けて狙いが逸れ、アウレーシャ自身もバランスを崩した。一方で鳥型魔獣に乗った一団は風に乗ってスピードを上げ、黒煙を目印に魔力障壁の切れ目を通ってヒサール領内に侵入した。

(あの人形が撃破されることは想定内か!)


 魔女は杖を握る手に力を込めてヒサール領内に向かおうとするが、引き留めるように再び強い風が吹いた。


 アウレーシャは唇を噛み、胸元を撫でて地上に降りた。彼ら(・・)を相手取るのに空中ではあまりに不利だと感じたからだった。


「お姿を見せたらいかがですか」

 木々に囲まれた小道に立って魔女は朗々と声を響かせる。

「まさか私相手に魔法を使って正体を隠せるなどと思ってはいらっしゃらないでしょう?」

 彼ら(・・)は木々の陰から抜け出して黒いローブを羽織った姿でアウレーシャの前に現れる。

「ねえ、カレーナお姉さま、レパーサお兄さま」


 ローブを脱いで現れたのは、アウレーシャの姉弟分であった。

「思ったよりも落ち着いているのね、アウレーシャ」

「泣いてくれるかと思ったんだけどなぁ」


 いつものように気安い口調で言って、肩をすくめて笑う顔は堂々としていて色気を備え、しかし同時に親しみやすさもある。いつもの変わらないイダ家の姉弟だった。


「……信じたくはありませんでしたが、ナフル領の夜から覚悟していたことです」

 アウレーシャは言い切って杖を構える。

「私の道を妨げるというのならそれが誰であっても押し通るまで」


 燭台の先端で炎が燃え盛り、その言葉が真実だと証明する。しかしイダ家の2人はいつもの調子で甘えたような声を上げた。

「待って、わたくしたちアウレーシャとお話がしたくて来たんですの!」

「そうだよ、僕らアウレーシャ嬢と一緒にいたいんだ。それに今ならまだ間に合う!」


 イダ家姉弟の昔なじみはその物言いに顔をしかめる。彼女の知っているカレーナとレパーサは聡明な人物である。社交界での旧き家系への白い目すら乗りこなし、一定の存在感を保ち、イダ家の畜産業が充分な利益を上げているのは実質的な運営者である彼ら双子の優秀さの証明といって差支えない。


 だが今のこの物分かりの悪さはなんだ。

「間に合うも何もないでしょう」

 アウレーシャの声はわずかに苛立った調子になる。それに気づいているのかいないのか、彼らは妹分に近づいてその手をぎゅっと握った。そのまま握った手を祈るように己の額に近づけ、深紅の瞳を見つめてあの熱っぽい泣きそうな声で語り掛けた。


「まだ間に合う。今ボクらの仲間になってくれればキミを守れる」

「わたくしとレパーサ、アウレーシャが一緒ならこの世界が魔界になっても一緒に生きていけますわ」


 返答は間抜けだった。

「魔界?」

 アウレーシャの戸惑いを無視してイダ家の昔なじみは潤んだ瞳で語る。

「瘴気を取り込んだらあなたの深紅の髪も変色してしまうのは惜しいけれど、でも一緒にいられるのならあなたがどんな姿でも良いの」

「新しい世界では僕ら旧き家系が誰に遠慮することも無く魔力を振るえる。もちろんアウレーシャ嬢も」


 そう言ってレパーサがウィンクする。無邪気なそのしぐさに妹分は言葉を失った。否、仕草だけでなく口ぶりもあまりに無邪気だった。だがそれとは裏腹に、彼らの脳内にあるのはあまりに無慈悲な計画だった。


「……まさか」

 ようやくアウレーシャが出した声はひきつった響きだった。脳内では数時間前の緊急会議でネリネが言っていたことがよみがえっている。

 魔女はよろめきながら後ずさり、彼らから距離を取る。くちびるは震えていた。遠く聞こえる変則八点鍾にぐわんぐわんと脳が揺れる。

「まさか、この世界に魔界を召喚するおつもりなんですか?」


 魔導書『魔王城大全』に収められた魔法の中で「もうどうしようもない」と評された魔法、魔界の任意の1階層をこちらの世界にそのまま召喚する魔法。その使用を指摘されると、一連の襲撃事件の首謀者たちは妙に生真面目な表情で首を縦に振った。

「ええ」

「うん」

 返事は簡潔かつ明解だった。

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