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20話 命を懸けて

「中央《王国府》はもう協議を終えたころか」

 城の前庭から街へ降りる馬上のヒサール領主アドラフェル卿のつぶやきを、老秘書官ザマンは静かに肯定する。

「おそらくは」


「いつも通り魔力の解析までヒサールで済ませたのが悪い風に響いているな。先ほどこちらから出した報告書が王都に届くには時間がかかる。ナフル領の書類が先に王国府に届いているはずだし……状況は悪いな」

「恐れながら、王国府は間違いなくヒサール領の調査に乗り出すでしょう。閣下にも呼び出しがかかるかと」

 秘書官の指摘に青年領主は呆れたような顔をして、それでもピンと背筋を伸ばしている。


「ま、報告が遅れた以上はそうなるか。しかし結局こちらから中央への報告もヒサールに不利な情報ばかりだな」

 気の重いことだ、とため息をつく姿には諦観が滲む。


 ヒサール城政務官を集めての緊急会議は終了したが、王国府からの早馬の到着を予期して城内には緊迫した空気が漂っていた。同時に城下も今朝から空をひっきりなしに早馬である天馬が飛び交う様に異変を察知したようで、落ち着きが無い。


「あの改造魔獣の製造元として中央がイダ領を見逃しているはずがありません。それにあのバッタ型魔獣に入っていたミスリルの箱の魔力がイダ家縁者のものだと明記した以上、こちらからの報告が中央に届けばイダ領にも本格的な調査隊が派遣されると思いますが……。いずれにせよ王国府に対する反感の強いヒサールでは閣下自ら事前に王国府への対応の方針を説明するのが良いでしょう」

 その隣に騎馬を立てた王国府魔術戦闘特別顧問もまたそう言いつつため息をつく。


「大事無いか、魔女殿」

「問題ありません、閣下。いずれ私にも命令が下るはずですが」

 妙に強い声色で中途半端に言葉を切った彼女は、馬の手綱を握る領主の震える手に己の手を重ねて力をこめる。手袋越しの体温の暖かさに彼は僅かに肩の力を抜く。前ばかりを見つめて紅玉の瞳を煌めかせる王国府の官吏かんりは覚悟を決めているらしかった。


「すまんな、ナーヒヤール。休みだと言ったのに緊急会議で叩き起こすことになって」

 とつぜんヒサール公爵に声をかけられ、最後尾の秘書官見習いナーヒヤール・ボーカード青年はびくりと肩を震わせてから首を横に振る。


「そればかりは避けられないことですから。緊急時であるにもかかわらず休息を頂けて有難いばかりです。しかし……実際王国府が調査の者を差し向けたとして、ヒサールの民が納得しますかね」

「納得してもらう以外あるまい」


 ヒサール領主は決然と言い切った。

 アウレーシャは馬の歩を緩めてヒサール領主たちを先に行かせる。先頭に馬を立てるのは旗を掲げたヒサール騎士団バンダック、次に領主アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵、さらに秘書官と秘書官見習いが続き、そのあとにヒサール騎士団グラッドたちが入り、最後尾に王国府の紋章の緋のマントと黒い官服に身を包んだ王国府魔術戦闘特別顧問たる魔女アウレーシャが続く。

 一団は坂を下った先の門をくぐり、砦に囲まれたヒサールの城下街に入った。


 鐘楼と噴水の設けられた砦の街の中央の広場には、領主から昨夜のことや今後のことについての話があると知った領内、つまり砦の内外の人々が押しかけ、誰もが不安げに互いの顔を見合わせている。


「なんでも王都シャマル王宮が襲われたとか」

「ナフル領にもバカみたいに大きい魔獣が出たんだろう? 屋根裏から見えたぞ」

「この間ヒサールにも変な魔獣が出たじゃないか」

「またあんな大きい魔獣が出るのか?」

「……魔女様が戦ってくれるだろ」

「王国府からの戦力に頼るってのか? この恥知らず!」

「なんだよ、この前魔獣が出た時に領主様を助けたのは魔女のお嬢ちゃんだっただろ」

「それよりまた王国府がヒサールにいちゃもん付けてくるんじゃないの?」

「フレイヤ様の二の舞みたいになるのは嫌だねぇ」


 そのざわめきを切り裂くように、低く良く通る声が日の沈んだ街に響いた。

「聞け、ヒサールの民よ」

 とたんに人々は口を閉ざし領主の言葉に耳を傾ける。


 領主の話は昨晩ナフル領に現れた魔獣がナフル領や王国府魔術戦闘特別顧問との協力で撃退されたことから始まり、王都が襲撃されたことを説明して言葉を止める。僅かな沈黙の合間に呼吸を整えたアドラフェルは拳を握り、鋭い目つきで名言した。


「さらに、ナフル領及びシャマル王宮を襲撃した魔獣には亡き先代ヒサール領主、わが父アディニプト・ヒサール・ギュセルの魔力が使用されていたことが発覚した」


 静まり返っていた群衆がざわついた。つい3年前に亡くなったあの強面のヒサール領主は王国府からの信頼も厚かったはずだ。そして、領民にとっては最期まで良き領主であった。それがなぜ、と誰もが口にする。


「どういう経緯があったのかは分からん。だが、ここにある先代領主の日記からしても先代ヒサール領主が分霊箱と呼ばれるものに自身の魔力を付与したのは確かである」


 青年が馬上で掲げた革張りの本の中表紙にあるアディニプトの署名を見せると、誰もが戸惑いながらも黙り込んだ。日記をつけるのは貴人の嗜みであり、本人が死したのちは緊急時以外開かないことを条件に書庫に遺すのがこの国の習わしである。


「しかし我が領、我が父、そして我が身が潔白であることは言うまでもない。これは悪しき企みをくわだてる者が我が領を貶めようとしているが故の事態である。だが、以上のことを王国府に報告した以上、中央からヒサールには何らかの調査の手が回るであろう」


 この泰平の世においてなお魔獣のあらわれる土地に住み続ける人々は、愛着を持って住まう土地を土足で荒らされることを想像し、不快や不安、あるいは屈辱を顔に表した。


「王国府からの調査は決して我らがヒサールの地位を貶めるための行為ではない。むしろ我らヒサールの潔白を証明し、我々を守るための行いだ。王国府の調査が行われる際には、協力しろとは言わん。だがけ決して事を荒立てるようなことをするな」

 領主の言葉に領民は戸惑いをあらわにする。


「さらに、いつ何時ナフル領に現れたような魔獣が現れるとも限らん。故に、今晩から我が領の潔白が王国府に証明されるまでヒサール領は不測の自体に備えて厳戒態勢を取る」

 人々が互いに顔を見合わせた。彼らから不安が沸き立ち、人々の言葉となって表出し、人々に反響する。


 だがそれをかき消すようにヒサール領主が声を張った。冬の終わりを告げる春雷のごとき声である。

「案ずることは無い! 我が亡き父母にかけて、魔王屠りし我が先祖にかけて、ここに誓おう。このアドラフェル・ヒサール・ユリスナとヒサール騎士団、そして王国府魔術戦闘特別顧問がいる限り、ヒサールが損なわれることは決して無い!」


 アドラフェル卿のアイスブルーの瞳が星のごとく輝いている。その光に魅入られて、人々は力強くうなづく。

「……坊ちゃんが仰るのなら」

「ああ、オレたち年寄りが腹ァくくらんと」

「私らと同世代の領主様がおっしゃったなら」

「いや、でも、でもよぅ」

「ああ、そうだな……」


 しかし一部の者たちが不安げに視線をゆっくりと持ち上げて、領主の傍に控える馬上の王国府魔術戦闘特別顧問を見つめた。王国府から派遣された官吏の言葉など聞く価値もないとこの場を離れようとする者もいる。緋色のマントを肩にかけた王国府の官吏は領民のまなざしに応えるように馬を前に進め、己の胸元に手を当てて口を開いた。


「ヒサールという地は」

 馬上の小柄な令嬢の口から朗々とした声が発せられ、年配者たちは目を見開く。かつて彼女と同じ魔女の称号を帯びて着任したナフル伯爵令嬢フレイヤとは全く違う喋り方をすることに対する驚愕があった。


「シャマル王国西端の土地であり、魔界に最も近い土地であり、シャマル王国の他の土地とはその風土も扱いも大きく異なる。ゆえに、王国府に対して不快感を抱く者も多いだろう」


 王国府の官吏は不安げな顔をする者たちに視線を向けながら言葉を紡ぐ。

「だが、どれだけ特異な土地であろうと、このヒサールの地とそこに住む者たちは決して分かたれることのないシャマル王国の土地であり、シャマル王国の民である」

 日の沈んだ街によく響く声だった。


「故に、私は!」

 一層張り上げた声に、その場を離れつつあった者たちが足を止めて振り返った。


「シャマル王国府魔術戦闘特別顧問として、王国府でも魔獣でもそれ以外のいかなるものでも、ヒサール領を貶め損なうものからお前たちを守ることを誓おう!」


「……何に懸けて?」

 問われて、鞍上の魔女は胸に置いた手を拳に握る。夜風に深紅の髪と紅玉の瞳を輝かせ、口元に笑みを描きながら答えた。

「我が命に懸けて!」

 堂々たる声だった。


 人々は互いに顔を見合わせる。誇らしげに魔力の象徴である派手な赤い髪を靡かせるこの新任の魔女が本気であることを、誰もが肌で感じていた。

「魔女殿は王国府の人間だけど」

「ああ、俺たちも閣下が信じる魔女殿を信じようぜ」

「騎士団曰くあのお嬢ちゃん、魔獣を相手に腕1本食わせてでも勝ちに行こうとしたらしいわ」

「そんな人が命を懸けると言ったんだ、信じてみよう」

「この話、戻ってこの場にいない人にも伝えるわよ」


 場が納得を示したのを確認し、ヒサール城の一行は元のように隊列を組んで城へ戻っていく。人々もまたその場にとどまり、今一度領主の指示を確認してそれぞれの家へと帰っていった。


「しかし、ザマンもよく思い出したな。父上の日記など」

 ヒサール城に戻り、談話室で腰を落ち着けたアドラフェルが手元の本を見つめながら感慨深げな声で言うと、茶を差し出す老秘書官は力なく首を横に振った。

 城内には既に情報が回り、不測の事態に備えて緊張状態にある。

「むしろもっと早く思い出せれば、と己の無能さに呆れております」


「まさかナーヒャ(・・・・)のお父様とお母様が先代ヒサール公にお会いになったことを日記に書いているとは思いませんでした」

 故人の日記は覗かないようにしながらアドラフェルの向かいに座ったアウレーシャが感心したように言った。先の鬼気迫るような物言いとは打って変わって、感じ入った声色である。その横に座ったナーヒヤール・ボーカードは膝の上で己の手を拳にして強く握っている。


「故人の日記を開くなど恐ろしいが、情報は多いに越したことは無い。緊急会議前に中央に提出した報告書にはこのことも書いたから、別途ナナマン家にも調査の人員が向かうだろう」

 言いながらアドラフェルはザマンを己の隣に座らせ、手づから茶を注いで彼の目の前に置いた。


「ザマン、当時のことを聞かせてくれ」

 死んだ先代領主の息子に請われて老人は首を縦に振った。それが業務上の確認でなく、ただ一人の青年として、生前の父について知りたいという心からくる強請ねだり事であるのは明らかだった。


「黒衣に身を包んだナナマン子爵家ご夫妻が旦那様の元を訪れたのは、坊ちゃまが王国府に赴かれて間もない頃でした。個人的なこと、それもたった一人の我が子が失踪したその穏やかならぬ気持ちをみだりに他人に聞かせるのは良くないと、旦那様のいいつけで私はご夫妻にお茶をお出ししただけで部屋を出ました。ですからお三方が当時具体的にどのようなお話をしたのか私は存じ上げません。ただ、たった一人の我が子が失踪したご夫妻を、旦那様が我が事のように心配しておられたのは確かです」


 先代ヒサール領主がボーカード家の私家版の呪術についての本を買ったのはその後のことである。


 当時のアディニプト・ヒサール・ギュセルの日記には、ナナマン家の夫妻への気遣いがつづられている。筆まめだったらしい個人は、夫妻に請われて失踪した子供と巡り合えることを願うまじないに魔力を貸し、ミスリルの箱に魔力を付与したことまで記している。


「旦那様はずっと坊ちゃまのことを心配しておられました」

「母上が亡くなってから父上は本当に無口だった。……俺を煩わしく思っていただろうな、父上は」

 アドラフェルが自嘲すると、ヒサール家親子を見守ってきた老家臣はゆるく首を横に振った。


「どちらかというと坊ちゃまを持て余しておられました。坊ちゃまを見ていると亡くなったフレイヤ様を思い出して辛いと。けれど坊ちゃまのことを愛してもおられましたよ」


 ザマンは祖父の顔で言って、隣に座ってうつむく青年の手を握った。その上にぽたりと熱いしずくが落ちた。

 重なった手の下の日記には、ただ子供が手元を離れただけでもこれほど辛いのにましてや生死不明など胸がつぶれるような思いだろう、と震える文字で記されている。僅かに紙の端がへこんでいるのは古い涙の跡だ。


 アドラフェルは目をぬぐうと父の日記を閉じて立ち上がる。個人的なことを書き連ねたものを読むのは良心の咎める行為だった。

「魔女殿、秘書官見習い殿、次に何か中央から動きがあるまでそれぞれ自室で休んでいろ」


 二人は一礼して部屋を出る。階段を降りながら、アウレーシャはナーヒヤール・ボーカードに問いかける。

「イダ家のご姉弟は今回のこと、知ってると思う?」


 カレーナとレパーサに紹介された青年を見つめるアウレーシャの目は鋭いまなざしで、何かを探ろうとしている。それに気づいてもナーヒヤールは顔色一つ変えず答えた。

「それは何とも。しかし旧き家系の方々は陛下の恐ろしさを知っています。12歳の子供ですら処刑した陛下の」


 肩をすくめて言ってのけて、ナーヒヤールは男子用の生活棟に向かう。自室に入ると、窓を開けて来訪者を待つ。翼をはためかせてやってきた小鳥を室内に招き、その足に結ばれた紙片をほどいて開く。象形文字のような文字列を眺める。


「情報の提供に感謝、万事計画通り。こちらは既に所領を離れた。王国府の要請に対してはヒサール領主が王国府に出頭するようよく説得し、その後は我らを城内に誘導するように」

 分かってますよ、と呟いてナーヒヤール・ボーカードは紙片に火をつけて燃やした。

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