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19話 不本意な命令

 さて、ここで少し時をさかのぼる。


 ナフル領主の邸宅でパーティーが行われていたその晩、シャマル王宮の異変に最初に気づいたのは見回りの兵士であった。日付も変わろうかという頃合いであるにも関わらず、妙に外が明るい。何事かと窓の外を見やり、火の手に気づいた。


「火災、火災発生!」

 その声に巡回の兵士たちは顔色を変え、次第に城に住み込みで働いている者たちも集まり、騒然となった。思いのほか大きく広がる火に人々は戸惑い、それでもなんとか消火を急ぐ中、少し離れたところに四つ足の生き物を見た者が声を上げた。

「何だ? あの生き物は」

「サル、か?」


 兵士がその四つ足の動物……大きなサル型魔獣を追いかけるが、他方で見回りに当たっていた兵士が警戒用のラッパを鳴らした。

「侵入者、場内に侵入者あり!」


 現場が混乱を極める中、一部の兵士は消火よりも侵入者の捕縛を優先しようと、声のした方に駆けだしたが、その前にサル型魔獣が立ちふさがった。成人男性ほどの大きさの魔獣である。月光に照らされて、足先の爪が鋭く光る。兵士の誰もが思わず一歩後ずさった。しかし最前にいた者が声を振り絞った。

「オレらは王国府騎士団じゃねぇけどよ、ヒサールの一件で王国府の兵士はみんな弱いって、最近は王都のやつらもバカにする。けど……そんなの悔しいじゃねぇか」

 その声に、誰もがはっとした。

「なァ、ここらでいっちょやってやろうじゃねぇか。オレたち王国府の人間だって、平民だって、ヒサール騎士団や貴族様や魔女様じゃなくなって魔獣と戦えるって、証明してやろうじゃねぇか!」

 オォ!と兵士たちが答えてぎこちないながらも隊列を組み、巨大なサル型魔獣を見据える。敵意を感じ取った魔獣もまた床を強く踏みしだき、爪を伸ばす。それでも兵士たちは言い聞かせるようにつぶやく。

「やってやろう。証明するんだ、オレたちも戦えるって」

「そうだ、何よりも、おれたち自身に証明する!」

「立ち向かえる自分になるんだ!」 

 皆が武器を構え、とびかかる魔獣に刃を向けた。


 一方、侵入者の元にたどり着いた兵士たちが見たのはローブ姿の4人組が何やら揉めている場面であった。

「戻るぞ、目的の本は回収した。兵士にはかまうな!」

「どうした、逃げないと捕まるぞ!」

 4人組のうち2人が先導し、足踏みする2人を引っ張ろうとする。けれど足踏みする2人は先導役に抗い、互いに顔を見合わせて何か言い合い、腰に下げていたナイフを抜くと目深にかぶっていたフードを脱いだ。

 兵士たちはぎょっとした。侵入者のうちの2人がまだ子供の面影を残す年若い男女などと、誰が思ったのか。

 4つの目は兵士たちをとらえて小さく、しかし確かに光を放つ。そのまま凶器を迷わず己の首にあてがった。


 月明かりで青い廊下に血しぶきが赤く散る。


 何が起きたか理解できず、先導役の2人と兵士たちは言葉を失った。けれど床にラッパが落ちる音で我に返り、兵士たちは駆けだす。逃げ出す先導役を捕まえるためか、自死を選んだ2人組を助けるためかは彼ら自身ですら分からなかっただろう。


「それで……その若者2人は一命をとりとめたのか」

 王国府防衛局大臣に問われ、シャマル王宮医師団の長は立ち上がった。


 その王宮襲撃、ナフル領襲撃から一夜明けたその日の夕刻、王国府の一室では各部局の長を集めた緊急御前会議が行われていた。


 はい、と返事した老齢の医療者は少し黙ってから顔を曇らせた。

「しかし一度に血を流しすぎたようで、回復術師が全力で治療にあたっていますが2人ともいまだ意識は戻っていません」

「ならば事情聴取は後回しだな。その他、何か気になったことは?」


 問われて医師は視線をうろつかせた。加齢と共に体内に保有する魔力量が減り回復術師としての全盛を過ぎた一方で医師としての研鑽を怠らないこの名女医の反応に、その場にいた誰もが黙って彼女の言葉を待つ。


「……正直、言葉にするのが難しく、陛下の御前にあってもあの感覚をどのように表現すればよいのか迷っています。ただ、あの2人は一様に魔力が妙な具合で、人間の魔力ではないような、そんな具合で」


 言葉を選び、重ね、より近い表現に至ろうとして、女医は口を閉ざす。そして仕切りなおすように顔を上げ、今度は確信に満ちた声で言う。

「おそらく彼らの体を開けば違和感の正体を知ることができます。が、今の彼らの体力では麻酔と開腹に耐えられないでしょう。むやみに患者の体を傷つけ体力を損なうのは医療者の道理に反します」


 防衛局大臣は首を縦に振る。

「あい分かった。他に何か、捕縛した者たちに関してこの場で共有しておきたいことがある者は?」

 防衛局大臣の隣に座っていた壮年の男が手を上げる。


「防衛局王都警邏(けいら)室長から、勘違いかもしれませんが、今後の捜査に備えて共有しておきたいことが」

 円卓に座っていた進行役の宰相が発言を許可すると、王都警邏室長が立ち上がる。


「現在治療中のその2人ですが、医務室で顔を確認したところ、数年前に我が警邏室に提出されていた失踪届の少年少女に似ているように感じられました。提出されてから数年たっていますから成長し、雰囲気も変わって不健康そうではありますが、何より、目の色が同じです。ただ……髪色が全く違うので私の勘違いという可能性があります」


 その場にいた者たちが互いに顔を見合わせる。

「それは……つまり、貴官の発言をそのまま信じるなら、あの侵入者のうちの2人はかつて行方不明になった子供らだと?」

「確か侵入者4人組のうち、逃げて言った先導役の2人に反して、彼ら2人は兵士たちから逃げようとしなかったのだったな?」

 防衛局大臣の言葉に、侵入者の第一発見者だった兵士がはい、と肯定の返事をする。


「むしろ先導役の2人から逃げようとしていたようにも見えました。そしてもっと言うのなら、我々に捕まるのを望んでいたのではないか、と。そう思える動きでもありました。自死を選んだのは決死の覚悟でしょう。あの目の光はそういう色でした」


 防衛局副大臣が手を上げて、発言の許可を得て立ち上がった。

「彼の発言はあの場にいた他の兵士たちの個別の聞き取り調査の結果とおおむね一致します。あの2人組は今回の一連の事件の犯人に無理やり協力させられていたと見るのが良いかと。目を覚ました際には有力な情報源になるでしょう。彼ら自身の身元に関しては、失踪届を出した者たちを呼んで面通しをさせるつもりです」


 その発言を受けて、進行役の女宰相は首を縦に振る。

「ではそちらはそのように。さて……それではここからが本題です」

 その厳しい声に、室内に緊張が走った。


「魔法調査局技術室室長、ナフル領から報告書と共に送られてきた改造魔獣の体内の分霊箱の薄青の魔力光の解析は終わりましたか?」

 指名され、技術室長がぎこちなく立ち上がった。魔法調査局とは各領地でいう魔獣調査班に当たる。特に技術室は国内最高の魔法技術を備え、かつて天馬の開発を行った部門である。


「既に終わっています。また、ナフル領からの報告を受け、昨晩兵士たちが討伐したサル型魔獣の内臓の調査を現在行っています」


 技術室長の手は震えている。否、誰もが手元の資料に書かれた文字列に顔を青くし、机の下で足を震わせていた。


「ここにいる方々と認識を共有するために、念のため改めてご説明しておきます」

 そう前置きして、魔法調査局技術班長は呼吸を整える。その短い時間で震えながらも覚悟を決めた顔をする。


「我がシャマル王国において、王家の方々をはじめとする国家の要職に付く方々の魔力の色は特別な紙に転写して死後30年まで保存・管理し、必要に応じて参照します。一人ひとり少しずつ異なるこの魔力の色によってそれが誰の魔力であるか、個人を特定するためです」


 重く息を吐いて技術班長はヒサール領の魔獣調査班長として働く後輩を思い出す。先輩として、いつもふてくされたような顔をしながらも根が真面目で研究熱心だったあのネリネが無事であってほしいと願わないわけがないのだ。


「そして、ナフル領から送られてきた分霊箱には魔力が宿っていました。色は……お手元の資料の通りです」

 最新の解析術式は、分霊箱に宿った魔力が前ヒサール領主アディニプト卿のものであると結論付けた。今は亡き男の瞳と同じ、薄青の魔力の色。生真面目な辺境領主が自領を離れることは少なかったが、それでも年かさの国家要人の中でその色を知らぬ者はいない。


 王都においても名領主と名高い、今は亡きアドラフェルの父。警戒の対象であるヒサール領に、魔女フレイヤの死後からアドラフェル領主就任までの17年間、領民の心情を慮って(・・・・・・・・・)王国府の戦力が派遣されない特例が許されるほどに国王の信頼も厚かった男である。


 一段高くなった壇上の豪奢な椅子に座る国王はひじ掛けに置いた手に力をこめ、眉間にしわを刻む。


「今は亡きアディニプト卿は、義弟であるナフル伯爵とも親しくしておりましたが、皆様のお手元にあるナフル領からの魔獣調査報告書からもこの事実はゆるぎないかと」


 以上です、と言って倒れこむように王国府魔法調査局技術班長はイスに座る。静まり返った室内にそのため息が鮮明に聞こえたが、それを咎める者はいない。皆一様に凍り付いたような面持ちで、重い口を開いた。


「少なくとも物証だけ見ればヒサール領が今回の一連の襲撃事件の中核にいたことになる。改造魔獣の素体もヒサールであれば捕獲も容易、土地柄ゆえ魔力の扱いに長けた者も多いだろう」

「今は亡きアディニプト卿が今回の襲撃にかかわっていたとして、息子のアドラフェル卿がそれを知らぬとは考え難い」

「だがアドラフェル卿は東方独立未遂事件からしばらく国王府預りの身だった」

「いや、アドラフェル卿が関わっている可能性がある。でなければなぜこんなことが今起きるのか(・・・・・・)

「そうだ、アディニプト卿は優秀だった。本気で反逆を起こすのならば、独立未遂事件を鎮圧した直後、王国府が油断し陛下が疲れ切ったその瞬間にやっていたはずだ。それができる男だった。なのに、なぜ今なのか(・・・・・・)

「他に、ヒサールの他に今回の改造魔獣による一連の襲撃事件の首謀者がいるとすれば?」

「……旧き家系、特に魔獣改造の技術とその経験を生かして畜産業に励むイダ家か」

「だが10年前の独立未遂事件で旧き家系が軒並み痛い目を見てなお反逆行為に走る気力があるのか?」

「それに、呪術は魔法と魔力を重んじる旧き家系に嫌われていると聞く。その旧き家系が自身の血脈が作り上げた技術の粋である魔獣改造に呪術を介入させるとは思えん」


 卓上で憶測が飛び交うなか、絞り出すような声が聞こえた。

「ヒサール領からの報告はまだか? あるいは魔女殿の報告書は」

 皆が黙り込み、視線が一点に集まった。壇上の椅子に座していた国王がゆっくりと立ち上がったり、苦しげな声で呟く。

「まだ、来ぬのか」


「父君に似て生真面目で、領主就任間もない頃には夜眠る時ですらソファに腰かけるだけだったあのアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵のことです。必ず来ます」

 国王のつぶやきに答えた女宰相の声はらしくなく、焦りが滲む。

 3年前、ヒサール名物老秘書官ザマンに請われて、国王と共に年若い青年の睡眠不足を叱る手紙を書いたのが大昔の事に思えた。


 国王が力なくイスに座り込んだ。防衛局大臣が手を上げて立ち上がった。

「防衛局大臣が国王陛下に申し上げます。この会議の間中にヒサール領からの報告が万が一来なければ、ヒサール公爵を王国府に呼び寄せ事情聴取、同時に領内の一斉捜査を行うのが最善かと存じます。同時にイダ家にも事情聴取を行うのが望ましいかと」


 戸惑い緊張した声に、国王は黙り込み、幾ばくかの沈黙ののちに言った。

「最後の議題に移れ」


 結論を出すのを先送りにした。そのことを理解しながらも、女宰相は一礼して話を次に進める。

「では次。昨晩の襲撃の後の城内の安全確認巡回で、宮廷図書館に所蔵されていた本がなくなっていたということですが事実ですか? 宮廷図書館長殿」


 指名され、中年の女が立ち上がった。

「事実です、宰相閣下」

 返事はきっぱりとしていた。東方独立未遂事件で罷免ひめんされたイダ家の老当主、カレーナとレパーサの父の後任として副館長から館長に昇級して今日まで10年間つつがなくその任を全うしてきた女貴族である。


「件の侵入者4人……いえ、2人組が持って行ったと考えて間違いありません。紛失した書物は魔王時代、時の魔王だった悪魔アナベルグ自身によって書かれたと言われる一点物の魔法書。危険な魔法が集められているため、閲覧許可証が必要な『魔王城大全』です」


 図書館長が口にした書名にその場のほとんどの者が首をひねった。

「そんな本があるのか……」

「悪魔も本を書くの?」

「それにしたってタイトルがド直球ですね」

「魔王城ってことはヒサール城?」

「なんでそんな本が王都にあるんです? ヒサール城の本ならヒサール城にあるのが道理では」

「それが盗まれたって、それって……」


 その場にいた誰もが、ほんの1週間ほど前の御前会議で防衛局大臣を整然と批判した年若い領主を思い出す。血濡れの氷冷公のあだ名をいただくあの美丈夫こそ、件のアディニプトの息子、現魔王城ことヒサール城の主である。


 進行役の宰相が手元のベルを鳴らす。静かにせよ、との警告に皆が口を閉ざす。話途中だった現図書館長が再び口を開き、私が副館長であった折にイダ館長から聞いたことです、と前置いた。


「『魔王城大全』に収められているのは魔界に最も近い場所である魔王城であるからこそ使える大規模かつ危険な、それも悪魔直々の魔法ばかりだそうです。そんな代物が当の魔王城にあるのは危うい、という理由で先々代のヒサール領主自らの意向により王宮に移管されたのだとか」

 シン、と室内が静まり返る。


 この状況で、誰もが一連の事件の犯人をヒサール領主だと言わざるを得ない心持になっていた。


「しかし、物証が揃いすぎている気もするわ」

「それにあのアドラフェル卿だ、正統な手続きを踏んで移管したものを暴力的な手段で取り返しに来るような阿呆ではあるまい。辺境領は国防の要、愚か者はその領主など務められぬ」

「だが現状一番に話を聞き調べなくてはならないのはヒサール領ではないか?」


 その時、勢いよく会議室の扉が開いた。息を切らして走ってきたのは王国府魔法調査局技術班の班員であった。


「ご報告いたします! 昨晩出現したサル型魔獣の体内にもミスリルの箱がありました。箱に宿った魔力は、ナフル領に出現した人型魔獣のものと同じ、すなはち前ヒサール領主アディニプト卿のものと一致! なおこの箱の中にはおそらく拷問ではがされた生爪が10枚入っておりました。さらにいくつかの実験を行った結果、これらの分霊箱は魔獣を操るためのものだと分かりました」


 室内にいた者たちが顔を見合わせた。

「では、ナフル領に出現したという巨大な魔獣も何者かに操られていたのか」

「大きな魔獣のコントロールにはより大きな代償が必要なのか。それでナフル領から出た分霊箱の中には爪ではなく、目玉を」

「だとすればイダ領主代行の双子がそれに襲われているというのはおかしくないか?」

「そもそも魔獣を操るなど、そんなことが」


「……そう、だよな。なんとなくそんな気がしてたんだ」

 ふと呟いたのは件の侵入者4人組を最初に見つけた兵士だった。皆が瞬時に黙り込み、彼の言葉に耳を傾けた。

「あのサル型魔獣は明らかに俺たち兵士をあの本泥棒の4人組から遠ざけようとしていたんだ。……だって、おかしいじゃないですか。魔界の生き物である魔獣が人間を助ける理由がありますか? だったら何らかの方法で人間に操られているとしか考えられないじゃないですか」


 兵士の言葉に、座り込んでいた国王が再び立ち上がった。その顔はげっそりとやつれたような趣で、あの好々爺の面影はどこにもない。

「だがまかり間違ってもアディニプトがそのようなことに手を貸すはずがない。あの忠義者が、何よりあれほどの愛妻家が王国府に反旗を翻すような真似をするはずがない。はずがないのだ……」


 力ない声が泣きごとのようにこぼれていく。国王は自身の子や孫のように思っているヒサール領主親子をその脳裏に思い浮かべて深呼吸を繰り返し、不意に呟いた。


「先代ヒサール領主は」

 語り出しはあまりに脈絡がなかった。賢君、シャマル王国の祖父と呼び慕われる国王にはあまりに珍しいことだった。


「東方独立未遂事件の首謀者であるナナマン家当主に協力を呼びかけられていた」

 そのまま告げた事実はその場の誰も知らないことだった。


「しかし先代ヒサール領主アディニプトはそれを断った。王国府を裏切る行いは、王国府への潔白の証明のためにその身も心も使い果たした愛妻フレイヤの苦心を台無しにする、と。そして旧き家系を中心に反乱の兆しありと、私に忠告した」


 防衛局大臣も、宰相でさえ目を見開いた。

「では、あの時の陛下の指示があまりに素早かったのは」

「そうです、あの事件の直前、違和感がありました。陛下が秘密裏に東方へ物資や兵を送るように命令を下されることに」

 国王は一つうなずいた。


「私がああも素早くあの事件に対応し、一人の死者も出さずに済んだのは、ひとえにアディニプトの忠告があったからだ。あの忠義者の息子が、今になって何か起こすとは思えんのだ……」


 国王は緩く首を横に振る。苦悩のにじむ顔を見せるのはこれが初めてだったかもしれない。

「し、しかし、お言葉ですがそれは」

 戸惑ったように声を上げたのは司法局の長であった。国王の言を受けてアウレーシャに終生蟄居命令を出した本人である。


「それはあくまでも……」

 司法局大臣は言い淀む。彼が言わんとすることをシャマル国王は分かっている。

「あくまでも、現領主の父親の話です」

 分かっている。いずれにせよアディニプトは既にこの世におらず、その忠告も10年以上昔のことであり、事件は今現在起こっているのだ。


「せめて、何か当時の記録のようなものがあればヒサール領への対応に加味することができるかもしれませんが」

 司法局大臣の言葉に、国王は首を横に振る。どこかに漏れて混乱を招いてはいけないと、厳つい顔に反して細やかな前ヒサール領主は書面にすらせずただ口頭で国王に伝えたのみだった。


 分かっている、と賢君はひきつった声で呟いた。

 最後の議題を経て、国王の中には一つの命令が既に完成していた。肩で息をし、老人はそれを否定しようとする。けれど50年間の国王としての振る舞いは否応が無しに彼を動かし、その体は現状でシャマル国王として最も正しい動きを繰り出す。


「……シャマル国王が防衛局大臣に命ずる。ヒサール領主アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵に事情聴取のための出頭命令を出し、器官が迎えに行け。24時間以内にこれに応じぬ場合、貴官が兵を連れて直接ヒサール公爵を迎えに行き、同時に当該の領内を調査せよ。同時に、イダ家の領地にも防衛局高官と兵を派遣、現地の調査とイダ家への事情聴取をさせろ。ただし、これらはなるべく穏便に済ませるように」

「心して任に挑みます」

「シャマル国王が宰相に命ずる。王国府魔術戦闘特別顧問のアウレーシャ・バルワ嬢に以下の命令を出せ。ヒサール公爵が出頭命令に応じるよう説得し、彼がこれに応じぬ場合は防衛局大臣の迎えを手伝う(・・・・・・)べし」

「かしこまりました」

 頭を下げながら女宰相は苦虫を嚙み潰したような顔をする。

(あのお嬢さんにとって不本意な命令が下ってしまった……)


 ドサリ、と国王はイスに座り込み呟く。

「アドラフェルよ、一体そちらはどうなっている……」

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