16話 異常戦線で踊れ
ホールの中央で互いの手を取り合って踊るエリエッタ・ナフルとアウレーシャ・バルワに、人々は唖然とした。気の合う同性同士が踊ることはシャマル王国では別段珍しいことではない。
しかし、手を取り合って踊っているのが先ほどまで決闘をしていた2人なのだ。エリエッタの両親はもちろん、アドラフェルやその秘書官のザマン、秘書官見習いのナーヒヤール・ボーカード、イダ家の姉弟も驚きあきれている。
しかし当人たちからすれば無理からぬことであった。
「ねえアウレーシャ様、ずっと気になっていたのですけれど、アドラフェル様とどこでお知り合いになったんですの? だって、お2人には狩猟会で出会うまで接点なんてなかったはずですの」
エリエッタとしては、意中の人と特別親しくしているアウレーシャ本人から恋敵ではないと宣言された上、意中の人本人からしばらく結婚の意志はないと言われたのだ。問題のすべてが解決してしまった以上、アウレーシャを無駄に敵視する必要はない。
「あの狩猟会の戦いでお2人の間に友情や信頼が芽生えたのならわかります。でもアウレーシャ様はそれより前にアドラフェル様の力になりたいと思っておいでだったのでしょう? そんな風に思うような何かがあるとは思えないのですけれど……」
高身長を利用してアウレーシャをリードしながらエリエッタは首をひねる。
「だって、アドラフェル様は8歳の折に園遊会に出席したのを最後に、王国府預かりになるまで、一度も園遊会に出られておりませんの。そしてアドラフェル様が王国府預かりになった10年前からついこの間までアウレーシャ様は修道院においでだった……」
一方で、アウレーシャは最初からこの令嬢の生真面目な様を好ましく思っていた。18年前の約束やアディとナーヒャにかける思いを「浮気」と表現されたのは確かに侮辱だったが、それは決闘に勝利したことで解消済みの問題だ。
「どこにも接点がありませんわ」
まろやかな頬をぷくっと膨らませた令嬢は、ゆったりとしたテンポでステップを踏む。
「……私が彼らと出会ったのはもっとずっと前のことですよ」
大きくゆるやかな動きでターンしながらアウレーシャはいたずらっぽく笑った。
「もう一人いるんですのね」
すねたような声に、年上の女は目を伏せて笑いながら「ええ」と言ってやる。少女の素直な反応がおかしかったのだ。
「どれだけ離れていても二度と会えなくても、私とヒサール公を世界で一番大事に思って愛してるんだそうです」
深々とした声でそう言ったアウレーシャは目を細めて安らいだように笑う。
その顔を見つめて、エリエッタは決闘での彼女の笑い声を思い出す。あのどこか狂気じみた笑みと共に繰り出された生き急ぐような苛烈な有様。この魔女を駆り立てる覚悟と衝動に滲む危うさを、本人は分かっているのだろうか。
エリエッタが彼女の腕を持ち上げて回してやれば、年上の女は薄桃色のドレスの裾を揺らしながら無邪気に笑った。
曲が終わると2人の淑女は身体を離して丁寧に一礼した。
それを見計らって、ホールにチリンと涼やかなベルの音が響いた。
「皆さま、夜も更けてまいりましたので度数の高いお酒をお持ちしました。今夜は各種ウイスキーにブランデー類のみならず、ジン、ワインをはじめとする果実酒、さらに南方の国々から取り寄せたラムもご用意しております。隣のお部屋には軽食もありますのでご自由にお召し上がりになってください」
ナフル家の執事がそういうと、多種多様の酒瓶と共に給仕係が室内に入ってくる。酒瓶の乗ったワゴンが近づいてくるのを貴族たちは浮足立った様子で待ち構えた。自ら給仕係のもとに向かうのは急ぎの時のみ、というのが貴族の大原則である。
向こうの方を練り歩く酒のワゴンにご機嫌になったアウレーシャを、未成年の少女はいぶかしそうに眺める。
「お酒ってそんなに美味しいんですの?」
「魔力の高いものはだいたい酒好きと決まっています」
そう言った年上の女に「やあ」と明るい声がかかった。
イダ家の姉弟、カレーナとレパーサである。
「あらためてこんばんは。2人とも見事な決闘とダンスでしたよ。アウレーシャ嬢、君も何か飲むつもりかい?」
「レディ・エリエッタは……未成年でしたわね」
「はい。カレーナ様、レパーサ様、いつもナフルの街をご贔屓にしてくださってありがとうございます」
運輸の街の次期管理者としてエリエッタが折り目正しくひざを折れば、イダ家の当主代行たちは頭を上げさせていつも世話になっているのはこっちだと破顔した。
「皆様お揃いでしたか。我が主人も皆様に加わりたいと仰せなのですが」
さわやかな声で割って入ったナーヒヤール・ボーカード青年の後ろには、長身のアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵が立っていた。
「ごきげんよう。皆様盛り上がっておられるようで。一時はどうなることと思ったが……」
氷冷と呼びならわされる青年は寄り添って並び立つ乙女たちに視線を向けると静かにほほ笑んで言った。
「大事が無く何よりだ」
とたんに乙女はぱっと顔を赤くしてうつむき、アウレーシャの腕をぐいと引いて早口で囁く。
「アウレーシャ様、あの、私のお化粧、変じゃないですか? お化粧直ししたのですけど」
「大丈夫ですよ、レディ・エリエッタ。それより皆さま、ワゴンが来ましたよ。何をお飲みに?」
話題を切り替えるようにアウレーシャが明るい声を上げれば、イダ家の姉弟もアドラフェルもおのずと笑みを浮かべ、給仕係に声をかける。素早く丁寧に差し出された酒を秘書官見習いが受け取って貴人たちに渡していく。
「アウレーシャはどれがよろしくて?」
にこにこと問いかけるカレーナ・イダに苦笑しながら妹分はワゴンの上に乗った色とりどりの瓶を眺めて、目当てのものを見つけると指さして「ロックでお願い」と言った。氷の入ったグラスに注がれたのはウイスキーだ。その隣でナフル家の令嬢もジュースを受け取って年上たちがいかにもご機嫌であることに首をひねっている。
「せっかくの夜会だ。ナーヒヤール、お前はどれが良い」
既にジンの入ったグラスを受け取っていたアドラフェルが問うた。夜会参加者の供はよろしいのですか、とにわかに慌てた様子である。
「構わん。ザマンもああ見えて酒豪でな、今頃どこかで飲みながらゆっくりしているはずだ」
面白がるように喉を鳴らして笑い、秘書官見習いをせっつく。
「では、ラムをストレートで」
ナーヒヤール・ボーカードが小さなグラスに注がれた褐色の液体を受け取ると、イダ家姉弟が声をかける。
「それでは改めて」
「皆様の成功と栄光に乾杯、ですわ」
各々がグラスを掲げて乾杯する。
年上たちがグラスに口をつけるのを眺めながら、エリエッタが首をひねる。
「魔力の高い者はお酒が好き?」
「習性のようなものです」
アウレーシャは微笑んで答える。
「我々は体内に魔力を宿しているわけだけど、その多くが血に宿っているのは知っているかい?」
旧き家系の弟が問うと、エリエッタは目を見開く。
「そう……なのですか?」
「昔から経験則的に皆何となく知ってはいたけどね。旧き家系が検証や実験を行って確定させたことなんだ」
「一方でアルコールは血流を良くする効果があるでしょう?」
「ええ。……あ、体中に魔力が効率よく巡る?」
ナフル家令嬢が弾んだ声で言うと、イダ家のレパーサとカレーナはにこりと笑う。
「魔力のめぐりが良い時は往々にして身体も気分も調子が良いものだからね、とくに魔力量が多い者はその影響を受けやすい。一度飲むと虜になるのさ」
「お酒にはリラックス効果もありますわ。ここ一番の時にはお酒を少々、なんて方もおります」
エリエッタもまたその魔王時代から続く貴族の末裔としてアドラフェルには及ばないまでもその魔力量は高いと言って差し支えない。
「とはいえ過ぎれば身持ちを崩します。旧き家系には何気に多いです、そういう方」
旧き家系バルワ家令嬢がウイスキーグラスを傾けながら言い加えると、旧き家系イダ家の子供らも苦笑する。
「ボクら旧き家系は、魔王時代終わってからも結構色々やらかしてるからねぇ」
「子孫が見てもぞっとする話も多いのですわ」
「あの時代に生まれていたらと思うと寒気がしますね……」
「全くだ」
「それはそうと、アウレーシャ嬢はよくレディエリエッタに勝てたな。正直意外だ」
「褒められた勝ち方ではありませんけれどね。昼間の訓練で騎士団と戦ったときに体力がなくなってきたところで最後のダメ押しをされましたからアレしかないな、と」
「私、ああいう戦い方があるなんて思いませんでした。まだまだ経験が足りていないと思い知ったところですの」
「ああ、そうだ。ナーヒヤール君はうまくやっていて? 推薦した身として気になりますわ」
ふとカレーナがアドラフェルに問うた。その隣で名前を出された秘書官見習いはびくりと身を固くした。
「良くやっている。行動に迷いがないのが良い。なぜこの優秀なのを推薦したのか気になるほどだ」
「優秀だから、ですよ。ボクらのように地位が固まっているものはともかく、そうでないなら色々と経験を積ませておけば最後は回り回ってボクらの利益になるかもしれませんから」
レパーサが「かわいい子には旅をさせよと申します」と言ったときだった。
バン、とホールの扉が開いて顔を青くした衛兵が現れ、息を整える間もなく叫んだ。
「緊急事態!」
何事かと人々が目を丸くする。衛兵は続けて叫んだ。
「ナフル伯にご報告いたします。現在、何か、巨大な何かがこちらに向かって進行中! 巨大な……何か、です!」
緊急時の報告としてあまりに不出来である。顔をしかめたナフル伯よりも早く声を上げたのはヒサール領主であった。
「魔女殿! 秘書官見習い殿!」
「はい、閣下!」
手の中のグラスもそのままに、アウレーシャとナーヒヤールはそれぞれ鋭く返事してバルコニーに出た。
そして、見た。
夜をかき分けてそれはやってくる。
月もない夜、星明りに照らされて黒々としたそれはやってくる。
街に近づけば近づくほど、運河沿いの明りに照らされて、その姿は克明になる。
巨大な何か、としか言いようがなかった。
3人はただ黙り込んだ。
魔獣のような気配をまとうそれの巨大さに、ではない。その形に、である。現れたその「何か」は人間に酷似した姿をしているのだ。
人間のような頭部、人間のような顔、人間のような胴体。長い髪を引きずりながら赤子のように四つん這いでじりじりと向かってきている。
「兵士たちはどうしている!」
アドラフェルは轟雷のような声で報告に来た衛兵に問う。
「全員恐慌状態です! 皆の足並みがそろわず、馬たちもおびえてしまい」
「兵士は街の住人の避難誘導をせよ!」
ヒサール領主の言葉に続いて、この地の主であるナフル伯爵が衛兵と傍にいた執事の名を呼んで指示を出した。
「住人は川沿いの商工会議所かこの館に案内せよ。避難の総指揮は私が行う。街の地図を出してくれ!」
「ナフル伯、アレの足止めと撃退はこの王国府魔術戦闘特別顧問が行います!」
ヒサール領の魔女が紅玉の瞳をらんらんと輝かせて、ウイスキーグラスをぐいと傾け、腰に下げていた杖を伸ばした。燭台を模した巨大な杖が持ち主の魔力に反応してきらりと光った。
「お父様、私も霧の魔法で領民避難を手伝いますの。アドラフェル様もどうぞ討伐に向かってください、街は我々におまかせを!」
次期ナフル領主エリエッタの言葉にヒサール公は力強くうなづく。
「ナーヒヤール、お前も参加してくれ」
「かしこまりました」
「ザマン、いるな!」
「もちろんでございますとも」
「お前はナフル伯に手を貸せ。人手などいくらでも必要だろう」
「心得ました」
アウレーシャがヒサール領主と秘書官見習いと共にバルコニーから外に飛び出そうとする。しかし、彼女の手を掴みフロアの方に引っ張ろうとする人々がいた。
「待ってくれ、アウレーシャ嬢!」
「待って、アウレーシャ!」
イダ家の姉弟であった。
「行くの? あれと戦いに?」
「だめよ、そんなの」
「ボクたち本当にアウレーシャ嬢のことが心配なんだよ。キミのことはボクらが守るから」
「お願いよ、今度こそ行かないで。私たちと一緒にいて」
思わずアウレーシャも足を止めてしまう。姉弟が本当に泣きそうな顔をしていたからだ。アウレーシャは分かっている。彼らが本当に自分のことを心配して親身になってくれていることを。
それでも、退かないと決めている。
「……行ってきます」
決然とした声で言って伸びる腕から抜けて駆けだす。アドラフェルとナーヒヤールとともにポンとバルコニーから飛び出した。
***
「アウリー、大丈夫か? 負担をかけているな」
「すみません、アウレーシャ嬢。身体強化は得意分野なのですがお力になれているか……」
今、バルコニーから飛び出した3人は、いつものごとく上下逆さにされた魔女の杖を頼りに空を駆け、街区を前にゆっくりと脚を動かす巨大な魔獣に向かっていた。
否、魔獣というのも気が引ける形である。何せ、人間のような形をしているのだ。
すぐそばから聞こえてくる心配そうな声に、アウレーシャは力強く笑ってやる。
「お2人のおかげで思っていたよりうまくいっています。やってみるものですね」
そう言った魔女のミスリル鋼の脚の防具には炎で形作られた鳥の翼が生えている。魔女の杖の補助があったとしてもさすがに3人分を支えて飛ぶのは無理、と言った彼女がこの土壇場で繰り出した飛行方法である。
身体強化を行う課程で魔力を体内に取り込み、そのサイクルが活発になると身体の周囲に発生する魔力の支配空間の性質を利用して、互いの身体をできるだけ近づけたアドラフェルとナーヒヤールを浮かせている。そのうえで彼ら自身も身体強化を行うことで、不完全ながらもその「支配空間」を身体の周りに作ってアウレーシャの飛行を補助しているかたちである。
「それにしても、ミゲルさんを一人で帰らせちゃいましたけど大丈夫ですかね」
ナーヒヤールの心配に問題ないとヒサール城主が答えた。
「彼は今でこそ御者をやっているが元はヒサール騎士団員だ。大概の魔獣は斬り伏せられる」
「……心配、ですもんね。ヒサール領も」
アウレーシャはそう言ってチラとアドラフェルの握る大戦斧を見やった。
異変を察した御者のミゲルはバルコニーを飛び出したヒサール城主に大戦斧を託し、同時にヒサール領に戻って領地の様子を見てくるように頼まれたのだ。
「今は明らかな問題に対処する。それに、ヒサール城にはバンダック率いる騎士団もいる」
ヒサール城主は硬い声で言い、しばしの沈黙の後に旧き家系の娘に問いかけた。
「……良かったのか、アウリー」
盟友の問いの意図するところを察して、アウレーシャはさわやかに笑った。
「アディの力になろうと思って魔女になって、還俗して貴族に戻ると決めた時点で、私の責務は民守ること。それを放り出すなどと、アディとナーヒャに顔向けできないようなマネはできません」
3人の脚の下では、人間のような姿をした魔獣と思しき生き物に、街の人々が混乱していた。兵士や馬が恐慌状態に陥ったのも無理からぬことである。しかしそれでもエリエッタの霧の魔法を筆頭にパーティー会場にいた貴族の数人が己の魔法を用いて住民の避難のための誘導に手を貸しているらしかった。
街区に近づこうとする人間のような姿をしたソレの歩みが遅いことが救いである。
魔女の足元の翼が大きく空を打ち、街区の端まで来ると、アドラフェルが雷と聞き紛う声を上げた。
「氷よ!」
途端に魔獣の足元が凍り付き、地面に縫い留められた。強固な足止めである。
それが不快だったのだろう。
街区の手前で止まった魔獣は四つん這いになったまま拘束から逃れようと身もだえし、そばにある監視塔や木々をなぎ倒しながら咆哮を上げる。いや、咆哮と言うよりも嗚咽と表現した方がふさわしいだろう。
魔獣の頭から体の後ろへだらりと流れる髪の毛はあちこちの木の枝に引っかかっており、その動きで木を引き倒す。だが、自身にそのつもりはないようで、倒れた木が体にぶつかると魔獣は困ったような顔で払いのけて、ぐずったように泣き出してしまう。
凄まじい音量である。街からは答えるように鳴き声が上がり、音の大洪水にぐわんぐわんと脳が揺れる。
しかしその中でもアドラフェルに迷いはなかった。
「氷よ、聳え立て!」
詠唱とともにあたりの空気が冷えたかとおもうと、ズドンズドンと続けざまに地を揺るがすような音がした。地面に巨大な氷の柱が幾本も落ちて、赤子のような魔獣の身動きをさらに封じたのだ。
アウレーシャたちは魔獣から一番離れた柱の上に降り立った。真正面に迫った魔獣の顔は人間のような顔をしているが、口や目の部分にはただ黒々とした闇が広がるばかりである。そしてその二つの闇がまっすぐに3人を見つめている。
「これを相手取るのですか」
ナーヒヤールが隻眼を伏せて芝居がかった仕草で肩をすくめる。
魔獣の高さは人の身をはるかに超える。シャマル王国の一般的な建築物は4階建てほどの高さだが、魔獣は四つん這いの状態でちょうどそのくらいの位置に目線がくるのである。
「ま、やるしかないですかね」
「街の方は動ける者たちが避難を進めているようだな。……まったく、コレを相手に戦えとは気の滅入ることだ」
嘆息したアドラフェルに、アウレーシャは勇ましく笑いかけた。
「とはいえ、民守ることこそ我らの役目。ナーヒャに恥じなくてよいように戦わなくてはね」
アウレーシャがそれもそうかとアドラフェルは目を伏せて笑う。肩をすくめ合う二人に、秘書官見習いは過ぎるほどに美しい笑みを浮かべて言った。
「そのお言葉を聞いたら喜びますよ、あなたたちのナーヒャは」
途端に盟友たちは子供の顔で頬をバラ色に輝かせ、そのまま昂りに任せて魔法を振るった。




