15話 乙女はそれを我慢できない
エリエッタに連れられ、アウレーシャはホールの端に移動する。成人済みの女は通りがかりの給仕から2杯目のレモネードをもらいエリエッタにも勧めるが、彼女は生真面目な表情で首を横に振った。
「18歳になるのは来年ですので」
「そうだった。レディ、あなた、とてもしっかりしているから忘れていた」
独り言のように呟いて、アウレーシャはグラスを傾ける。夜会で出されるレモネードは酒であり、17歳の少女が飲むには早い。
「……でも、どれだけしっかりしていても私は王国府魔術戦闘特別顧問にはなれませんの」
返事もまた独り言のような声色だった。アウレーシャは隣に立つ背の高い乙女に視線をやる。子供らしいあどけなさを残した愛らしい顔に悔しさを滲ませている。
「狩猟会には出られませんでしたから」
その口ぶりで、当代魔女はエリエッタがまだ社交界デビューしていないことを思い出す。
「ねえ、アウレーシャ様はどうして魔女に立候補なさったんですの?」
エリエッタが震える声で問いかけた。
返事は間髪入れず。
「どんな形でも良いからアドラフェル卿ともう一人、ナーヒャという子の力になりたかったからです」
エリエッタは言葉もなく、淡い緑色のレース飾りが施された手袋に包まれた手を祈るように組んだ。
「あなた、魔女になりたかったの?」
今度はアウレーシャが問いかける番だった。今日の日付でも聞くような口ぶりに対して、返事は唸るような「そうよ」だった。
「私は直接お目にかかったことはないけれど、フレイヤ様みたいになりたくて、私だってアドラフェル様の力になりたくてずっと魔法の訓練もしてきましたの。このシャマル王国の貴族の肩書に相応しくあろうとして。だけど……」
そこでエリエッタは言葉を切って唇をかんだ。
時の流れや運に勝てない瞬間というものが、世の中にはある。
「私も、アドラフェル様のお傍にいたかった。アドラフェル様のためなら私、何でもできるのに」
呟く声がわずかに涙にぬれている。けれど、エリエッタ・ナフルはここで泣いて終わるような乙女ではなかった。
「アドラフェル卿たちだなんて、浮気なあなたにも負けないのに」
銀灰色の瞳が雷のような鋭い光を放ちながらアウレーシャを睨みつけた。けれど彼女もまた退かなかった。紅玉の瞳の奥でチリチリと光が散っている。
「それはどうかしら。レディ・エリエッタ、あなたの恋心では私の覚悟には届かないわ」
言いながら、アウレーシャは微笑みを作り、そこで初めてエリエッタの顔を真正面から見据えた。
勝利を確信しているその声色に煽られて、少女は固い声を上げた。
「そんなの、やってみなければわかりませんの」
僅かに潤んだ瞳の中でギラギラと輝くのは衝動だ。それを見つめながら、アウレーシャは数日前にアドラフェルが言っていたことを思い出す。エリエッタ・ナフルとは気が合うかもしれない、という言葉。
(……なるほど)
アウレーシャは呆れたように、けれど親しみをこめて微笑む。
その笑みをどう受け取ったのか、エリエッタ・ナフル伯爵令嬢は宣言した。
「魔女様、わたくし実は今日、貴女に決闘を申し込むつもりでいましたの。だって貴女、ずっとアドラフェル様を想っている私を突然押しのけたんだもの」
冷静に、平静に、けれど決然とした声。衝動に突き動かされて吐き出される言葉。
その響きの固さをアウレーシャは知っている。
「八つ当たりなのは承知していますの」
「レディ、今私に勝ってもあなたが得られるものは何もありませんよ」
意味はないと知りながらも年上として咎めてみる。返事は案の定、毅然とした「分かっております」だった。
「ただ知りたいだけですの、魔女様、貴女のその覚悟とやらを」
そう言った令嬢のラベンダー色の髪が照明を受けてピンクや紫の輝きをまとう。その輝きは強力な魔法を使う予兆、あるいは強い意志の表れである。
「私、あなたと違ってずっとアドラフェル様ただお一人を想っていますの。その気持ちが浮気な貴女に劣るはずがありませんもの」
誰が何を言ったって止まりやしない、本人だって止まりたくても止まれない。アウレーシャも良く知るあの衝動のただ中に今、エリエッタはいる。
(……止められない。そうだ、止められない。そうと決めたら乙女は決して止まらない。恋などしているのならなおのこと)
もう一度アドラフェルの言葉を思い出し、アウレーシャは今度こそ声を上げて笑った。エリエッタとアウレーシャはとんだ似た者同士、気が合うに決まっているのだ。
「魔女様、お答えは」
問われて当代の魔女は堂々とした声で答えた。
「ええ、ええ、よろしくてよ。私だけ衝動に身を任せて他人がそうするのを咎めるなんて不公平ですもの。この決闘、お受けします」
私の覚悟、見せて差し上げる。
唸るような声でアウレーシャは言った。何より、アディとナーヒャの2人を等しく大切に思いそのために腕だって命だって賭けても良いと思う気持ちが気まぐれで移ろいやすい浮気なもの、などと言われて黙ってはいられなかった。
***
パーティー会場はにわかに騒がしくなった。それまで一見和やかに話していたはずの令嬢2人が突然決闘をすると言い出すのだから当然だ。どうしたことだと客人たちは互いの顔を見合わせる。
「なにも今からやらなくてもいいじゃないか」
「なんだ、古き家系の娘がまた何かやらかしたのか?」
「いや、レディエリエッタ曰く、乙女の矜持の問題だとか……」
「魔女様はともかく、エリエッタ嬢は代理人をお立てにならないのか?」
「貴公、知らんのか。彼女は文武両道の才女であるぞ」
そんな人々のざわめきを鎮めたのもまた当人であるエリエッタ・ナフル伯爵令嬢である。
「お父様には申し訳ないけれど、今日は私、最初からそのつもりだったので。それからシャマル王国決闘法では、決闘は当人たちに決闘の意志が確認された場合、その場ですぐに行うのが原則です」
気圧される人々にそのまま令嬢は続けて言った。
「決闘法に従い、武器は剣のみ、魔法の使用は不可。ただし魔力による身体強化と武器への魔力付加は可能」
17歳の少女の言葉に人々は戸惑い、すかさずナフル家の秘書官が持ち出してきたシャマル王国決闘法典を開いてのぞき込む。
「た、確かにそう書いてあるな……」
「レディエリエッタはこの内容を把握しておられるのか」
半ば呆れたようなその物言いは、当り前です、と一蹴される。
「貴族たるものより、より良い生活とより良い社会運営のために法典の把握とその解釈は必須事項ですの」
彼女が年上の貴族たちに向ける視線はもはや睨んでいる、という表現の方がふさわしく、その顔立ちはやはり何となく遠戚であるアドラフェルを思い出させた。
「ええと、それで他には……」
決闘の立会人となったナフル伯爵とヒサール公爵が法典のページをめくるが、目的の項目にたどり着くよりも早くエリエッタが言った。
「ただし、シャマル王国決闘法特別条項に従い、魔女の称号を持つ方は身体強化のみ。武器への魔力負荷は禁止となります」
構いませんね、と念を押すように問われてアウレーシャは首を縦に振った。年下の少女を前に「そんなのは嫌だ」と文句を言う気にはなれなかった。かといって負ける気もない。年上としての矜持、魔女としての矜持、そしてアディとナーヒャの盟友としての矜持が彼女にはある。
ヒサール家の秘書官ザマンと見習い秘書官ナーヒヤール・ボーカード、そしてナフル家のメイド長と執事長が決闘者たちに剣を渡し、それぞれが位置につく。
それを確認すると、立会人である伯爵と公爵が決闘の開始を告げた。
少し離れたところから決闘を見物する人々は感嘆の声を上げていた。
「これは……さっきからずっとエリエッタ嬢が押しているな?」
「魔法の使用には制限がありますから、純粋な剣技での勝負ともなれば無理ないことです」
「エリエッタ嬢は剣術においても達者でおられたか」
「アウレーシャ嬢は……どちらかというと防御に徹しておられるな」
「しかし身体強化の精度は凄まじい。レディ・エリエッタの魔力をまとった剣を普通の剣で受け止めている」
「確か魔女殿が修道院で学んだ戦闘技術は魔法に特化していると聞きました」
「しかし、結局お2人は何が原因で突然決闘などすることに?」
「乙女の矜持の問題、だとか」
「なるほど矜持の問題ならば仕方ない。こと、乙女が覚悟を決めて動く時には魔王より強しと申します」
「ま、あのバルワ伯爵家の娘がやらかしたり、当人たちの関係が悪くなるのでなければそれで良い」
「それもそうだ」
人々はいっそあきらめにも似た穏やかな気持ちで、着替える時間が惜しいとドレスをまとったままの乙女たちが剣を振る様子を見守ることにした。
しかし当の決闘者たちはそれどころではなかった。ことアウレーシャにとっては、エリエッタ・ナフルはこれまでで一番の強敵にも等しかった。何せ、一番得意な魔法の使用が禁じられているのが痛い。そのうえ、武器への魔法付加は禁止である。
(そのうえで、強い!)
騎士たちのような、型を叩きこまれているからこその正確無比な剣捌きが隙も無く繰り出されている。アウレーシャはなんとかそれを身体の正面に構えた剣で受け止め、時に避けてしのいでいる。正直、剣の腕に勝敗が左右されるこの決闘でエリエッタに真っ向から勝負を挑んでも勝てないのは目に見えている。
魔女の称号を得るほど魔法と魔力の扱いに熟達したアウレーシャなら魔女の杖の補助がなくとも空を飛ぶことはできるが、それでは魔力の消費も激しく勝ちに行くことがなお遠くなる。
そんなことを思いつつ、アウレーシャはパッと大きく後ろに飛びのいた。魔力による身体強化があればこその動きである。
エリエッタは一瞬立ち止まって息を整え、再び大きく踏み込んで剣を差し向ける。
(まだ……まだ、もう少し)
その攻撃を防ぎ、かわしながら、アウレーシャはじっとエリエッタを見つめて機会をうかがっている。
「アウレーシャ様、貴女の覚悟とやらはその程度ですの?!」
カツンとヒールの音も高らかに、ラベンダー色の髪を舞わせて剣先が迫る。摸造剣ではあるが当たれば怪我もする。こんどはパッと斜めに飛びのくと、剣が追撃する。
「逃げ回って、一度も私に、剣を向けもなさらないッ!」
エリエッタが繰り出すのは刺突を中心とした動きである。隙の無い剣を、アウレーシャはとっさに後方に避けてかわす。
「やっぱり、口先だけ、ですの?」
少女は肩で息をしながらあざけるように笑って言った。
「ずっと、ずっと、アドラフェル様を想ってきた私の恋心が、アウレーシャ様のそんな中途半端な気持ちに敵わないなんてあるものですか!」
キッと鋭い目がアウレーシャを睨みつけた。そのまま真っすぐに剣が迫る。
「他の誰がアドラフェル様に恋をしたって、私に敵うことはないの!」
銀灰色の瞳がピカリと光り、ラベンダー色の髪がひときわ鮮やかに艶めいて、アウレーシャに襲い掛かる。
けれど。
「……レディ・エリエッタ、まさか貴女、勘違いをしているのでは?」
アウレーシャは退かなかった。むしろ己の剣を構えて真っすぐにエリエッタに向かっていく。
「何ッ?! 勘違い? どういうこと?」
勝利を確信していた少女はとっさにその攻撃を剣でいなし、荒く息をしながら顔をしかめる。ここに至るまで、なかなかまともに剣を打ち合わない相手に一方的に攻撃を仕掛けてきたエリエッタは明らかに体力を消耗していた。
すかさずアウレーシャはヒールを履いた足でガツンと大きく一歩踏み込み、剣を突き出す。エリエッタの体力が切れるころをずっと狙っていたのだ。
「私がアディの力になりたいこの気持ちが、まさか恋だとでも思っているの?」
アウレーシャ・バルワは嗤った。鼻で笑うそれは次第に愉快で仕方ないといった笑いに変わる。
「あはッ、あははははッ」
無邪気にも聞こえる笑い声に、後方の飛びのいて攻撃をよけた少女は剣を構えなおしながらも怯んだ。
「ねえ、レディ・エリエッタ」
その隙をつくように、笑いをにじませたアウレーシャは魔力で強化した身体で一気にエリエッタとの間合いを詰めて、囁くように言った。
「正気のままで腕の1本、命の1つ捧げたってかまわないこの衝動が、あなた、恋だと言うの?」
エリエッタが目を見開く。
誰もかもをあざけるように嗤いながらもわずかに恍惚としたその表情は、どこか幼い顔立ちの魔女に妙な迫力をを与えている。
それに気圧され、エリエッタが応戦するよりも早くキンと高い音がして、疲労で僅かに震えていた彼女の手から剣がはじかれた。
夜の庭園にエリエッタの握っていた摸造剣が転がった。おぉ、と少し離れたところのギャラリーから感嘆が漏れる。
「……決闘は、先に武器を手放した方が負けですの」
しばしの沈黙ののち、エリエッタが呟いた。
「勝者、アウレーシャ・バルワ」
立会人であるナハル伯爵が厳かな声で宣言した。
淑女エリエッタはそれに異を唱えずぐっと黙り込む。けれど、次第に眉間にしわが刻まれて銀灰色の瞳が滲み始める。
「でも、でも、私だってアドラフェル様が好きなんですの……」
そしてペタリとその場にへたりこみ、ぼろぼろと涙を流した。
「私だって本気ですの。ずっと、ずっと……!」
うずくまり、すんすんと鼻をすすって頬を濡らす少女にそっと歩み寄ったのは当のアドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵であった。
「エリエッタ嬢」
静かな声でその名を呼んで彼女の傍に膝をつく。気難しそうな顔ばかり見せる男は、今ばかりはその険しさも鳴りを潜めて、ただ気遣いばかりを伝えようとしている。
「気を揉ませてすまない」
真っ先にアドラフェルが口にしたのは謝罪だった。
泣き顔を見られまいとしていたはずの少女はとっさに顔を上げた。
「ただ、俺は今のエリエッタ嬢の好意を受け取ることはできない」
「……どうしてですの?」
「貴女がまだ幼いからだ」
「そんなことありませんの。私、来年には18になるんですのよ」
手を拳にして固く握り、少女は言い募る。けれど10歳近く年上の男は首を横に振って静かな声で言った。
「貴女はこれから社交界に出て、もっと沢山の人に出会うことになるし、俺より魅力的な人に出会うかもしれない。あるいは恋よりもっと夢中になれることを見つけるかもしれない。俺は貴女のそういう可能性をつぶしたくはない」
分かるか、と問われてエリエッタは丸い瞳を潤ませる。
「……分かりません。でも、アドラフェル様が私を気遣ってくださっていることは分かります」
そうして少女がうつむいた。ポタポタとかすかな音を伴って、庭園のレンガ敷きを丸く濡らす。父親であるナフル伯爵は、娘の傍にそっと膝をついて彼女の背を撫でて言った。
「なあエリー、お前はアドラフェル卿に嫌われたわけじゃないんだ。ただ、もう少しお前が大人にならないといけないって話だよ」
けれど、片思いを募らせる少女は必死に首を振った。
「でも、そんなこと言って、それより先にアドラフェル様がご結婚なさったらどうするの……」
ひぅ、ひぅ、とひきつったような呼吸が痛々しく、思わずアウレーシャもその場に屈みこんで令嬢の肩をそっと撫でて出来るだけ優しい声で言った。
「レディ、これはここだけの極秘情報ですけれどね、アドラフェル卿ご自身がしばらくは結婚するつもりはないってついこの間おっしゃっていましたよ」
ねえ、と当の本人を見やれば苦々しい声で同意がある。それでようやくエリエッタはゆっくりと顔を上げた。涙で重く濡れた長いまつげをパシパシと瞬かせ、キョトンとした表情になり、しばらくの沈黙ののちに。
「……それなら良いです」
そう呟いた。
そしてゆっくりと魔女を見やって、幼子のような声で言った。
「ねえ、魔女様、アウレーシャ様。私、貴女のような淑女に初めてお会いしました。良ければお近づきになってくださる?」




