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14話 謎はいまだ深く

 乙女は銀灰の瞳で魔女アウレーシャ・バルワを睨む。その眼差しに彼女の遠戚であるアドラフェルを思い出し、アウレーシャは小さく微笑んだ。愛らしい、というのが正直な感想である。淡い緑と白を基調にしたドレスがそう思わせるのはもちろんだが、|アドラフェル卿の傍にいるアウレーシャに警戒をあらわにする態度がいかにも健気なのだ。


「ちょっと」

 声は荒げず、けれど強い語調で年若いエリエッタ・ナフル伯爵令嬢はその笑いを咎めた。それにすら年上の女は「失礼」と言って笑みを深める。

「あなたのおっしゃる通り、私が王国府魔術戦闘特別顧問、魔女アウレーシャ・バルワです。それで、ええと?」


 首をかしげた魔女が何か言うよりも早く、ナーヒヤールが答えた。

「エリエッタ嬢、お答えしたいのは山々なのですが、閣下はひとりであいさつ回りに行ってしまわれたようで」


「レディ・エリエッタ、よろしければ閣下がお戻りになるまで私たちとお話ししませんか?」

 微笑みながら落ち着いた声でそう言う年上の女を見下ろして、エリエッタはすねたような顔をする。けれどそれも一瞬のことで、よろしくてよ、と返事して主催者の娘らしく給仕にジュースを持ってこさせてアウレーシャと、それからナーヒヤールに供した。


「そちらのお付きの方も遠慮なくお飲みになって。魔女様はこの街にいらしたのは初めてですの?」

「初めてです。美しい街並みですね。運河沿いに大きな建物がいくつかありましたが、あれは?」


「あれは倉庫と、商工会議所です。この街は運河と船を使った運輸の街、街やわたくしの家の名であるナフルとは川を意味するシャマル古語ですの。生活に必要な豊富な水があることからシャマル王国が今の形になる前からこのあたりには人が集まって集落のようなものを作っていたとか。魔王時代の最後、勇者一行はあの川を下って魔王城に向かったという逸話もありますの」

 伝説の勇者様はアドラフェル様のご先祖にあたりますの、と令嬢は心から嬉しそうに笑った。


 そこに、年かさのメイドがやってきてエリエッタに声をかける。首を縦に振った彼女はアウレーシャに優雅に一礼した。

「会場の準備が整ったようですわ、どうぞ今晩は目いっぱいお楽しみになってくださいね。それではまた後ほど」


 令嬢は踵を返して足音高く歩いていく。どうやら母親の元に戻ったらしい。母親に別段甘える様子も見せない少女の横顔を遠く眺めながら、バルワ家の娘は音信不通の実家を思い出す。

(……ま、実家も今の私に文句を言うわけでもないしもう良いか)

 けれど、あまり深刻になることも無かった。何せ、アウレーシャは彼女自身が一番大事にしていた約束の半分くらいを果たせてしまったので。


「それにしても、エリエッタ嬢は本当に閣下のことがお好きなんですね」

 ナーヒヤールが半ば感心したように言う。全くその通りだとアウレーシャは頷いて、向こうの方から戻ってきたアドラフェル卿に手を振った。


「すまん、つい反射で逃げてしまって」

 血濡れの氷冷公と呼びならわされる青年は眉間にしわを刻みながらため息をつく。その目は向こうでパーティー会場に入っていくラベンダー色の髪の令嬢を見つめている。


「恋されるのがおいや?」

「気まずいのだ。そういうつもりがない相手に一方的に恋をされるのは。向こうが本気で大真面目に一生懸命になっているのが分かるぶん断るのも心苦しい」

 単にはしゃいで纏わりつくだけならいくらでも断れるが。

 そうつぶやいた美丈夫は、それでも背筋だけは伸ばして歩き、パーティーのメインホールに向かった。

 

 メイン会場として解放されたホールに客人たちが入ると主催であるナフル伯爵のあいさつがあり、それが終わると音楽が響き始めた。部屋の端のソファに腰かけて歓談に興じる者もいるが、人々は近くにいる者や気になった者と手を取り合って踊りだす。


「どうだアウリー、俺たちも踊るか」

 アドラフェルが子供のように笑って黒手袋をした手を差し出す。釣られるようにアウレーシャも目をキラキラさせ顔いっぱいの笑顔を見せてその手を握り返す。

「うん!」

 触れ合う手はいつも暖かく、音楽に合わせて靴音も弾みだす。


「足を踏んじゃったらごめんなさいね!」

「その心配もなさそうだがな! 修道院で踊りは」

「貴族教育は一通り受けましたから」

 そうだった、とアドラフェルは言って、穏やかな顔で笑う。


「ナーヒャを思い出したよ。大人たちのまねごとをして、あの園遊会の庭で、3人で踊ろうなんて言ったのは彼だった」

「3人でもつれあってくるくる回って、最後は大笑いしてた」

 魔女は微笑み、そのまま言った。


「そういえば、魔獣調査なんですが明日朝に解体を行うことになりました」

「明日は休養日ではなかったか?」

 くるりとターンし終えた魔女は「そうなのですけれど」と言う。


「ここ数日、随分と春めいているでしょう。死体が腐るからあまりモタモタしていられない、というのと、実は今日の夕方届いた王国府からの手紙でなるべく早く内臓まで調べて報告をするようにせっつかれまして」


 ヒサール領主は片眉を上げながらペアの背をホールドしなおす。身長差のせいでアウレーシャの腰に手を回すのには無理があった。


「私が王国府魔術戦闘特別顧問として中央に出した出撃報告第1報に記載した情報から、防衛局は件の魔獣をここしばらくあちこちで暴れていた魔獣だという見解を固めたようです。とはいえ、一番大事なのはあのイレギュラーな魔獣がなぜ存在しているのか(・・・・・・・・・・)、ですから」


 それで事情が分かったらしい。なるほど、と返事したヒサール領主は曲が終わったのをいいことに魔女をバルコニーに誘い出す。今話したい内容であり、他人に聞かれたくない話でもあった。


「アレの出所を探る必要がある、か。この数日で俺に報告がなかった時点で察してはいたが、魔獣の外側には目立った魔術の使用痕などは無かったのだな」

「その通りです。魔法研究の専門家たちと共に私も過去の出撃報告の写しや図鑑とも良く照らし合わせましたがアレは全くの新種のように思えました」


 とヒサール領の魔女は前を見据える。バルコニーからは運河を中心に広がるナフルの街の明りが見える。

「だとすれば、あの魔獣の出どころの手がかりはきっとその内側、内臓にあるかと。……まあ、あの牙の魔獣は内側から燃やしてしまったのでアレなんですが」


 戦場では大音声を上げる魔女が、今は言葉を濁して頭を掻いた。そして、気を取り直すようにアドラフェルの顔を見上げて水を向ける。

「そちらはどうですか?」


「秘書官見習い殿の調査は進展なし。魔獣の方は、前に話した通り捕獲・改造の線で調べている。ただ……」

 血濡れの氷冷公が言葉を濁す。閣下、と鋭い声が話を聞かせろと言外で訴える。こうなるとアウレーシャが止まらないのを知っていて、公爵はひそめた声で言った。


「もしもそうだとするとどこぞの貴族が資金と場所を提供しているとしか思えない。その上で、魔法に深い造形があるか、天馬の品種改良に関わったか、そういった知識にアクセスできる者……」

「場所の見当は?」

「改造する魔獣の捕獲が簡単、という点から各地にある瘴気の穴の近くだと踏んでいる。その上で、中央からの監視の目を避けるためにも東方と王都付近は候補から外れるはずだ」


 旧き家系の娘は首を縦に振る。

 東方独立未遂事件があってから、この事件の旗頭に担がれた東方辺境領領主はその座を下ろされ爵位を剥奪されたうえで処刑となった。今では当該地域は王国府の直轄領になっている。


「同様の理由で、王国府からの戦力が派遣されている我がヒサールの周辺は避けるだろう」

 そこまでよどみなく小声で喋るアドラフェルに、アウレーシャは眉をしかめた。


「それは……ほぼ答えじゃありません?」

 声はわずかに震え、唇は心なしか血の気が失せているようにも見える。


「いや、そうとも限らん。独立事件以来、事件への関与の有無を別にして旧き家系は軒並み領地を減らされただろう。その上で最近は、家計の都合で領地を手放す貴族も多いしこれを買う平民も多い」


 眉間にしわを刻むアドラフェルの横顔を眺めながら、旧き家系の娘は苦い顔をした。世知辛い話であり、他人事でもない話である。

「所有関係がめちゃくちゃになっている、のですね」


「それに、俺はあくまでもヒサールの領主だ。公爵位と辺境領領主の権限をもってしても他家の領地に戦力を伴って入ることはまかりならん。そのうえで、これはあの魔獣が人間の手で改造されたもの、という前提があって初めて成立する話だ」

 そこまで言ってヒサール公爵はバルコニーの柵に体を預けて嘆息する。

 嫌な予感ばかりする。

 つぶやきは吐息に紛れて吐き出される。柵の上に乗った手が強張っていた。


「ま、俺にできるのはせいぜい明日の報告と合わせてこの見解を中央に報告することだけだ」

 しばしの沈黙の後に、アドラフェルは顔を上げて背筋を伸ばし、18年来の盟友に微笑みかけた。安らいだような穏やかな表情のままで思い出をなぞる。


「今まで、こういう時に俺はいつもナーヒャとアウリーのことを思い出していた。なんというか、そうすると元気が出る。領主になった俺を手伝って助けると言ってくれた君たちに恥じない自分であろうと、自分の誓いが新たになるようで」


 その言葉で、アウレーシャの心臓が強く脈打つ。おのずと口の端が弧を描いて勇ましく自信に満ちた笑みが浮かび、頬がバラ色に輝く。紅玉の瞳は強い意志のようなものをみなぎらせている。

「……うん、私もだよ。ナーヒャとアディのためなら、なんだって出来る気がする」

 その力強い声につられてアドラフェルもまた勝気に笑う。


「あとはナーヒャが元気にしているといいのだが」

「まったくね」

 もう一人の盟友はどうしているだろうかと2人が視線を動かすと、視界の端にもう一人のナーヒヤールが見えた。秘書官見習いは2人に気づくと、両脇に陽気な男女を連れてバルコニーに顔を出した。


「お2人とも、中でレモネードでもいかがですか? こちらのご姉弟を筆頭に、皆さま閣下や魔女様とお話ししたそうですよ」

「ええ、そうよ! アウレーシャ、お元気でいらっして?」

「アウレーシャ嬢、会えてうれしいよ!」

 濃い緑を基調に明るい橙や桃色のさし色が入った品の良い格好に身を包んだ陽気な2人組がバルワ家令嬢に駆け寄った。


「カレーナお姉さまに、レパーサお兄さま? いらしてたのですか?」

 迷わず抱き着いてくる世話焼きの年上たちに、その妹分は目を丸くした。

「南方のイダ家の所領からは随分距離があるでしょう?」


 抱擁を返してやることもできず下ろしたままの手をぎゅっと握って問えば、双子の姉弟はにっこり笑って言った。

「我らがイダ家は畜産業をやっているからね! 諸々の物資の運搬にはこのナフルの街にお世話になっているのさ」

「顧客を増やすためにもこういう場にはわたくし達が出ていますの。当主も農場の経営主も名目上は父ですけれど、実質的にはわたくしたちが行っている状態で」

「とはいえ動物の管理自体はずいぶん昔からボクとカレーナでやってるんだけどね」

「さぁさ、お仕事の話はここまで。ヒサール公もフロアに参りましょう」


 そうしてイダ家の姉弟に連れられて、アウレーシャとアドラフェルは戸惑いながらホールへ戻る。その二人を待ち受けていたのは今晩の夜会主催者の娘、エリエッタ・ナフルであった。

「ごきげんよう、ヒサール公爵閣下。ご挨拶できて嬉しゅうございます」


 令嬢はドレスの裾を持ち上げて一礼する。それに合わせてラベンダー色の長い髪がサラサラと揺れて肩から流れた。


「私と踊っていただけます?」

 顔を上げた少女は真剣な顔でアドラフェルにそう言った。彼女の後ろで例の年かさのメイドが困ったような顔をしている。その少し離れたところにいる父親のナフル伯と目が合うと、彼は何とも言えない複雑な顔をして公爵に一礼した。


 アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵はひとつ呼吸をして、エリエッタ嬢に歩み寄ると彼女の手を取った。

「私で良ければ」

 途端に少女は笑みを浮かべて言った。

「はい、はい! 私、アドラフェル様が良いんですの!」


 2人が流れてくる音楽に合わせてホール中央で踊るのを眺めながら、アウレーシャは手渡されたレモネードのグラスを傾けていた。

「ヒサール公はアウレーシャ嬢といる時が楽しそうだね」

 ふとそうつぶやいたのはレパーサ・イダだった。


「そう見えますか?」

「うん。……それはそうとアウレーシャ嬢、お仕事はどうだい? なかなか大変だろう?」

「ま、貴族に休みなんてあって無いようなものですけれどね」

 イダ家姉弟の言葉に新任の魔女は苦笑して賛同する。

「たしかに大変な事もありますが……楽しいです」


 誇らしげに呟いた妹分の横顔にどう思ったのか、カレーナ・イダは彼女をぎゅっと抱きしめた。

「私たち、いつでもあなたの味方よ、忘れないでね」

「……ありがとうございます」

 今度ばかりはその手を引きはがす理由もなく、アウレーシャは苦笑して大人しくイダ家の双子のしたいようにさせてやった。彼女が修道院にいたころから、この双子の姉弟がアウレーシャを気遣っていたのは事実だった。

 

 そうこうしているうちに曲が終わり、ホールの中央ではダンスの輪に加わっていた人々が入れ替わる。その輪を切り裂くように、カツカツと鋭い足音が響いた。


 アウレーシャが何事かと音のする方に視線を向けると、エリエッタ・ナフル嬢が肩で風を切るようにまっすぐ己に向かって歩いてくる。唇をとがらせ眉間にしわを刻んだその顔には焦りや苛立ちが滲んでいる。そして、ヒサール領の魔女の前にたどり着くと、張り詰めた声で言った。

「魔女様、ちょっとわたしとお話しませんか?」

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