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10話 あの日魔女は死んだ

「失礼します、レディ・アウレーシャ。王都の服飾工房からお荷物でございます」

 翌日、ヒサール領主の老秘書官が魔女の執務室を訪れた。扉を開けてそれを迎えたアウレーシャは、差し出された荷物を受け取り意外そうな顔をする。つい数日前の狩猟会閉会の日にアレンジを頼んだ特別職用の官製戦闘服がもう届いたというのだ。


「王国府の制服扱いですから早馬で届きましたよ。お手紙が付いておりますが、お返事を早馬にお預けになりますか?」

 油紙に包まれた洋服の上には随分軽くなった金貨袋と手紙が乗っている。手紙には、残りの金貨の額とアウレーシャの今後への祝福の言葉とともに、ヒサールではあの仕立屋の師匠が店をやっていると書かれていた。仕立ての予定があるなら別添えの採寸のメモをもっていくと良い、とも。


「返事を書きますから少し待ってもらっていてください」

「焦らずとも結構です。もう昼時ですから、昼食を食べさせてから王都に戻ってもらう予定です」

 ザマン秘書官はそう返事すると城の前庭に向かっていく。アウレーシャは届いた戦闘服に早速着替えて、ミスリル鉱の防具を身に着けた。


 礼服扱いの官服と違い破れ汚れるのが前提とはいえあまりに地味だった衣装は、きちんと見栄えのするデザインに生まれ変わりながらも、着心地がよく動きやすい。付属のベルトには短くした杖やペンをさせるようにアレンジがされている。さらには、マント代わりの金糸で王国府の紋章が刺繍された緋色の腕章と、鮮やかな青地に銀糸でヒサール領の紋章を刺繍した腰の飾り布。至れり尽くせりである。


(正直、思っていた以上のクオリティで完成してる……腕章も飾り布も魔力耐性のある糸で作られてる)

 部屋に取り付けられた鏡で自分の姿を確認すると、彼女はすぐに執務机のそなえつけられた手紙用の用紙に仕立屋の腕を褒める文章をしたためた。封筒に仕舞ったそれを持って城の前庭に出ると、天馬を引いた騎手がちょうどそこに立っていた。彼に手紙を預けたアウレーシャは人心地付いたと背伸びをする。


「お疲れ様でございましたな、アウレーシャ様。新しい戦闘服もよくお似合いです」

「これはどうも、ザマン秘書官。少し早いですが一緒にお昼にしませんか? お忙しくなければ、ですが」

「アドラフェル様のお傍は今ナーヒヤール殿に任せておりますので構いません」

「大丈夫なんです? 見習いに任せて」

「午前の遅い時間はお茶を淹れて昼食を食べさせるのが主な仕事ですから」

 そう言ってウィンクした秘書官にアウレーシャは苦笑する。


「食事をしそこねるタイプですか、閣下は」

「ええ、忙しさにかまけて。まったく、休める時にも休まないのはアドラフェル坊ちゃまもあなたも同じです」 

 大食堂に立ち入った老秘書官はそう言って小さくため息をつくと、手近にいた給仕係に昼食を包んでくれと頼んだ。大食堂の向こうの方では昨日の朝も今朝も領主執務室にいた若い官吏が早めの昼食をとっているらしい。


 すみません、新任の魔女は肩を落とした。

 給仕係がバスケットをもってきてザマンに渡した。今日の昼食のメインは、昨晩倒した魔獣の肉だという。


「謝ることではありません。ただもっとご自身を大事になさってほしいのです。それは多分アドラフェル坊ちゃまも同じようにお考えのはずです」

 あの年若い領主を生まれたころから知っているという年長者の言葉に、新任の魔女は顔を上げる。背筋をピンと伸ばして城の端にある細い塔を上りだしたザマンは間違いありません、と念を押すように言った。


 どこに向かうつもりだろうと戸惑いながら、その細長い背を追いかけるアウレーシャは今朝のことを思い出す。


 昨日と同じように朝の始業時間に領主執務室に向かった新任の魔女は昨晩の出撃報告書を携えていた。それをヒサール公爵に差し出すと、彼はあの鋭い目で射抜くように彼女を見て言ったのだ。

「昼に間に合えば良いと言っただろう」


 僅かににじむ非難を感じ取りながら、アウレーシャは眉間にしわを寄せた。

「こういったものは早い方がよろしいかと」

「きちんと寝たのか? あの後、警備の兵から周囲の森の上空を飛び回る赤い光の筋が見えたと聞いているが。我が領で空を飛び回れる者など貴官しかおらん」

「それは確かに私です。睡眠は仮眠を少し。あのあと外に出たのは、昨日の最初の攻撃で魔獣を逃しましたから、念のために」

「仕事熱心なのは結構だが、その直前に俺が言ったことをもう忘れたか。魔女の任務とはいえ夜更けに出回るのはやめろ。おまけに睡眠時間を削るとは」

「どなたがどのようにおっしゃろうと、私は責務として盟約としてなすべきことをただ行うだけです」


 大声は出さないものの、張り詰めた声色で会話するヒサール領主と王国府の魔女にその場にいた誰もが戸惑っていたようだった。結局、その場は秘書官見習いのナーヒヤール・ボーカードがその話は今するべきではないと2人をいさめたのだが。


(あれは良くなかったよなぁ……)

 アウレーシャも別段、任地とトラブルを起こしたいわけではない。ただ、どうにもアドラフェルの態度がよくわからない。 

 アウレーシャが黙って足を動かしていると、老秘書官は立ち止まり、柔和に笑って言った。塔の中は暗くひんやりしていたが、高い窓から降り注ぐ光が眩しかった。 


「ここでお昼にしましょう。ここはもうほとんど使われていない物見塔でしてね。ゆっくりおしゃべりをするにはもってこいです」

 石造りの階段に座り込んで、抱えていたバスケットを置いて分厚い肉を挟んだパンを取り出すと新人に渡す。アウレーシャは大人しくその隣に座って、昼食を受け取った。


「それにしても、王国府騎士団の撤退はあっさりしたものでしたね」

「狩猟会の御前会議より前から内定していたことですからな。防衛府大臣閣下も撤退準備を急がせておりましたし」

「街の人たちも態度もなかなか露骨で……」

「まあ仕方ないことでしょう」

 ザマンは肩をすくめた。王国府から派遣されていた騎士団は午前の早い時間に隊列を成してヒサール領を出て行ったが、これを熱心に見送る者はいなかった。ただ、幼い子供らが彼らを指さして「一番に逃げた人!」「魔獣と戦って泣いてた人!」と無邪気に声を上げているのは見ていられず、さすがに街の者たちも咎めていたが。


「……これは私やメイヤのような、先代領主閣下やその奥方であったフレイヤ様に近しい者しか知らないことなのですが」

 その後はしばらく黙って昼食を食べていたザマンだったが、ふとその手を止めてそんな風に言った。その横に座り込む伯爵令嬢は大きな口でパンにかぶりつきながら首を縦に振る。


 世の貴族であればはしたない、と言われるような食べ方だが、荒っぽい振る舞いなら狩猟会で散々見せているので今更だった。

 その様子にザマンはわずかにほほ笑んで静かな声で言った。

「アドラフェル様は、今回こうしてヒサールに魔女を招くことに反対しておられました」

 アウレーシャは僅かに目を見開いたが、何も言わず続きを促す。


「アドラフェル坊ちゃまのお母上であるフレイヤ様が亡くなったのは……ひとえに、王国府から派遣された魔女だったから、と言うしかありません」

 老秘書官は顔を伏せる。

「アウレーシャ様も疑問に思いませんでしたか。なぜヒサール領の牽制のために派遣された魔女であるフレイヤ様がそのヒサール領主との婚姻に踏み切れたのか」


 新任の魔女は首を縦に振り、肉を飲み下して言う。

「一筋縄ではいかなかったはずだと思っていました。本来であれば監視役と監視対象が近しくなるのは望まれないことです。こと、王国府は嫌がったはず」


「国王陛下がお許しになったのですよ、ヒサール公爵の忠誠に揺るぎはないと宣言して。当時既にヒサールでのフレイヤ様の人気も高く、お二人の交際を祝福する声が強かったので、彼らの婚姻を却下すればヒサール領で暴動が起こりかねないと、それを危惧してのこともあったのでしょうが……」


 しかし、国王が許したからと言って全ての者が納得するわけではない。ヒサール領主への批判はもちろんのこと、王国府周辺では魔女フレイヤを裏切者、売女ばいたとののしる声も上がった。王国府の各部局長の中にも彼女を強く批判する者が多かった。


「一時はフレイヤ様を解任し王都に帰還させるという話も上がったほどです。けれど、フレイヤ様がご懐妊かいにんなさっていることが分かり、彼らもしぶしぶ意見を変えました。生まれてくる子供に罪はない。まだ存命で、しかも善良な両親から子を引き離すのはあまりに酷だ、と」


 そうして魔女フレイヤは任地であるヒサールにとどまり、その地で子供を産むことを許された(・・・・)。生まれた子供こそ、アドラフェル・ヒサール・ユリスナ公爵、現ヒサール領主である。


「奥様……フレイヤ様は世間の批判をよく理解しておりました。それ故、妊娠中も自らの潔白と王国府への忠誠を示すために今まで以上にその職務に励んでおられました。時にはヒサールの街で王国府は敵ではないと説いいて回り、産後もそういった活動を続けられ、その様子はもはや鬼気迫るものがありました」


 誰がお止めしてもお耳に入らない様子で。

 暗い塔に寂しげな声がこぼれる。


 近隣の領の街道の警備、隣国との国境線上の警備、遠方にある瘴気の穴周辺の警戒、早朝と深夜の丹念な見回り、そして毎月1度の王国府御前会議での報告。そのすべてを魔女フレイヤはこなした。こなしてみせた。


「……あるいはこなせてしまった(・・・・・・・・)と言うのかもしれません」

 顔を上げた秘書官の眉間にしわが寄る。とたんにその顔が10ほど年を取ったように見える。


 アウレーシャは黙って老人の横顔を見つめた。こぼれ出る言葉は、彼女に教えるためというよりも誰かに話したくて仕方がなかったものだった。


「無理のしわ寄せが来たのはアドラフェル坊ちゃまが6歳の時でした。近くの瘴気の穴での魔獣討伐から戻り、夕食のあとアドラフェル坊ちゃんと夫である旦那様としばらく過ごされて仮眠を取り……そのまま深夜の見回りに。魔獣が出たのはその最中でした」


 ヒサール領主の妻になろうが“魔女”は“魔女”である。杖を握り、空を駆けて魔獣に対峙した。現れた魔獣はその時に限って、珍しい大型の個体。これを相手に魔女は霞む視界、ぼやける思考で魔力を振り絞り戦った。


「結果は相討ちでした。……せめてもの救いは、奥様が最後に触れた熱が旦那様と坊ちゃまの手であったことでしょう」

 愛すべき魔女フレイヤの訃報を受け、ヒサールの街はおのずと1週間の喪に服した。そして悲しみはゆっくりと不満に変わりながら王国府に向いた。フレイヤ様があれだけの無茶をしたのは、王国府や王都からの心無い批判が原因だった、と。


 息をついて、それでもザマンは語る。

 話したい気持ちと、それを最後まで聞きたい気持ちが暗い塔の中にあった。


「旦那様は領民の不満をなんとかなだめながら、ご自身も坊ちゃまと一緒に1年間の喪に服されました。しかしその間も旦那様は今まで以上に、いっそ坊ちゃまを避ける勢いで領地運営と魔獣討伐に励んでおられました」


 それがまた後々には結果として旦那様の命を奪うことになってしまうのですが……。

 うち沈んだような声で言って、ザマンは背を丸めた。王国府でも評判の名物秘書官の、打ちひしがれた姿だった。


 アウレーシャは目を伏せてあの「魔女業務マニュアル」を思い出す。丁寧な報告の雛型、後年の膨大な仕事量、それが何をもとにして生まれたのかを思わずにはいられない。


「心配なのですよ、アドラフェル様は、あなたのことが」

 レディ・アウレーシャ、と名を呼ばれ、彼女は横に座った老人の顔を見た。注がれるまなざしは幼子を眩しく見つめる時のそれだ。


「お母上を亡くされた幼少期の坊ちゃまの生活はお寂しいものでした。こと、喪が明けてすぐの頃は笑うことも無くふさぎこまれていたのですが」


 塔の中にひゅ、と涼しい風が吹き込む。


「18年前、8歳の折に園遊会に出席なされた日から坊ちゃまは変わられました」

 西方辺境領ヒサールの名物秘書官は背筋を伸ばし、凛とした声で言った。高い窓から降り注ぐ光に照らされたその顔には確信めいたものが宿っている。


 ――遠く、ヒサールの街に魔獣の出現を知らせる警戒八点鍾が響いた。


 当代魔女は昼食の最後の一口を口に入れて飲み込み、静かに立ち上がった。ベルトにさしていた杖を抜き、燭台のような形のそれを長く伸ばしながら、深紅の髪に紅玉の瞳の少女アウリー(・・・・)は晴れ晴れとした声で言った。


「私、ちょっとアディ(・・・)のところに行ってきますね」


 燭台の先が炎を吹き、持ち主を乗せて塔の窓から飛び立っていく。その輝く軌跡にアドラフェルの秘書官は深く腰を折った。

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