1話 アウレーシャ・バルワここにあり
小説投稿サイト「カクヨム」に投稿していた作品の加筆修正版です。
覚悟ガンギマリの貴族令嬢が幼い頃の約束を果たすために、己の矜持を駆けて命懸けで戦うバトル小説です。
恋愛要素はないですが、でっかい愛のある関係性の人々の話です。
「私、ナーヒャくんと一緒にすてきな大人になって絶対アディくんの力になるから。それで、お互いに困っていたら助け合うの!」
そう言ったときのことを、アウレーシャ・バルワは今でもはっきりと思い出せる。自分の傍に座り込んだ2人の少年と手を握りあい、笑いあった。
18年前、シャマル王国王家主催の園遊会で盛り上がる昼の庭の隅でその3人の子供たちは出会った。何がそうさせたのかは分からない。けれど出会ったばかりの子供らは、名字も本名も知らないまま、ただ互いの愛称とその輝くばかりの瞳と髪の色だけを頼りに約束をした。
深紅の髪に紅玉の瞳の少女、アウリー。
白銀の髪にアイスブルーの瞳の少年、アディ。
黒髪に金の瞳の少年、ナーヒャ。
「ぼくも、アウリーちゃんとアディくんが困ってたら絶対に助けたげる! いつでも味方だよ」
「ありがとう。いつか俺の力になってほしい、アウリー、ナーヒャ。俺も二人が困ってたらきっと助けるよ」
アウリーとナーヒャで、将来立派な役職に就くアディの力になる、と。そしてお互いの味方であり続け、困っているときには必ず助け合う、と。
朧げな記憶。儚い思い出。10歳にもならない子供の口約束。
大人になってまで信じるにはあまりに馬鹿らしい。
けれど彼女は、アウリーことアウレーシャ・バルワは、まだその約束を抱きしめている。
あの真昼の輝き、心底胸の弾む気持ち、触れ合った手の暖かさ。3人で一緒なら何でもできると心から信じていた。
時が過ぎて大人になって、幼い頃の思い出は曖昧になる中、あの約束だけが変わらずに輝いて温かいままでいる。他の2人、「アディくん」と「ナーヒャくん」はもうあんな幼少期の口約束など忘れてしまっただろう。
それでも構わなかった。
ただアウレーシャは彼女自身への誓いとして、いつかその約束を果たすと決めている。この10年間、自分の命と心を照らし続けてくれたことに報いる。
アウレーシャ・バルワは、そう誓っている。
***
野蛮令嬢が帰還する!
シャマル王国の貴族たちのあいだをそんな噂が駆け抜けた。きっかけはシャマル国王府から発行された官報の「恩赦」の項目。
『バルワ伯爵家令嬢アウレーシャ・バルワ嬢、恩赦により修道院での終生蟄居命令解除。現在、僧籍の返還手続きが進行中。』
たった2文はあっという間に噂好きの者たちの話題の中心になった。そしてそのことが俗世から切り離された修道院に聴こえてくる程度には、貴族たちの間はその話で持ち切りだった。
しかし。
「私のことが噂になっているのは気にしていません、修道院長」
当のアウレーシャ・バルワはさっぱりした声で言い切ると、還俗を証明する書類を確認するふりで、革張りのファイルに一緒にまとめた古びた官報の切り抜きに目をやった。
穴が開くほど読んだ3つのそれは『ヒサール領』と題された項目の切り抜きだ。それぞれ違う年に出されたものだが、どれも西方辺境領ヒサール領現領主のアドラフェル卿にまつわる内容だった。
「私にはなすべきことがありますもの」
アウレーシャはそう言って、切り抜きの見出しに添えられた若きアドラフェル卿の悲壮な決意のにじむ肖像をそっと撫でる。一瞬感傷的な表情を浮かべた彼女だったが、パタンとファイルを閉じて顔を上げ、明るい声で言った。
「それに、社交界デビューと同時にやらかして一生修道院暮らしだったはずの小娘が10年ぶり戻ってくるともなれば、誰でも噂をしたくなるというものです」
紅玉のような瞳に今は柔らかな輝きを宿してバルワ家令嬢は爽やかに笑う。
すでに僧籍を返還した元修道女はみすぼらしく見えない程度に簡素なワンピースを身にまとい、深紅の髪を頭の上の方で丸く結い上げ、手にはファイルを仕舞いこんだ旅行鞄を携えていた。
「ですから平気です、修道院長」
アウレーシャはよく通る声でそう言って己の師ともいうべき老女に向き直った。
師は弟子の瞳を見つめ、出会ったばかりの頃を思い出す。この修道院に来たばかりの10年前には毎日泣き暮らしていた14歳の少女が、今や最低限とはいえ貴族教育を終えた淑女である。そのうえ生まれ持った膨大な、かつてはただ放出するだけだった魔力を完全コントロールできている。魔力を用いた戦闘では国内でもトップクラスの使い手になっているはずだ。そうなるための実戦まがいの過酷な訓練を施したのは修道院長自身である。
その10年間を思い出し、皺のある手で弟子の肩を抱き、語りかける。
「アウレーシャ、魔王が倒され平和になって久しいこの国だけれど、最近、魔獣が頻繁に出現しているとも聞きます。あなたのその強大な魔力がきっと必要な時がくる。……祈っているわ、その時あなたが大事な人を守れるように」
修道院長はおまじないのように「あなたならきっと大丈夫」と囁いた。
「……ありがとうございます、院長」
わずかに涙のにじんだ目をごまかすようにアウレーシャはにっこりと笑ってから見送りに背を向けて歩き出す。
温かな春の昼下がり、修道院の庭では薬草が花を咲かせ、そこかしこを蝶たちが行きかう。時折吹き抜けるまだ少し冷たい風にスカートの裾を躍らせながら、アウレーシャはただ真っ直ぐに修道院の大門を目指す。
修道院大門の向こう側には妙に豪華な拵えの馬車がいくつか見える。だがその中にバルワ家の紋章が入った馬車はない。それに少々面喰いながらも、バルワ家令嬢は小さく鼻で笑った。
(ここまでくるといっそ清々しい)
14歳の娘が修道院送りになった際の見送りもしなければ、それから10年のあいだ1度も手紙を寄越さなかったあの両親のこと、ここで迎えを寄越さないというのは行動に一貫性があって感心すら覚えてしまう。
数年前ならともかく、今のアウレーシャにはそう思えた。
馬車の中からは噂好きの貴族たちが、実家から迎えの来ない野蛮令嬢がここからどうするのか楽しみで仕方ないと言わんばかりに見学している。
だがアウレーシャ・バルワは怯まなかった。
僧籍を返上すると決めた時点で覚悟していたことだった。
そして何より、いまのアウレーシャには夢があった。否、夢などという柔らかな言葉では足りない。
(私は、アディとナーヒャとの約束を必ず果たす)
それは、己自身に課した固い誓い。
(それさえ叶うのなら他はもう何でもいい、二人があの約束を忘れていたっていい)
ただ、アウレーシャが彼女自身のわがままで果たす約束。
(だからもう、誰が何を言っても構いはしない)
18年前の思い出の輝かしさに、それ以外の何もかもが眩む。その眩暈のするような感覚すら彼女にはいっそ心地よく感じられた。
アウレーシャの足が修道院の大門を越える。
過去の失態から野蛮令嬢とあだ名された人は馬車の中から己を見つめる者たちに不敵に笑いかけ、結っていた髪を解く。
強く風が吹く。
魔力の象徴たる輝く深紅の長髪が煽られて巻き上がる。
その様は、さながら炎。かつてその強烈すぎる魔力でシャマル王国上層部を震撼させたあの女がそこにいる。
野蛮令嬢……否、炎滅令嬢ここにあり。
人々はいま、それを知る。