「平成レトロ」という言葉に強烈な違和感。「平成ポップ」が現実的であろう
・文明開化
・明治ハイカラ
・大正ロマン
・昭和モダン(戦前の昭和文化)
・昭和レトロ(戦後高度成長期の文化)
ときて
・「平成レトロ」とか思います?
平成というのは「ポップ」つまり何もかもが存在の耐えられない軽さだった文化の時代だよ。
じゃ「平成美術、平成音楽、平成文学、平成建築、平成ファッションって後世に残せる文化あったんですか?」と言いたい。平成という世が終わってたった4年しかたってないけどすでにないでしょ?
平成という時代の文化を語るのなら「ポップ」という言葉以外の何物でもない。特に平成後期の握手券アイドルの存在の耐えられない軽さは「ポップ」としか言いようがない。「軽チャー」とも言っていい。「平成軽チャー」では東日本大震災や金融危機という出来事に対して不謹慎だから使わないけど。
そもそも東日本大震災などの歴史を考えると「レトロ」文化として平成なんて時代は回帰なんかしたくない。特にバブルが崩壊した平成3年以降は。
よくもまあ「平成レトロ」なんて言葉が思いついたもんだ。あの金融危機に大災害の時代がレトロだとでも思ってるのだろうか。失われた30年が本格化した時代は現在進行形でレトロでも何でもない。
なお「昭和モダン」という言葉がかなりマイナーなのは戦前の昭和が暗黒時代だったからに他ならない。ゆえに戦前の昭和を模した文化財がほとんど見られないのも……戦災から再建なされなかったのも当時生きて来た人たちが二度と思い起こしたくない時代だからにほからない。モダンボーイ、モダンガールの真似をするものは現れない。大正ロマンや明治のハイカラな服装や昭和レトロ時代の服装を真似る者はたまに居るのに。
証拠に昭和モダンの象徴である「文化住宅」を残す人などほとんどいない。文化住宅ってどういう住宅なのかというと「サザエさん」のような家と言えばわかるだろうか。
レトロはセピア色でなくてはならない。昭和レトロは見事にセピア色である。じゃ、平成はどうだったのか。2019年4月30日に「平成」が終わってまだ約4年しかたってないのにもうセピア色なのだろうか。はっきり言う。「そんなわけがない」と。
そして、大変申し訳ないけど「平成」という時代は大多数の人が二度と思い起こしたくない時代なんだよ。
同じ暗黒時代でも「昭和モダン」と「平成ポップ」の感じ方が違う点は「モダン」という言葉に重さがある点である。なんだかんだ言っても戦前の昭和はいろんな意味で大衆が現代化していった重みのある時代だった。つまりいよいよ近代から現代に近づいた時代だったのだ(史学では戦後から「現代」となるのだが)。平成には言葉の重さもないし令和の世は平成時代の反省すら見られない。勝手に平成時代を「レトロ」とか言わないでほしい。
最後に……昭和レトロと平成ポップの間の時代に強烈に残ってる文化が存在する。バブル文化である。バブル美術、バブル音楽、バブル文学、バブル建築、バブルファッション……。ものの見事に符合する。
まずは1986~1991の「バブル」から文化の名前を残すべ時だし、バブルレガシーこそ後世に伝えていくべきだ。またこの時代を「バブルレガシー」とも呼ぶべきなのかもしれない。
・文明開化
・明治ハイカラ
・大正ロマン
・昭和モダン(戦前の昭和文化)
・昭和レトロ(戦後高度成長期の文化)
・バブルレガシー
・平成ポップ
が「文化」の正しい呼び名だろうと考える。
令和ねえ?いろんな意味でゴミだから「令和ダスト」という文化名がいいのかもしれない。ポップ未満ということである。