01. 異世界に行く前はこのように平凡な人間でした。
26年も生きていれば色々あるが、とにかく今の俺にはお金がなかった。
親に大学まで行かせてもらったものの、結局派遣の仕事にしか就けなかった。
こんなダメな俺を叱ってくれるお嫁さんでもいればまだ救いがあったかもしれないが、お嫁さんはおろか彼女すらいない。というか、今までの人生でガールフレンドなるものがいたことがない。
そんな自分の人生を振り返ってみると後悔することばかりである。もっと勉強しておけば良かったとか、もっと他人と関わって生きていれば良かったとか、最近はよくそんなことを考えている。
仕事が終わりクタクタの身体で自宅に帰ると妹がいつもの調子でゲームをしている。妹とは年の差が10もあり、彼女はまだ高校生だが不登校である。
俺が保護者面して「ゲームばかりやってるくらいならバイトでもしたらどうだ」と注意すれば、「そういうことは正社員になってから言ってよね、お兄ちゃん」などと心の傷をえぐるようなことを言ってくるくらいには可愛くない。
この前など「お兄ちゃん、仕事ないんだったらいい穴場の職業安定所知ってるから紹介してあげようか?」などと言われた。いい穴場の職業安定所ってなんだよと突っ込みたくもなったが、心が苦しくなったので黙り込んでしまった。
それにしても妹は相変わらずいい生活を送っていた。発売当初30万円もしたグラフィックボードを搭載したパソコン。スイスのアウトドアメーカのシャツに身を包み、座っているイスは20万円もする。自分の部屋にはハイグレードなシンセサイザまで置いていやがる。
どこからそんな金を捻出してきたか分からないが、売春などをしていないとすれば子煩悩(妹に限る)な親からたんまりとお小遣いを貰っているのだろう。
「ただいま」
俺がリビングにいる妹に声をかけると気だるげに「兄、おかえりー」と妹が返した。
「お仕事お疲れ様ー。今日も死にそうな顔してるね」
妹はとても調子がよく、いい笑顔でそう言った。
それに対して俺はというと、妹が言うとおりに死にそうな顔をしている。仕事は大変ではないのだが、仕事に対する負の感情を捨てきれない。仕事の忙しさではなく、自分の仕事に対する劣等感が自身を蝕んでいるようだった。
「そんな会社嫌なら、辞めちゃえばいいのに」
妹はきょとんとしており、首を捻ってこちらに顔だけ向けている。
「辞められるわけないだろ」
俺がやや不機嫌気味にそう言うと、妹は「こわー」と言って目線をディスプレイに戻した。
ディスプレイには最新のカーゲームの様子が映っている。妹は海外の車に対する憧れは少ないのか、大体国産車に乗っている。
「今日はトヨタか? 珍しいな」
「GRスープラだよ」
「ふーん」
俺は特権階級様御用達の自家用車とかいうものに全く興味がないので、GRとかガズーレーシングとかスバルと共同で作ったGR86とか言われても何のことかさっぱりと分からない。
「やっぱり日本の大企業にもベンチャー精神って大事だよね。挑戦こそが人生だと、そうは思わないかい? お兄ちゃん」
「思わないな。堅実が一番」
「じゃあ、早く正社員か公務員にでもなったら?」
「…………」
うるせえ。
しかし、俺は大人なのでこの程度では腹は立てない。
今度、妹の好物のプリンを買ってきて目の前で食べてやろう。密かにそう心に誓ったが、別に怒っているわけではない。
「お兄ちゃん」
「うん?」
「私、いい職業を紹介できるかもだけど、一応聞いとく?」
「いいよ、別に」
少し申し訳なさそうに何を言い出すのかと思ったら、仕事の斡旋の話であった。家族にそんなことされても、屈辱的と感じてしまうのは俺が子供だからだろうか。
鬱陶しそうに妹の提案を拒絶すると、彼女は椅子から身を乗り出すようにして怒り出した。
「なんで私の話を聞いてくれないの? せっかく私がお兄ちゃんにとっても魅力的な話をしようとしてるんだよ! 話聞いてよ」
「じゃあ、一応聞いとく? なんて聞き方せずに最初から勝手に話せばいいだろ」
「うわっ、そういうこと言っちゃうんだ」
めんどくせーと思いつつ、これ以上怒らせると長いこと根に持たれ、より面倒くさいことになることを知っているので、適当に誤っておくことにした。
「悪かったよ。で、いい職業の話って?」
「ふふーん」
妹は胸を張りだすようにして自慢げに語りだす。
「私、実は今、異世界で仕事やってるんだよね。いやー、まあ、ほら? そんなこと言うと、きっと私がまた適当に嘘をついていて自分は馬鹿にさせてるんじゃないかと、自己肯定感の低いお兄ちゃんは思っちゃうかもしれないんだけど、これはほら、事実だから。ファクトだから。この椅子とか見てよ、イギリスだかドイツのファニチャーメーカのもので20万円もするんだよ? 座り心地はまあ普通だけど、これだって自分のお金で買ったんだよ。すごいでしょ! 私、異世界では魔法使いをやっていて、レベルは40。中の下くらい? でも、こう見えて私中々強くて、この前なんて5mもあるドラゴンをこう、どか~んとね」
「待て待て待て。分かったから、少し待ちなさい」
俺は意気揚々とまくし立てる妹の話を遮った。
「これ、今なんの話してるんだっけ?」
「え、私のやってる仕事の話だけど?」
「ドラゴン退治とかやってるの?」
「うん。まあ、たまにはドラゴンも倒すかな?」
「へー」
「うん。そう。ちなみに、この前は10mくらいあるゴーレムをばち~んと」
「あ。もう大丈夫です。分かったから」
「えー。もっと話聞いてよ」
妹はバタバタと足を上下に動かして不服そうに顔をしかめた。
まったくもって駄々っ子ちゃんである。
「酒だ! 酒を持ってこい!」
妹は空になったグラスを片手に喚き始めた。俺は疲れた体を引きづって冷蔵庫まで行きオレンジジュースを持ってきて注いでやる。
「お兄ちゃんはお酒とか飲まない人?」
「たまには飲むかな。高いし、一人で飲むと死にたくなるからあまり飲まないけど」
「さらっと死にたくなるとか言わないでよ。重いって」
「まあ、冗談だけどな」
俺はオレンジジュースを冷蔵庫に戻し、ソファーに腰を下ろした。すると自分が酷く空腹であることに気づく。
俺のお腹が鳴ったのを見て、妹はどこか嬉しそうに言った。
「お兄ちゃん、ご飯まだでしょ?」
妹はオレンジジュースを飲み干すと、ぴょんと椅子から降り立った。
「今夜は異世界で食べない?」
本一冊分くらいの分量は書ききるつもりだが、果たしてモチベーションを維持できるのか……。
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