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やっぱり来た。

どうして言語学の教師になったかって。そうだな。ほら、心は、見えないだろう。僕が何を喜び、何を憂い、何を愛しているか。それを君に伝える。その方法は沢山あるけれども、僕はね、言葉でそれを伝えたい。そう思っているんだ。


僕はね、君のお母さんと、君と君の弟妹達を何より愛している。それを、君が生まれた時から使っている言葉で伝えたいんだ。君の心に、一番響く言葉で、僕の心を見せたい。


だから、君たちの亜人言語を学んだ。


この大陸の覇者は魔獣だ。僕たちは魔獣湧出地の狭間で小さく息をしている生き物に過ぎない。種族も文化も違う僕たちが、力を合わせなければ明日を生き残れないこの世界で、それでも僕たちを繋げるのが、人間としての心だ。仲間を思う心、明日も共にありたいと願う心。その心を、言葉を通して相手に伝える、その喜びを学生達にも伝えたい。


そう思って、僕は、教師になったんだ。

やっぱり来た。


恐らく教師に目を付けられるだろうというのが学生たちの一致した意見だった。わざと一部を間違えたりして、手を抜いた方が良いのではないかという意見もあった。だが、課題として失格になっては意味がないということで、断ったのは私だ。


だから、これは当然の結果なのだが。


―――坊ちゃま。言語学の教師が我が宿に来られました。特別室を向こう10年分ご予約で、専属使用人に私をご指名です。とりあえず、薬草茶で静かにさせましたが、どういたしましょうか。


教師が来たら即座に連絡を入れろと口酸っぱく言われていたので、使いを出したら、返事ではなく坊ちゃまご本人がいらっしゃった。ご学友も一緒だ。課題をきっかけに仲良くなったらしい。


お、貴族令嬢と商人息子がお揃いの耳飾りをなさっている。ほほう、お熱いですな。お互いの瞳の色とは。


教師に一服盛ったことを坊ちゃまに叱られていると、身なりの良いご婦人がご来店なさった。言語学教師の奥方だと名乗られる。


副リーダー殿が連絡を入れてくれたらしい。相変わらず、仕事が的確で早い。


怒れる奥方様は、熟睡する言語学教師を俵担ぎにして、世話を掛けたな、と金貨の入った袋を置いて帰られた。力持ちですね、と坊ちゃまに言えば、グリズリーの亜人であらせられるからな、と教えて頂けた。


もとは国境にある魔獣討伐専属部隊の傭兵で、ご両親が病を得てから治療のために王都に移住し、亜人ゆえに定職につけず、日雇いの用心棒まがいのことをスラムの歓楽街でしていたらしい。


納得の逞しさである。


教師と結婚後は、伯爵夫人という社会的地位を後ろ盾に、かつての伝手をたどって騎士団に入団し、現在は、亜人初の第三騎士団副団長という地位に就かれているそうだ。


***


薬草茶の入荷ルートを商人息子に尋ねられて、答えて良いものか思案する。あのエルフの商人さん、商売人にしては結構人見知りだからなぁ。勝手に紹介したら迷惑かも。


どうしたものかと困っていたら、それまで黙っていた商人のご息女が、間に入ってくださった。


曰く、あの薬草茶は本来、同族にしか渡さないものだ、それをヒト族に渡したということは余程の恩義をこの人に受けたということ。そんな恩人にちょっかいをだして北部地域最大のコミュニティに喧嘩を売って何の得がある、とのことだ。


商人息子は押し黙ってしまった。恩というほどのことはしていないが、心当たりはある。迷子になっているエルフ言語しかしゃべれない御令嬢を、町中にある自警団の詰所まで送っていったことが、確かにあった。


なんでも北方からご両親に連れられて王都に来たのだが、お付きの人とはぐれたとのこと。服装と立ち振る舞いから、高位のご令嬢と推察されたため、警邏中の騎士団員を捕まえて、王宮まで問い合わせを出して頂いた。


王宮には各部族のまとめ役のような役職があり、何か問題がある場合は、各人が自身の属する部族の担当官に相談するのが通例である。


そちらの方が話が早そうだと、エルフ言語の中でも北方風の格調高い文章でもって御令嬢について尋ねる文を書いて、騎士様に届けて頂いたのだが、なんと、転移陣で担当官ご本人が迎えに来られた。彼のご息女だったのだ。


何か礼をとおっしゃるのを固辞して、買い出しに戻ったのだが、もしかしてアレが原因だろうか。


そう坊ちゃまに説明すると、頭を抱えて蹲ってしまった。どうなさったのだろうか。


副リーダー殿が、時期的に、当時の担当官と言ったら現在の部族長だな、とおっしゃった。なんでも、他部族との人脈作りに、次期部族長として王都に滞在なさっていた時があったそうだ。


「ちなみに、件の令嬢は、今や次期部族長候補だ。どう考えでも、薬草茶の出処はそこだな。よし、全員、聞かなかったことにするぞ」そう続けて、副リーダー殿が商人のご息女に顔を向けられた。


「それで、この使用人と貴女はどういう関係なのか、教えて頂けるのだろうか。いつもの貴女ならば、あの場面で口を挟んだりしないだろう」



***



彼女の印象は、言っては悪いが、毒にも薬にもならない人物といったものだった。常に我々から一歩引いて、遠慮がちに発言する気弱なご令嬢。そんな彼女が、自身の商会よりも格上の商人の息子に嚙みついた。


青天の霹靂であった。商人息子は、エルフうんぬんよりも、彼女に窘められたことに驚いて黙ったのだ。先程判明したエルフの令嬢のように、彼女に助けられたことでもあるのだろうか。それとも、同じ平民同士だ。以前からの知り合いであっても可笑しくはない。


だが、思っていたどの予想とも違う理由を、彼女は告げた。


困ったように微笑んで、右耳に触りながら彼女は、同郷なんです、と答えた。


「私も彼女と同じ転移災害でこちらに来たヒト族なんですよ。それで、故郷では同じ学び舎で過ごした友人でもあります」


その私が経験則から警告しますけど、と彼女は商人の子息に告げた。


「この子に謎の人脈があるのは今に始まったことではないんで、下手にそこら辺をつつくと、蛇どころか竜神がでてきますよ。怒らせたら故郷を滅ぼすタイプのガチものモンスターペアレント製造装置って、私ら友人の間では呼ばれていました」


酷い言われようだと抗議する友人本人を無視して、彼女は続ける。


「私は、私の大切なものさえ無事なら後はどうでも良い人間なので、面倒事には巻き込まれたくないんです。でも、さすがに王都でも有数の商会が怒れるエルフの圧力で潰れたら、こちらの商会にも被害が来るんで口出ししました」


大げさなのでは、とはとても言えない真剣な表情の彼女に、故郷で一体どんな経験をしたら、仮にも友人と呼ぶ人物にそのような評価を下すことになるのだろうかと、顔が引き攣る。


友人という割に、うちの使用人の心配をしていないようだが、と尋ねる同期に、彼女は首を振った。


「心配するだけ無駄ですから。周囲全てが薙ぎ払われた爆心地で、傷一つなく立ってる悪運の良さをもってるんですよ、この子。私、省エネタイプの人間なんで、無駄なことはしない主義なんです」


彼女の話を反芻していて、一つひっかりを覚えた。


―――同じ、学び舎にいた?


心の中で思っていたつもりが、声に出ていたらしい。


「異世界特典若返りって、10代の人間がもらっても微妙ですよね。私、昔から微妙に運がなくて」


それでも、南西の魔獣魔獣湧出地内にあるオアシスに転移して、たまたま通りかかった商人に拾ってもらって、何故か養子になれたんだから、多分、あそこで一生分の運を使い果たした気がする、と彼女は眉尻を下げた。


「何がつらいって、今更、学生生活を一からやり直しさせられたってことですよ。どんな顔して年下の皆様に混じればいいんだって、肩身が狭いのなんの」


まぁ、もうバレてもいいかな、と思ったので、好きなようにやらせてもらいますね。カラリと笑って、彼女は、使用人の娘に向き合った。同い年のはずなのに、外見年齢がわずかにずれた、同胞に。


「私の籤運がないのは昔からで、異世界特典にしても、今回のグループ分けにしても、なんだってこんな目にって思ったけど、あんたにまた会えたことは神様に感謝してもいい」


生きてて、良かった。そう言って両腕を広げた彼女に、使用人の娘が抱き着く。


目立つの苦手なのに、無理させてごめんね、と謝る相手に、ううん、私も面倒だからって他人の振りをさせてごめんね、次から、私の目が届く範囲で暴走しそうになったら全力でしばき倒すから覚悟しておいてね、と返す彼女の人物評を改めることにした。


―――思っていたよりも、良い性格をしており、どうやら暴走組のストッパー仲間ができたようだ。


どうして、この馬鹿を番にしたかって? そうだな。弱いし、煩いし、軽率で馬鹿な男だよな。


―――あたしが闘うのはあたしのためだ。あたしが守りたいものを、あたしがこの手で守る。そう決めたから大剣を背負った。


いつかあたしも年老いて、この剣を誰かに譲る日が来るんだろう。そうしたら、この煩い奴の言語学とやらの話を、朝から晩まで聞く羽目になるんだろうな。今の、魔獣との競合地域での戦闘の合間に、休暇として帰っているのとは、比にならないくらい鬱陶しいことだろうさ。


でもな、そんな未来を、悪くないと思ったんだ。


………いつか、お前にも分かる日が来るさ。そんな相手と出会えることを母ちゃんは願っている。


さて、この馬鹿親父が目覚めたらどうしてやろうか。せっかくの休暇だっていうのに、初日に旦那を回収するとか。相手への申し訳なさで、下手な任務よりも疲れたよ。


まったく、馬鹿なんだから。

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