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言語チートで機を織る。

とりあえず、書簡の中身を見せてもらってもいいですか? おお、これは………。


え、坊ちゃま、この手紙、初対面の秘書様に送ってるんですよね。旧知の仲の方とか、近親者とかでなく。


………うわぁ。坊ちゃま、これ、下手したら秘書様に依頼したとしても、返事をもらえなかったかもしれませんよ。え、なんでか、ですか。


ええと、その、この手紙のですね、ここからここまで、全部教師からの質問の羅列になってます。こんなにびっしりと書かれているとか、秘書様ドン引きして、関わり合いにならんとこ、と返信を断られた可能性があります。


なんか、どのみち私が書くことになっていたような気がしますね、この課題。

用意してもらったのは、無地の白い便箋と封筒、黒色のインク、封蝋、組み紐に、枯れ枝だ。


材料に魔木や一角獣の鬣、妖精の息吹などが使われている以外は、一般的なお手紙セットと、何に使うか謎な紐と枝という組み合わせがテーブルに並んでいる。その肝心の材料が原因で、金銭的価値が跳ね上がり、庶民が一生お目にかかることのない品々だ。用意した上流階級のご子息達と同様に、宿屋の古ぼけたテーブルの上で背景に溶け込むことなく、異彩を放っている。


固唾を飲んでこちらを見守る学生5人に、まず、坊ちゃまを羽交い締めにして確保しておいてもらう。その時点で嫌な予感がして暴れだしそうな彼の前で、小刀を取り出し、サクッと親指に切れ目を入れた。


案の定、坊ちゃまが吠えた。


私が原因で坊ちゃまが叫び倒すのはいつものことだ。随分な声量だが、誰かが食堂に様子を見に来ることはない。


坊ちゃまを抑えてもらっている、がたいの良い男性の候補生が煩そうに顔を顰めている。騎士の家系だという彼は、課題グループの副リーダーらしく、先程も錯乱した坊ちゃまをあしらいつつ、話を進め、課題の返信に必要となる道具の差配をして下さった。適応力に優れた、仕事の早い御仁だ。


坊ちゃまに優秀な同期のご友人ができて喜ばしい。うむうむと頷きながら、親指から流れる血をインク壺に垂らす。十分な量が入ったところで、傷口にハンカチを巻いて止血する。適当にするな! と怒る坊ちゃまを無視して、インク壺を両手で持ち上げた。


血は媒介となる。私がインク壺に垂らしたのは、私の魔力だ。インクよりも黒く、重く、濃い魔力。それがインクと交わり、均等に混ざる様に魔力を動かす。壺の中身が、不自然にグルグルとかき混ぜられていく。インクと魔力の境目がなくなったことを確認して、そっと机に置いた。


ただの黒色だったインクが、夜空のように、無数の小さな光を抱きつつ、壺の中で光っている。完成だ。


課題仲間のご令嬢が、目を丸くして、平民にしては、魔力の扱いに随分慣れているのね、とおっしゃった。それに、平民と貴族の違いとは何でございましょうか? と微笑んで見せた。


真ん丸な、蒼穹の青の瞳に、小柄な平民女が映っている。同じ人の形をしているのに、身分制度があるこの国において、私は彼女にとって『人間』ではない。貴族にとって平民は『道具』だ。労役を課し、税を徴収し、彼ら貴族の世界を守るために使われる道具。


意味もなく壊せば、もし所有者の貴族がいれば、損害に対する賠償を払うことになる。所有者のいない『野良』であれば、それすらもない、眉を顰める貴族がいるかもしれないが、それだけの存在。


貴族にとって平民は平等な存在ではない。現代日本の犬猫と同じだ。いや、動物愛護法があるだけ、あちらの方がましかもしれない。どちらにせよ、法の守りが手厚いは言えないが。


貴族のご令嬢が、ここで無礼だと激高して私を殺しても、彼女はお小遣いが少し減る程度の罰金を支払って終わりだ。吠えてきた野良犬に、このご令嬢はどうするのだろうか。


金の睫毛に縁どられた、形の良い目を見つめていれば、荒れたことなどなさそうな唇がそっと開かれた。


自由かどうかではなくて? と彼女は言う。曰く、生まれながらの貴族である彼女は、生涯を家と国の繁栄に捧げることが定められている。絶大な権力に対して、それ相応の義務を背負っている、と。


けれど、平民は違う。何処へなりとでも、空を羽ばたく鳥のように自由に飛んで行ける。就く職業も、婚姻の相手も、子供の数すら決められている貴族令嬢である彼女からすれば、妬ましく眩しいほどの自由。


せっかく平民に生まれたのに、貴族社会に片足を突っ込もうとしている変人の気が知れませんわ、とお嬢様は坊ちゃまを半眼で睨んでみせた。それに、坊ちゃまは首をかしげて、こう言った。


「常日頃から思っておりましたが、貴方様は少々真面目過ぎるのではありませんか。法を司る大臣の娘としては立派でも、そのような生き方をしていては人生がつまらないでしょう」


結構な暴言だった。大丈夫だろうか。坊ちゃまの首の一つや二つでは済まないレベルなのでは。固まるご令嬢に対して、坊ちゃまは更に続けた。


「この課題の手紙で使われている言語を使う国には身分制度がないそうですよ。万人が法の下に平等に扱われる国だそうです。勿論、そうそう理想通りにはならず、社会問題もありはしますが、それでも、生まれを理由に人を差別してはならない、そう決めた国らしいです。そんな国の言語を、平民と貴族の混合グループに課題として出すとか、知った時には教授の正気を疑いましたね」


それは、課題は教授の自由裁量に任されるとはいっても、自由が過ぎるのでは。下手したら謀反や危険思想を疑われて、上から睨まれるどころではない可能性がある。


「空を自由に飛びたかったら、羽ばたけば良いではないですか。貴方の人生は、貴方のものだ。お家もこの国も大事でしょうが、何より大切にすべきはあなた自身の幸せです。貴方が本当に為したいことは何ですか」


凄い。坊ちゃまが立派なことをおっしゃっている。私は感動に打ち震えた。惜しむらくは、私対策に羽交い絞めにされたままだということだ。抑え役の副リーダー殿が、坊ちゃまを離すタイミングを逃して微妙な顔をなさっている。


「わたくしが、したいこと」


考えたこともなかったというように、ご令嬢が呟いた。

揺れる瞳が、同じグループの商人の息子に向けられる。


―――おっと、これは?


当事者二人を除く全員の心が一つになった瞬間であった。商人の息子も満更でもなさそうであると。ほほう。いいですな。青春ですな。


わざと焚き付けましたかと、坊ちゃまに目線で尋ねると頷かれた。後で聞いたところによると、周囲にバレバレの両片思いで、いい加減鬱陶しかった、とのことであった。


しかし、これ。課題の手紙を見下ろして戦慄した。言語を調べれば、相手の国に身分制度がないことは自然と知れる。そこに身分違いの恋に燃える若人二人。相手国に伝手のある第三秘書と知り合いの貴族令嬢と、現地までの旅団にコンタクトの取れる商人の息子。


やべえフラグしかない課題である。教授は更迭RTAでもしたいのであろうか。



***


時間がないので、駆け落ちは課題提出後にするようにと副リーダー君が雑に話をまとめてくれた。本当に仕事のできる同期殿だ。ありがたい。


そういうことではない、勘違いだと抗議する二人のことを、そこまで顔を赤くしてよく言う、貴族と商人が顔色を偽れないなど、そういうことだろうが、とすっぱり切り捨てていた。課題提出後なら、駆け落ちでも、商人息子の貴族との養子縁組でも、私にできることは何でも協力しよう、とフォローも万全だ。


しかも、ここにくるまで坊ちゃまの拘束を維持したままである。いや本当にすごい。坊ちゃまをここまで完璧に抑え込める人間は、私が知る限り、坊ちゃまの母親である奥様と、妹君だけであったのに。


そんな副リーダー殿から、主従そろって暴走するな、収拾がつかなくなる、とお叱りを頂戴しつつ、作業を再開する。さて、返事の内容はどうしようか。思い浮かべるのは、教師からの書簡の内容だ。


夏の暑さを憂う時候の挨拶の後に、延々と東方の古語に関する質問事項が羅列されていた。


教師が面識の無い方へ送った手紙なのですよね、と思わず坊ちゃまに確認するほど、まったく遠慮のえの字もない質問状だった。文法も、スペルも、文章構成も、手紙に必要とされる儀礼文句も、何一つ間違っていない。間違っていないが、人間同士のコミュニケーションツールとして圧倒的に足りないものがあった。


―――そう、相手への思いやりである。


よくもまぁ。ここまで思いつくものだという量の質問事項の数に、げんなりする。これ全部に答えるのは第三秘書にも無理だったのでは、と坊ちゃまに問えば、まともに相手にしていたら彼の奥方のようになるぞ、と脅された。


聞けば、言語学教師の奥方は、もとは少数民族の亜人で、王都のスラムでその日暮らしをしていたらしい。そこに、教授が亜人言語を教えてほしいと押し掛けたのが始まりだったそうだ。


奥方は、変な人間だと鬱陶しがりつつ、食料と交換で真面目に相手していた。


そのうち、いちいちスラムに行くのは面倒だと教授の家に家族共々連れ帰られ、亜人を愛人に囲ったと外野が煩く言うと、愛人でなければいいだろうと、正妻として届がなされ、気づけば子供が生まれ、幼少期の亜人言語の教え方を教授の横で実演させらていたらしい。


お前も気に入られたら、第二夫人にされるかもしれないぞ、と脅してくる坊ちゃまに、それでは坊ちゃまにお仕えできなくなりますので困りますね、と返して、では、どうするのがいいか、と学生達の意見を尋ねた。


一つ二つ適当に返事をしてお茶を濁してはどうか、と副リーダーが提案し、他の学生達も、それがいい、まったく相手をしなければ、それはそれで鬱陶しく付きまとわれるので、程々に餌を与えて興味がほかに移るのをじっと待つのが得策だ、と言われた。


散々な言われようの教師に、何故まだ教職についていられるのだろうかと改めて疑問を抱きながら、便箋を5枚ほど広げた。


東方の小国、その古語の書物においてインクは、あちらの言葉で『墨』ではなく、『糸』と書かれている。途切れることなく一文字一文字を続けて書かれるために、『糸』と呼ぶのか、と教師は書簡で尋ねていた。


―――半分正解で、半分間違っている。


今回の『糸』の語源については、学説が複数ある。一つは、教師が言っていた通りのもの。もう一つは。


インク壺の口に人差し指を翳して、魔力を通したインクを『持ち上げた』。



***


インク壺から紡ぎだされる『糸』が便箋に、まるで刺繡をするように文章を描いていく様を、我知らず息を飲んで見守った。


ペンを使うことなく、魔力だけでインクを動かし、手紙を書いている。驚くべき精度の魔力コントロールだ。恐らく、先に頭の中で描いたのであろう完成図を、魔力を使って細い糸状にしたインクで紙の上に完璧に再現している。


かの国は魔術大国と聞く。


音声と媒介魔法具によって魔力を行使する魔法ではなく、実際に文字として書く魔術言語による魔力の術式行使に重きを置く国だ。その技術力を誇るために発展した手紙文化、ということだろうか。


複雑な形の文字の羅列が規則正しく書かれていく。最後の便箋まで書き終わったと思ったら、周辺の余白に飾り枠まで描きだした。文字よりもさらに複雑な、熟練の職人が編んだレースを思わせる装飾が便箋に施されていく。


どれだけ修練を積めば、ここまで細かく魔力を行使できるようになれるのだろうか。


ゲンゴチートとやらだけで説明できるとは思えない妙技に、思わず同期に尋ねた。

「彼女は、例の国、あるいは周辺国の上流階級出身者ではないのか」


一般庶民が独学でできる範疇を明らかに超えている。彼女が数百年に一度の天才でもない限り、並みはずれた指導者の下、長年にわたって魔術を学んできたとしか思えない。そう問うが、同期は頭を横に振った。


「本人曰く、ド庶民の出自だそうですよ。普段通りの日常を送っていたら、気が付いたら、我が国の南東にある魔獣湧出地に立っていたらしいです。地脈の暴走による転移災害は珍しくありません。転移時に何らかの神の加護を得たとは言っていたのですが、これまで、この国の文字と言語を理解できるだけのスキルだと思っていました」


どうやら、考えていたよりも対象の広い加護を得ていたようですね、と頭が痛そうにしている同期に、私も同意した。


課題の提出先である、言語狂いの教師にバレたらどうなることか。無自覚トラブルメーカーの彼をして厄介ごとに頭から突っ込んでいくと評された彼女だ。一騒動あるのは確実と見て良い。


完成した手紙を、何に使うか謎だった紐で、枯れ枝に結んでいる彼女。その呑気さに、二人揃ってため息をついた。


―――ところで、もうそろそろ、こいつを離しても良いだろうか。

別にいいんだけど、と商人娘は思った。部屋の片隅で。


完全に空気と化した陰キャは、同期達から適度に距離を取りつつ、首を傾げた。あの手紙、完璧っぽいんだけど、多少手を抜いたほうがよくないか。それこそ、教授に目を付けられるのでは。


指摘すんのめんどくさいな、と彼女は嘆息した。後から起きる騒動に同グループとして巻き込まれるのと、今ここで発言する面倒さ、どちらを取るか、それが問題だ。

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