一話ーあなたと台湾式冷やし麺
カタカタとキーボードを叩き、とても嫌そうな顔をして、可樂はモニターを睨んでいた。
そして、ふっと日付が変わった事に気づき、大きく両手を伸ばし、欠伸をしながら可樂はそう言った。
「なんかね、最近暑くなったり寒くなったりて嫌になるよォ、集中できないし、クーラーもどうしたら良いのか分からなくなるし」
「気持ちは分かる。でも、こっちよりはマシだと思うよ」
「えっ? ……えっ、どういう事?」
イヤホンから雫の声を聞き、可樂は少し驚いたように手を止めた。そして、どう考えても雫の言葉が分からない事に気づき、可樂は素直にそう聞き返した。
すると、通話の向こうから笑い声が聞こえて、その後、小さく咳払いをした雫はそう質問した。
「可樂さんさ、今そっちの気温どれくらい?」
「ええと……アタシは日本の西側だから、今は大体二十度くらい。で、これが日中だと、雨の日以外は三十度近くまで行くよ」
「それでも三十度は越えてないのか……いいな、こっちは台湾の北側でまだ涼しい方なんだけど、今の気温がそっちの日中の気温くらいあるよ」
「ふあ! 待って、って事は今が二十八度? 夜なのに? なら日中は?」
「平均して三十三度くらいあるよ、九月なのにな」
「ひィィィ、夏だからって程があるわい! もう、なんか冷えたから部屋の温度上げとくよ」
そう言い終わると、可樂は席から立ち上がり、彼女は自分の言葉の通りにエアコンの温度を上げてきた。
そして立ち上がったついでにお茶を入れてきて、席に戻った時、気温を調べるために開いたウェブページに出てる広告を見て、ふっと可樂は雫にそう聞いた。
「じゃあさ、今台湾の方ってまだ冷やし中華売ってるの?」
「ええと、言いにくいけどさ、冷やし中華って、多分日本料理だと思うよ」
「えっ」
「台湾でも冷やし麺的な物はあるけど、『りゃんめん』って言って、基本は麺とソースとちょっとだけのキュウリやニンジンで完成だ……今リンク送るから、そっちを見る方が分かりやすいか」
『台湾涼麺』
台湾の冷やし麺の説明を聞いてて、可樂はどこか信じられないような顔をしていた。
しかし、雫が送ってきた台湾涼麺の画像を見ると、確かに使ってる麺は似ているけど、日本の冷やし中華は錦糸卵とハム、トマトとキュウリが乗っているのに対し、台湾の冷やし麺という涼麺が乗ってるのは、なんとキュウリだけ。
一応ニンジンや鶏肉が乗ってる物はあるけど、写真を見ていると、台湾涼麺の具材は基本キュウリだけ、あとは胡麻ダレっぽい物と麺だけで完成みたいだ。
あまりにも馴染みがない麺料理ので、可樂は暫くカルチャーショックを受けていた。
けど、ページをスクロールしていくと、段々と台湾涼麺が気になって、可樂は雫にそう聞いた。
「あのさ雫、このりゃんめんっていうのは今でも食べられるの?」
「台湾のコンビニで結構いつでも置いてあるくらいメジャーな料理だし、基本的なやつでいいなら買えば食べられるよ」
「じゃあさ、一緒にりゃんめん食べようよ! 雫は買ってきた物でいいから」
「あっ、さっては作るつもりだな。別にいいけどさ、そっちが突然涼しくなったりしない?」
「最近は結構暑いから大丈夫! それに、本当に寒くなったらアツアツのつけ麺にしちゃえばいいし!」
「私は料理に詳しくないけど、君がそう言うなら信じるよ。なら早速今週辺りで涼麺大会決めちゃう?」
「いいね! じゃあ明日買い出しに行くから、今日はここまで! おやすみなさい!」
「はい、おやすみなさい」
雫のおやすみなさいを聞き届けると、可樂は通話を切り、暫く彼女は台湾涼麺のページを見続けていた。
そして、少し考えた後、可樂は立ち上がり、本棚に並んでるレシピを引っ張り出して、彼女は冷やし中華のページを探した。
目次から辿り、食材の項目を写真に撮ったら、可樂はエコバッグをかばんの中に入れて、寝る準備をしようと彼女はスキンケアの為に洗面台へ向かった。
「というわけで! こちらが食材になります!」
「テンション高いな可樂さん、何があった?」
「いやあ、冷やし中華って錦糸卵以外、基本は切って乗せるだけだからさ、じゃあカット野菜もついでに作ろうと思ったら、思ったよりも買ってしまってね」
「なるほど、調理台の野菜の山ってそういう事だったのか」
「アハハ、つまりそういう事」
そうやって乾いた笑い声を零した可樂は調理台の前に立ち、設置したスマホの画面を確認して、ちゃんと映ってるのが分かると、可樂はまな板の前に立ち、包丁を握った。
そんな可樂を見て、雫はどこか呆れたようにため息をつき、そして置かれている鍋に気づき、雫はそう質問した。
「ひょっとして麺を茹でる間に、ついでに食材を切っておこうと思ったけど、なんか暇だから話し相手が欲しいって感じで私を呼んだってわけ?」
「えっ、なんて分かったの? 雫ってエスパーだった?」
「違うわ。というか、暇なら動画とか見ればいいじゃん?」
雫にそう言われて、可樂の手は一瞬止まった。
そして、目を泳がせながら、何回か横のフライパンの方を見た後、すごく恥ずかしそうに可樂は雫にそう答えた。
「いやァ、実は前にリゾートを作った時、動画を見ていたけど、気づいたら動画に夢中になって、ご飯を焦がした事が、ね」
「なっ、なるほど。ちなみにタイマーって持ってない?」
「持ってるし使ったけど気づかなかった」
堂々とそう答えた可樂の返事を聞き、雫はため息をつきたい気持ちをぐっと抑えて、片手でタイマーを起動した後、雫はそう返した。
「分かった、じゃあ時間教えて、そろそろ時間になったら声をかけるよ」
「雫っち! あなたって天使だったのね!」
「こんな遠距離にいる天使とか嫌なんだけど。というか麺って何分茹でればいい?」
「あっ、まだ麺を入れてなかった。三分くらいでいいから今入れちゃおう」
そう言いながら鍋の中に中華麺を入れた可樂を見て、雫はタイマーを設定した。その後、まな板の前に並んでいる調味料に気づき、雫はそう聞いた。
「結構調味料とか揃ってるけど、よく料理するの?」
「まあね。元々料理するの好きだし、在宅ワーク中心にしようってなってからは通勤時間とかないし、だから結構のんびり料理出来るようになったよォ」
「それは良かったって言って良いのか?」
「アタシは良かったけどね。結構昔からレシピ本を買っているけど、最近色々作れるようになったからめっちゃくちゃ楽しいよ」
「それは本当に良かったね。あっ、三分経ったぞ」
そう言い終わった時、丁度雫が設定したタイマーが鳴り、可樂は一度麺を上げた。そして、隣に用意しているボウルの中に麺を入れて、水で麺を冷やしながら、可樂はお皿を取り出した。
そろそろ可樂の料理が完成するだろうと見て、雫はゆっくり立ち上がり、ヘッドホンのコードに気を付けながら、雫はそう言った。
「じゃあ私も麺取ってくるから、一回離れるよ」
「はーい、いってら」
可樂の返事を聞くと、雫はマイクをミュートにして、そしてヘッドホンを外して、雫は席の前から離れた。
厨房に入り、雫は冷蔵庫を開いて、買っておいた涼麺とお茶のペットボトルを手に取った。
そして食器を掴み、それを一緒に持ってパソコンの前に戻ると、可樂の画面が既に切り替わっていた。
いつの間にか可樂は自分の部屋に戻り、画面に薄っすらと水玉を纏っているビールが何本も並んでいたのも映り、分かりやすいほどに飲む気満々な可樂を見て、思わず雫は苦笑いを零した。
楽しそうにグラスに氷を入れる可樂を横目に、汁が飛んでも大丈夫なように雫はランチョンマットを敷き、麺とお茶を置いた後、マイクのミュートを解除して、雫はそう言った。
「戻りました。で、もう飲むつもり?」
「だって外って結構暑かったからね。でも大丈夫、最初の一口は飲まないから! それに、今回の出来すごく良かったから見て見て!」
「何において大丈夫なのかは疑問なんだけど、まあいいや。じゃ、見せてもらおうか」
「はいよ!」
そう言い終わると、可樂はカメラの位置を変えて、真上から冷やし中華を映しながら、得意げに可樂はそう言った。
「へっへ、どうだこの錦糸卵の山! 甘い卵焼きが好きだから、砂糖たっぷりに入れて、錦糸卵もたくさん載せてみたよ!」
「確かに半分くらいが錦糸卵なのも驚きだけど、野菜多くない?」
「えー、そんな事ないと思うんだけどな。ほら、キュウリでしょうニンジンでしょう? あとはトマトで、残りは全部ハムと錦糸卵だから、野菜はそんなに多くないよ」
雫の言葉に対し、可樂は真面目に冷やし中華に載せた具材を一つ一つ説明した。
きちんと冷やした中華麺の上に、まずは細切りにしたキュウリとニンジンを載せ、カットしたトマトをその横に並べたら、野菜ゾーンはこれでちょうど半分くらい。
そして、錦糸卵をこれでもかってくらいに空いたスペースに置くと、残った場所に刻んだハムを入れて、上から手作りタレを掛けたら、可樂特製の錦糸卵大盛り冷やし中華はこれにで完成。
可樂が楽しそうに撮った写真を見て、具材でほぼ麺が見えない可樂の冷やし中華に対し、雫は自分の買った台湾涼麺を改めて見てみた。
具材はキュウリとニンジンの二種類あって、それを麺の上に並んだら、半分くらい覆えるから、平均よりもやや多いくらいの量がある。
そして、同封している『台湾麻醤』と書かれた台湾の胡麻ダレを開けて、『台湾醤汁』と書かれた醤油ベースのタレと一緒に麺に掛けたら、台湾涼麺はこれで完成する。
移動式のカメラではなかった為、雫は自分がコンビニで買った台湾涼麺の写真を撮り、それをチャット欄に上げながら、雫は可樂にそう返した。
「あのね、やっぱ冷やし中華は日本料理なんですわ。見てくださいよこれ、台湾涼麺的には平均的な野菜の量なんだぜ?」
「えっ、うそ? キュウリとニンジンだけなのはまあいいとして、そっちの野菜、私の錦糸卵よりも少なくない?」
「いや、そりゃ半分くらいが錦糸卵の物と比べたら少なく見えるわ。……多分そっちが使ってるキュウリとニンジンと同じくらいだと思う」
「これでも少なめだと思ったけど、もしかして台湾の冷やし麺って、具材が少ない?」
「むしろ麺とタレがメインだから、具材いらない説があるかもしれない……って、折角冷やし麺を用意したんだし、もう食べちゃおうか」
「確かに! じゃあ、いっただきまーす!」
雫の声を合図に手を合わせた後、すぐに可樂は冷やし中華の麺を上に乗ってる錦糸卵と一緒に箸で取り、ズズズッと一気に口の中に吸い込んだ。
麺を啜る音を聞いて、雫の眉はわずかに釣り上げたが、更に可樂がそのままキュウリを挟もうとするのを見ると、少し困惑した声で雫は可樂にそう聞いた。
「もしかして、日本って冷やし中華は混ぜないで食べるルールとかあるの?」
「えっ、なんか冷やし中華は混ぜると汚くなるから混ぜるなって言われたんだけど、そうなのかも?」
「マジか。台湾は基本混ぜて食べるからさ、ちょっと驚いちゃった」
「えっ、あっ本当だ」
雫の言葉を聞き、それを不思議に思っていたけど、雫の手元を見てみると、確かにその台湾涼麺は混ざっていたところだった。
気まずそうに箸を止めていた雫を見て、可樂は一回箸を置き、そして『冷やし中華 食べ方』と検索すると、すぐに説明のページが飛び出てきて、それを読みながら、可樂はそう話した。
「あっ、待って雫、もしかしたらアタシ達大きいな勘違いをしていたのかも」
「どういう事?」
「今調べたけど、冷やし中華って決まった食べ方はないんだって。でも、混ぜて食べる方が汚いと思う人は一定数いるから、相手を選んで食べ方を決めるのが吉だって……雫、顔、顔が!」
明らかな呆れを顔に書いた雫を見て、思わず可樂はそうツッコミを入れた。
そんな可樂の声を聞き、雫は一旦箸を置き、そして可樂を見て、雫はそう話した。
「正直台湾だって絶対に混ぜて食べないと駄目! ってルールはないけど、私は混ぜて食べたい派です。もし可樂さんはそれが嫌だったらまあ、他の物を取ってくるけど」
ハッキリとそう言った雫を見て、可樂はビックリしたように目を丸くした。
しかし、その声がすごく真剣だった事を理解して、少し考えた後、可樂はそう答えた。
「正直に言うとね、子供の時にね、『混ぜるなみっともない!』って怒られたから絶対に混ぜちゃ駄目だと思った。でも別にそう言うルールじゃないなら、混ぜて食べるのもやりたいんだよね」
「あー、別に私に合わせなくていいんだよ。日本の人って、なんやかんやマナーとかに煩いだろう?」
「ンフッ、それはそうだけどさ」
雫の言葉を聞いて、思わず可樂は吹き出した。
暫く笑い続けて、少し落ち着いたら、ビールを開けながら、可樂はそう続けた。
「でもね、マジな話、折角作ったタレがほとんど下に溜まっちゃうのって、すっごく勿体ないと思っていたし、それに、雫って台湾の人じゃん、だったら別にいいかなって」
「まあ、無理してないならいいけど、じゃあ、食べましょっか」
「おう、じゃあ改めて、いっただきまーす!」
そう言い終わると、可樂はビールをグラスに注ぎ、そして泡と一緒にビールを一口飲むと、冷やし中華をタレに絡ませながら、可樂は麺を啜った。
同じように台湾の涼麺を混ぜて、汁が垂れないよう慎重に麺を口に運んだ雫を見て、少し考えた後、もう一口ビールを飲んで、可樂は雫にそう聞いた。
「そう言えば、台湾のりゃんめんだっけ、そのまーじゃんというタレ、なんか濃そうだね」
「基本台湾涼麺の麻醤は胡麻ダレがベースに調味料や食材を入れて作ってるから、まあまあ濃い目ではある。辛い系だとラー油ベースの物もあるけどね」
「辛い系か、それって美味しいの?」
「辛いものが苦手ならオススメしないかな。私は好きだけど」
「へー、雫は辛い系が好きなのか、へー」
そう言って可樂は麺を啜りながらビールを飲み、そして二本目のビールを開けた時、唐突に可樂はテーブルを叩き、まるで妙案が浮かんだかのように彼女はそう声を上げた。
「じゃあさ、次はそれを買ってきてよ! 私も違うタレを用意するから!」
「それって、辛い涼麺の事?」
「そう! だってその後でいくら台湾りゃんめんって検索しても、まーじゃんとかいう胡麻ダレの物しか出てこなかったんだもん」
「まあ、基本台湾の冷やし麺と言ったら胡麻ダレの奴だからね……分かった、じゃあ次は辛いの買ってくるから」
「やった! というか台湾の冷やし中華ってほんっっとうに具材がないのおかしいんだけど!」
「やめろその台湾の人が聞いたら反論しづらい発言。というか何度も言うけど、台湾の料理って、割りと主食と調味料さえあれば大丈夫なところはあるから」
「なにその栄養バランスを全部調味料に溶かしたような発言、笑うんだけど」
「さっては可樂さん、もう酔っているな? まあいい、とりあえずこの約束はちゃんとチャットにも残しとくから、ええと」
『台湾の違う涼麺も見たいからって言うので、次は辛い奴買ってきます』
「えっへへ、やった! じゃあ次は濃い目のタレ作ろ」
「はいはい、というか飲みすぎんなよ、私と違って、君は明日リモートワークがあるんだろう」
「いっひひ、はーいィ」
すっかり酔っぱらいに出来上がっていた可樂の声を聞き、雫は少し呆れたように笑いを零した。
けど、自分が作らなくても、案外台湾の食べ物を見せるだけでも結構楽しいと思い、次はどれを選んでいこうと考えながら、雫は容器の隅っこに残ったキュウリを箸で取り、口の中に放り込んだ。
さって、次のリモート飯の時、何を持ってこようかな。