7.参考人の供述
(一)
「設楽町消防団に所属する、早瀬瞬太です。
捜索した日は、ええと、六月十二日でしたっけ。たしか、土曜日ですね。日の出とともに捜索を開始しました」
早瀬は日焼けしたさわやかそうで小柄な青年である。おそらく年齢はまだ二十代であろう。
「具体的には、何時でしたか」
「六時ちょうどです。私は二人組で大神田から登りましたが、和市からは四人が、二人ずつの二手に分かれて、堤石峠から回る『左回りコース』と、鹿島山から大鈴山を経由する『右回りコース』とで、一斉に捜索を開始しました。
私たちは、山の神様から剣が峰と夫婦岩も調べてから、馬の背には行かずに、まず先に頂上近辺を調べました。それから、馬の背へ足を進めると、崖の下に女の子の遺体がありました。遺体を発見した時刻は、だいたい八時でしたね」
早瀬がいう『馬の背』とは、懸案のナイフリッジのことである。
「前日のことですけども、学生たちが山を下りる時にナイフリッジの下を確認していて、その時には、遺体はそこになかった、とそろって証言していますけど……」
千田警部補が重要ポイントの確認を取った。
「ああ、そうですか。でも、馬の背の下を覗き込んだところで、そう簡単にあの遺体を発見できるとは思いませんよ。岩が邪魔をして見えにくい場所に、遺体は落ちていましたからね」
「じゃあ、どうしてあなたにはそれが分かったのですか?」
「それはですね。馬の背の手前に女の子のリュックサックが、ちょこんと置いてありましてね。こいつは怪しいと思って、ロープを用意して岩の下まで降りて、注意深く調べてみたら、ようやく遥か崖下に横たわる女の子の姿を見つけた、というわけですよ」
早瀬が詳細を説明した。
「待ってください。学生たちの証言によれば、前日の午後三時半には、そのようなリュックサックは置いてなかったはずなんですけど……」
「そうですか。でも、私たちが行った時にはありましたよ。たしかに、通り道の脇に置いてありました。あざやかなピンク色の目立ったリュックサックですから、さすがにあれが見過ごされてしまうとは、ちょっと想像ができませんね」
「リュックが置かれていたのは、ナイフリッジの手前ですか、それとも奥ですか。ええと、すみません。いい直します。岩に対してどちら側にありましたか?」
「東側です。平山明神山頂がある方ですね」
慌てふためく千田をなだめるように、落ち着いた声で、早瀬が応じた。
「ということは、ナイフリッジの手前、すなわち、学生たちが居た側になりますね?」
「そのようですね」
「つまり、状況を説明しようとすれば、学生たちが帰っていなくなってから、その女子大生がナイフリッジまでやって来て、リュックは邪魔だから脇へ置いておいてから、岩登りに挑戦したけど、そこでうっかり足を踏み外して、崖下へ転落をしてしまった、ということになってしまいますけど」
「さあ、そこまでは私たちには判断できません。それをなさるのが、あなた方警察官ということではないでしょうか?」
早瀬が困ったように返答した。
「失礼しました。ほかの捜索隊から、なにか異常は報告されなかったでしょうか?」
千田はあきらめて、質問を代えた。
「そうですね。私たちが遺体を発見した頃には、堤石峠からの捜索隊の二人も馬の背までやって来ていて、すでに合流していました。それから一時間くらいすると、逆回りの捜索隊も馬の背に到着しました。周回コースの捜索隊の話では、いずれも途中で誰とも会わなかったし、特に異常はなかったそうです」
「そうですか。まあ、土曜日とはいえ、八時前後だとさすがに登山者は誰もいなかった、ということですね」
「そのようですね。でもそれからが大変でした。九時を過ぎた頃から登山者がぞろぞろとやって来て、十時を過ぎるとちょっとした人だかりができましたね。
というのも、遺体の回収には相当に苦労いたしまして。ロープを頼りに崖下へ降りるだけでも困難を極めますし、そこから、救助ヘリコプターからおろされた縄梯子に遺体を引っ掛けて、どうにか引き上げることができました。その頃には連絡を受けた警察官も山頂まで登って来ていました。いちおう滑落事故ということで、遺体の発見時に、警察にもすぐに通報をしておいたのです」
「遺体の様子はどうでしたか」
「遺体の顔面には山蛭がいくらかこびり付いていましたよ。きっと崖下の草地にいっぱい潜んでいたのでしょうね。若くて美人な女の子なのに、可哀そうにねえ」
美しき女神イザナミの顔面にウジ虫が湧いていた、という古事記伝説の一話を、なぜか、千田はふと思い起こした。
(二)
「私が大田切肇です。
ええ、たしかに六月十一日の金曜日に、家内といっしょに平山明神と大鈴山へ登りましたよ。それにしても、警察の方がわざわざこんな田舎まで、いったいどういう用件で?」
大田切肇は、ロマンスグレイ色の髪をかき分けながら、玄関口へ現れた。真っ黒に日焼けした健康そうな人物である。
「あの日、登山中に滑落事故で亡くなった学生がおりましてね。もしかして、何かお話がうかがえないかと思って、やってきました」
そういって、千田警部補は丁寧に頭を下げた。
「なるほど。そうでしたか。そういえば、そこで会った男の子に名刺を渡したっけ。
なんか、女の子が一人いなくなったと騒いでいるから、心配して声をかけてあげたら、万が一のために連絡先を教えてもらえないかと、男の子からちゃっかりと申し出がありましてね。少々戸惑いましたけど、断るわけにもいかんので、その場で一枚名刺をあげましたよ。それで、刑事さんにも我が家が分かったということですね」
「ご迷惑をおかけいたします。思い付くことがあれば何でも構いません。お話しいただけないでしょうか」
「あの日は、十一時半には平山明神の山頂に居ましたよ。それから、大鈴山へ向かいました。大鈴山山頂にはたしか一時過ぎに着いていますね」
「そのルートですと、途中でナイフリッジを通らなければなりませんよね。危険じゃなかったですか。奥さんもいらっしゃるのに?」
「ナイフリッジ? ああ、千曳岩のことですか。あそこは危険だけど、まあ、用心さえしておけば、家内でも十分に渡れますよ。実際、あの日は往復で二回も通っていますからね。どちらかといえば千曳岩は『下り』が大変ですからねえ。ええと、平山明神へ行く方ですな」
「なるほど、大神田登山口から登って、はじめに平山明神へ行き、それから、大鈴山へ行ってから、ふたたび大神田登山口まで戻られたわけですね。さぞかしお時間も掛かったことでしょうね」
「そうですね。九時から登り始めて、下山し終えたのが五時でしたからね。それなりに満喫できましたよ」
大田切肇が、得意げに語った。
「帰りにお二人がナイフリッジを通過した時刻ですけど、正確に分かりませんですかねえ」
「千曳岩を通った時刻ですか。ちょっと待ってください。登山アプリに記録が残っていますから」
そういって、大田切はポケットからスマホを取り出して調べ出した。
「要所を通過した時刻が、おそらくみんなここに残っているはずですよ。
ええと、あの日のルートは、大神田登山口から、行きは夫婦岩へよりまして、それから西の覗き、平山明神山頂、小鷹明神へ行って、東の覗きによってから、千曳岩に向かいました。
それから、グミンダ峠を通過して、大鈴山に着いたのが、ふむふむ、一時半ですな。それから、帰路について、ええと、ほら、刑事さん。ちょうど千曳岩の地点で写真を撮っていますよ。それによれば、私たちが帰りに千曳岩を通った時刻は、三時二分、となっておりますな」
大田切は、千田に見えるように、自分のスマホをかざした。
「ほう、登山で通過したルートをGPSで把握して、自動的に赤色で表示するのですね。さらには、写真を撮った地点も、カメラのマークでいちいち表示してくれるわけですか。こいつはよくできていますねえ」
千田は、スマホに映し出された登山アプリの画面を、感心しながら眺めていた。
「これさえ持っていれば、道から外れた時には警告音を発してくれますし、自分がいる正確な場所も地図で確認できますから、実に重宝しますなあ。要所要所で写真を撮れば、そのたびに時刻が記録に残ります。まあ、紙の地図とコンパスを頼りに登山をしていた一昔前と比べると、格段に便利になりましたなあ」
大田切はうれしそうに千田に説明をした。
「学生さんたちと剣が峰で出会った時刻は、四時となっていますね」
佐久間たちとの供述と矛盾していない、と千田は思った。
「あなた方が、お帰りの際にナイフリッジを通過したのが三時過ぎで、その十五分後には、三人の学生たちが、ナイフリッジまでやって来ているのですが、彼らの姿は目撃しませんでしたか?」
「さあ、見んかったです。おーい、とか叫んでいる声が聞こえたから、付近に誰かいるとは思いましたけどね」
「そうですか。では、ナイフリッジを……、いえ、千曳岩を通過されている時に、何か異変がありませんでしたか」
「別に、何もなかったなあ。おおい、かあさん。刑事さんが千曳岩で気付いたことがなかったかお訊ねだけど、何かなかったかねえ」
そういって大田切は台所にいる婦人に目を向けた。すると、夫人がやってきて、にっこり笑いながら首を横に振った。
「崖下に女の子が落ちていませんでしたか?」
「うーん、もし落ちていれば、さすがに気付いたと思いますよ」
「でも、あんた。あの岩から真下なんて、のぞきようがないんと違う」
決め付けるように、夫人が訊ねた。
「まあ、そうだけどなあ」
「それでは、今度は遺体ではありません。大岩を降りたところに、ピンク色のリュックサックが置いてありませんでしたか?」
「そりゃあ、なかったです。絶対に。うん、そいつは間違いないですな」
「そうね。たしかに、リュックなんてありませんでしたわ」
声をそろえて、大田切夫妻は問いかけを否定した。