九月
9/17 添削等を行いました。
1
夏休みが終わって数週間経ち、ようやくバイトを繰り返していた日々から高校生活に体が馴染んできている。
「あー、今日バイトめっちゃだるい」
俺のすぐ隣では、美香がスマホを弄りながら歩いている。だるそうに歩みを進める一方で、スマホの画面上で指をすばやく滑らせている。
「しかも苦手な人とシフト入ってるんだけど」
うわそれはめんどくさいなー、と彼女に同調しながら、歩く速度を合わせて中途半端に長い橋を渡る。
高校での、何のために受けているのか分からない授業をこなした後は、付き合っている美香と一緒に駅まで帰るのが去年からの習慣になっていた。
一年生の体育祭の後、美香から告白されて、好きでもないにも関わらず同意をしてから一年半ぐらい経ち、別れる理由もないからと関係を続けている。
「ていうか結城くんこの前のドラマ最終回見た!?」
彼女はテンションの上下が激しい。俺の鞄を軽く掴みながら、今流行のドラマの話をしてくる。ドラマのことを思い出してから若干興奮しているのか、軽く飛び跳ねながら主演の俳優の話を続けた。彼女の茶色い、肩に掛かるくらいの長さの髪と、缶バッジのついたスクールバッグが飛び跳ねるたびに揺れる。
パッチリした二重、地毛にも関わらず少し茶色いセミロングの髪、嫌らしさのない程度に、しかしダサくもない程度に短くしたスカート、可愛らしいキャラクターものの缶バッジが付いたスクールバッグ。
美香の見た目はその辺りの女子高生に比べて、女子高生として完成されている。いわゆる世間の思う『可愛らしい女子高生』だ。
「いや、俺まだ見てないからネタバレだけやめて!!」
嘘をついた。俺はまずそのドラマを見ていないから、オチを話されてもどうも思わない。しかし彼女に合わせて無理やりにテンションを上げる。
「えー、超面白いから早く見たほうがいいよー」
飛び跳ねるのに疲れたのか、美香は軽く息をつくと、俺の手を握ってくる。それを俺も、軽く握り返した。
中途半端に長い橋は、自分一人で歩けば五分ほどで渡りきれるが、彼女と歩くと二倍ほど時間が掛かる。退屈ではないが、面白くもない。この橋を彼女と渡っている時間は俺にとっていつもそんな時間だった。
「あの主演の俳優さん、めっちゃかっこいいんだよねー」
彼女がドラマの話をするときは、決まって俳優や女優の話をし、あまりストーリーの話をしない。それに、俳優や女優の話をするときも、演技の話をするわけでもなく、その見た目の話が大半を占めている。
美香がまた始めたドラマの話を軽く聞き流しながら適当に返事をし、目では橋の下に流れている川に反射する、心地のいい光を眺める。
そして、流れる川の先の地平線に沈んでいく夕日を、ぼーっとしながら見つめた。
夏が終わりつつある。日が沈むのが早くなり、肌に纏わりつく湿気を含んだ暑さは影を潜め、その代わりに乾いた心地のよい風が吹くようになってきた。
2
「それじゃ、また明日ね!!」
一番線のホームに来た電車に彼女は乗り込むと、ガラス越しに手を振ってくる。それに手を振り返して、俺はホームにあるベンチに腰掛けた。甲高いベルの音が鳴ると、美香を乗せた上り電車はゆっくりと動き出した。
その電車を目だけで見送り、ポケットから出したスマホに意識を移す。何通かSNSからの通知が来ていた。
数分間SNSで時間を潰していると、二番線に電車が来た。空気が漏れる音とともに開いたドアを通って車内に入り、一番端の席に座る。
すると、ドアが閉まるか閉まらないかのタイミングでぬるっと一人の男子高校生が入ってきた。そして、俺の前の席に座る。
あ、森田だ。と気づいたが、俺は声を掛けない。そして向こうも当然のように俺には声を掛けてこない。
森田とは、一年生の頃に同じクラスだった。色白で身長が低く、体の線の細い彼は、見た目の通りの根暗だ。一年生の頃、彼には友達が居なかったし、恐らく今も居ないだろう。同じ方面の電車に乗っているということも初めて知ったくらい、俺は同じクラスでも森田のことを全然知らなかった。
俺の反対側に座った森田はこちらに一瞥もくれることなく、一息つくとリュックサックの中からノートパソコンを取り出した。
パソコンで何をするのだろうか。気になった俺は、スマホに向けていた意識をばれないように森田に向ける。
パソコンを起動して少しすると、彼は熱心にキーボードを打ち始めた。何か書いているのだろうか、あるいはゲームでもしているのだろうか。
何をしているか興味が沸いた俺は、違和感がないように立ち上がると、彼の横に立つ。どうせ次が俺の降りる駅だし、たまたま森田の座っている側が開くドアだし、変に思われることもないだろう。
席から立ち上がり横に陣取った俺を気にすることなく、森田はパソコンの画面に食いついている。少し申し訳ないかなとも思いながら、彼のパソコンの画面をちらっと見てみた。
そこには、とある有名な小説投稿サイトの名前と、文字で埋め尽くされた編集画面が写っていた。まさか森田は小説を書いていたのか。
電車が徐々に速度を落とし始めてきた。もう少しで俺の降りる駅に着く。小説には興味は無かったが、同じ学校にいる人が書いているとなるととても興味が沸く。ペンネームか何かを確認すれば、彼の小説をネット上で見ることが出来るかもしれない。そう思うと、パソコンの画面から目を離せなかった。
電車が駅に着き、ドアが開く寸前に、恐らくマイページのような場所に画面が飛んだ。
そこには『モリタ』というペンネームが載っていた。
3
三十分ほど乗っていた電車を降りると、駅は少しだけ薄暗くなってきていた。
自分と同じ制服の生徒もいれば、違う制服の生徒もいる駅を、スマホを見ながら早足で歩く。エスカレーターに乗った俺は、ネット上で森田が小説を書いていたサイトを開き、すばやく『モリタ』で検索をかけてみる。
いつも歩きながらスマホで動画を見ている俺からしたら、この駅での歩きスマホは慣れたものだ。ほとんど無意識で改札にスイカをタッチして駅を出て駐輪場へ向かう。
駐輪場へ向かう途中で、『モリタ』というペンネームの投稿者がヒットした。そのプロフィールページを開き、ざっと概要欄を確認してみる。
『高校二年生。男。小説を書いています。』
自己紹介欄にはそれしか書かれていなかった。無味乾燥とした『モリタ』というペンネームや、随分とあっさりとした自己紹介欄。しかし、完結済みと付いた小説が幾つかそこには残っている。そして、連載中が一つ。
彼が電車の中で書いていたものは恐らくこの連載中と書いてあるやつだろう。そう気づいたときにはもう自分の自転車の前に辿りついていた。
『空っぽ』
連載中の小説のタイトル。その短いタイトルに興味を引かれながら、俺はスマホをポケットに突っ込んで自転車の鍵を外して跨った。
家に帰る途中には、小さな丘を越える必要がある。橙色から蛍光灯の光の色に変わり始めた住宅街を自転車で駆け抜けた。いつもであればダラダラと気だるく、仕方なくペダルを踏むが、今日は少しだけペダルを踏む足に力が入る。
住宅街を抜け、必死に丘を自転車で登ると、自分の家がある方向がよく見える。焼けるようなオレンジ色が広がる地平線と、その上から覆いかぶさる夜の暗闇が綺麗なコントラストを描き、俺が帰る町を彩っていた。
その景色を眺めながら、人の居ない坂道を下る。気が付けば頬に触れる空気が、この前までの暑いものから冷たいものに変わっていた。
高校二年生の夏は知らぬ間に終わっていて、少しも何かが変わった気がしないまま秋を迎えている。
4
家に着いて夕飯を食べ終わると、俺はリビングのソファーに深く腰掛けながらスマホを開き、改めて『モリタ』のページを確認する。『空っぽ』というタイトルは、何故だか酷く俺の胸をざわつかせた。初めて受けたその感触に、少しだけ不安を感じながら、俺はその小説のあらすじを確かめてみる。
『これから僕たちはどうなるのだろうか。俳優を目指すと決めた高校生、大学入学に向けて努力する高校生、恋人との関係性に悩む高校生、片思いと部活の間で揺らぐ高校生。そして、何をすることもなくただ今を生きている高校生。彼ら彼女らの高校生活の一部を描く群像劇。』
『何をすることもなくただ今を生きている高校生』。その言葉が、俺の心に突っかかる。そして気が付いたら、俺はその小説を読み始めていた。連載中と書いてあったが、どうやら半年ほど前から連載を続けているようだ。
『僕らは大人になれる気がしない。』
彼の書いている小説は、この一文から始まっていた。
まず始まったのは俳優を目指すと決めた高校生の話。彼は俺と同じ高校二年生。しかし、将来の夢もやりたいこともない俺とは違い、小学生のときに親に連れられて観た舞台に感動したことから、俳優を目指している。そんな主人公の彼は、親に俳優を目指すということを告げられずにいた。何故なら、彼の両親は不仲により離婚しており、母親だけが働き手の家庭は当然のように貧乏だからだ。しかし、彼は最後の反抗期と考え、母親に俳優になりたいことと、学校に通うことを相談する。母親と喧嘩をし、家を飛び出した彼は、外を一人で歩きながらも何かに気づいたのか微笑んでいた。
「結城お風呂入りなよー」
俳優を目指す主人公のエピソードを読みきったところで、母親ののんびりした声で現実世界に引き戻される。さっきまで流れていたバラエティ番組は終了しており、つなぎとして作られたであろう短いニュースが流れていた。
「もう少ししたら入るよ」
俺はキッチンで洗い物をしている母親のほうを見ることもなく、もう一度スマホを見ようとしたが、充電が少ないことに気づき、スマホの画面を消した。
その日はお風呂から上がってからも『モリタ』の書いた小説を読み、気が付いたら朝になっていた。