004 春の海辺でドキ!
まともな会話もないままに小一時間ほど電車に揺られる。車窓を流れる風景は民家から松林に変わっていた。
微かに潮の香りが感じられる。駅に着く度に、車両に乗り合わせた人々が一人、また一人と降りて、とうとう二人きりになった。
「あのさ。どこまで行くんだ?」
「海!」
短く答えて佐伯優は口角をクッと持ちあげてほほ笑んだ。
その瞬間を待っていたかのように視界がどっと開ける。青く輝く空と海。水平線がクッキリとした弧を描いて天と海を分かっていた。
白い砂浜、砕ける波。窓いっぱいに広がる世界。非日常を代表するかのようなダイナミックな光景に心が躍る。
そっか、この路線って海まで続いていたんだっけ。
平凡な日常に慣れ親しみ過ぎて、こんなことすら忘れていた。幼かった頃は、毎年のように親にせがんで連れてきてもらった懐かしい光景が、今も変わることなくそこにあった。
浮き輪を首にかけてはしゃぎ回っていた頃の記憶がよみがえる。あの頃は、そこに海があるというだけで楽しかった。
彼女や心を許した親友とは無縁の平民男子になった今、近づくことさえためらっていた場所だ。
俺の隣にだれもが振り向く本物の美少女がいる。普段なら触れることも側によることも許されないような神聖女子。
でも、今の彼女の浮かべる笑顔は、まるで子供のままのように見える。触れることを禁じていたオーラが消え去っている。
電車が海辺の駅に滑り込んで止まった。
土のホームとベンチ一つしかない駅舎。改札すらない無人駅。一つしかない駅舎の小窓が、浜辺の景色を切り取ってまるで絵画のようだ。
プシュー。
静けさをバックに電車の扉が開く。
「降りるぞ、一哉」
「お、おう」
最後の乗客である俺こと工藤一哉と佐伯優はカバンを握るのも、もどかしくなるくらいの勢いでホームに飛び降りた。
「忘れ物、ないよね」
「もちろんだ」
そういや、昔は町内会のイベントで子供たちを集めて海にきてたっけ。その中に、ドンくさデブの三島優がいたことを思い出した。
浮き輪を電車に忘れて、涙と鼻水を垂らしながらでかい声でビャービャー泣いてたっけ。
あの時の女の子が、今、容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能!三拍子揃い組のクールビューティ、天下無双の学園アイドルだもんなー。感慨深い。
人生、なにが起きるかほんとわからん。完全に立場が逆転している。
こんなヘタレ男子になっているなんて、あの頃の俺が知ったらショックで入水自殺でもするかもしれない。昔の俺は、そのくらいの無邪気な勇気と元気があったと思う。
「一哉、これ」
優が古くなって少し黄ばんだ木綿のハンカチを俺に差し出した。はじに『かずや』と汚い文字がかすれたフェルトペンで記されている。
・・・?
突然、記憶が突然鮮明になる。
泣き止まないドンくさデブに手渡したあれ。
鼻水まみれになってキモいから渡したままになってたあれ。
後で落としたと言い訳して母親がブチ切れたあれだ。
「ずっと持ってたのか?」
「うん。私のお守り」
ぐっ。お守りかよ。殺し文句じゃんか。
てか、この展開。恋愛小説なんかのテンプレートのまんまだよな。
忘れていた幼なじみが美少女になって突然現れる。んで、ヘタレ男子の主人公に思い出の品を差し出す。誰もいない海辺をバックに二人は見つめ合い・・・。
顔を上げて真っすぐこちらを見つめている優。
ドキ!
唇に吸い寄せられそうだ。バカやろう。理性が崩壊するだろ。
「絶対に勘違いしてるよね。ふふ。一哉は憧れの悪友だけど、恋心とかないから」
ぐっ!俺の心を読むんじゃねぇ。忘れてた。悪友だっけ?ヘビの生殺し的な関係かよ。
あれ、俺、あれ程ビビっていた悪友関係を認めるんだ。
相手はあやかり女子に絶対防衛されている、あの神聖女子だぞ。
バレれたら良くて無視扱い。悪けりゃ虫けら扱いだ。足蹴にされて踏み潰されても誰も助けてくれない。
学校だったら絶対に認めていない。でも、ここは心を解き放つことを許す若者の禁断の聖地、海なのだ。今だけくらいは許そう。
学校に戻ったら、優だって冷静さを取り戻して神聖女子に返り咲くはずだ。一時の気の迷いくらい神様だって認めてくれる。
それに悪友である以上はそこより踏み込めない。
「勘違いなんてするか。神聖女子に手を出すほど、俺は愚かじゃねえし」
「神聖女子?今度、その言葉で呼んだら、一哉のこと恋人だって学校中に言いふらして回るから」
すねた顔で口を尖らす佐伯優!それはそれでかわいんだけど、恐ろしいことを言っている。こいつはマジだ。
普段の学校での行動を見ていたらわかる。言ったことをやり遂げるからこそ、神聖女子の異名をつけられたんだもんな。そりぁあ、嘘電も信頼されるわ。
「やめてくれ。俺のささやかで平穏な学園ライフを完全粉砕する行動だけは慎んでくれ。神聖女子と言わないように心がける・・・。佐伯様」
「殺す!佐伯じゃない。優って呼ぶんでしょ」
笑顔で怒られた。正直、ホッとする。
「わ、わかった」
「罰として海に向かって優って、五回叫ぶこと!」
「こ、ここでか?」
マジかよ。そういうのは熱愛バカップルのテンプレだぞ。勘違いさせる行動ばかりしておいて、俺のステータスを悪友に据え置くのか。
正直、キツイ。俺は心の中で優をポンコツ神聖女子に認定した。
「誰もいないし。私もつき合うから」
顔を真っ赤にして言う事か。どうなってんだよ、優の頭の中は。女神か魔女か、わからなくなってきた。これが海の魔力なのか?
「じぁあ、思いっきりいくよ!」
「・・・」
「カズヤーーー!」
声が響く。ほんとかよ!いきなりエンジン全開じゃんか。
「ユ、ユウ?」
「アハハ。声ちっちぇー。笑える。そんなんじゃ海の向こうまで聞こえないから」
「怒鳴ったって聞こえんもんは聞こえん」
両手で口の周りにメガホンを作る優。体を後ろに反って思いっきり息を吸う。前傾姿勢に移行しながら叫ぶ。
「カズヤーーーーー!」
もの凄い声量。こいつ、細っちい体して肺活量がどんだけあるんだ。メチャ恥ずかしいわ。誰もいなくても死にそうだ。
でも、負けていられない。なぜなら、ここが子供の時となに一つ変わらない海だから。ドンくさデブだった彼女に負けることは、かつての俺のプライドが許さない。俺は優の姿を真似る。
「ユウーーーーー!」
「カー、ズー、ヤーーーーー!」
まだ、まだ。
「ユーーーーー、ウーーーーー!」
「カー、ズー、ヤーーーーー!」
「ユーーーーー、ウーーーーー!」
お互いに四回叫ぶ。酸欠になりそうだ。肺が痛い。五回まで残すところあと一回。ちょっと楽しくなってきた。
声を張りあげるって気持ちいい!本当にストレス解消になるんだ。今度、一人でやろうかな。
「お前さんら、どこからきなさった?」
振り向く二人の後ろに満面の笑みを湛えたお婆さんが立っていた。
「・・・」
右手を耳にあてて返事を待っている。どうやら耳が遠いようだ。でも、あれだけの大声で叫んだら聴こえちゃってるな。
「若い夫婦は良いのー」
制服、着てるだろうが!夫婦なわけないぞ。そんな歳に見えるんかい。てか、まったく容姿がつり合ってないだろ。耳だけじゃなく目も悪いだろ。
「お似合いだこと」
ボケてんのね。老人性痴ほう症。耳と目だけじゃないのな。
「えへへ。お婆ちゃん。見守ってくれてたんだ」
優!お前もか。その女神様的スマイルは、このお婆ちゃんには必要ないから。
「一哉、あと一回、残っているよ」
まだ、やるんかい?言い出したら聞かないポンコツ神聖女子。こうなったらやけくそだ。旅の恥はかき捨てなんだ。
「ユーーーーー、ウーーーーー!」
「カー、ズー、ヤーーーーー!」
俺たちは二人同時に海に向かって叫んだ。青い空に声がつき抜けていく。あー、恥ずかしい。でも、気持ちいい。
「面白かったわい。動画配信サイトにアップしといたから」
「ば、婆さん。いつの間にスマートフォンを。冗談ですよね!」
慣れた手つきで最新のスマートフォンを操作するお婆さん。画面が追いつかんくらい早い!お見逸れしました。
高速通信を示すアンテナ表示がバリバリ立っている。こんなど田舎なのに。普通、圏外ちゃうんかい。
「んにゃ!ほれ、アドレス送るからお前さんのスマホを出しな」
画面に表示される人気動画登録者のハンドルネーム。学園でもお笑いネタで良く知られた名だ。登録者がこんな婆さんだったなんて・・・。
世の中、知らんところで恐ろしく進んでいる。ネットワークゲームのパーティ仲間の猛者が全員小学生だったって笑い話は聞いたことあるけど、年寄りまでもが進化しているとは。って、感心している場合じゃない。
「マジですか・・・」
俺の心は、ぽっきりと折れた。終わった。人生ジエンドだ。調子こいて終わる人生なんて平民男子らしくない。いや、らしいか。溜め息すら出ない。
「わふっ!私のスマホにお願いします」
スマートフォンを差し出す優。ドンくさデブの三島優はどんな成長を遂げて神聖女子の佐伯優になったんだ?鋼鉄のハートを身につけているとしか考えられん。
「一哉、すごい。バッチリとれてるよ。二人だけの熱い思い出ができたね。悪友最高!二人だけの秘密をありがとう。おばあちゃん」
最高級の美少女が女神のごとき笑顔をむけている。この邪神め。なにが秘密だ。思いっきり公開されているだろうが。
お昼には学校の誰かが確実に見る。それくらい有名なんだぞ。このババアがな。
俺の前途多難な冒険が始まろうとしている。ラブコメのテンプレを凌駕する展開。次に待つ苦難はなんだ?次回をお楽しみに。
もはや傍観者に身を置くしかない。精神を正常に保つ為にはこれしかない。
美少女の仮面がまた一つ剥がれ落ちた。
一皮剥けて、その下から現れる無邪気さをたたえた美貌に、俺の心臓がトクンと鳴った。




