Act,09―頭脳戦 前半―
俺には、彼女がどういう存在なのかなんて何ら関係なかった。と言うよりは、俺が現状を知らなさすぎたのかもしれない。
俺の聞いた話は、その話を俺にした人でさえ現状を知らなかったのだ
今の現状を知っているのは、あのおふざけ理事長だけだった。
そんなおふざけ理事長だって知らないこともある。
もちろん、俺のことだ。
理事長のあまりに冷静な言葉、低すぎる声にほとんどの生徒達はあの放送が彼だとはわからないでい
たし、何よりそれより、彼らの話題は俺が理事長室に呼ばれたことであって、俺の話で持ちきりだった。
走ってついた大きな理事長室の木造のドアは大きく俺に立ちふさがった。ここ一週間でやった事が伝わるだけの器量を持っていてくれれば。俺はそれ以上の事を望もうとは思わない。
「よし」
一息ついて、そのドアノブに手をかけた。
「失礼します、城島、空です」
開けて、入って、ゆっくりと目を開けた。
だがしかし、そこには予想外の人間も顕在し。
「……なっち?!」
「……」
何も言わない彼女はゆっくりと自分に近づいてきたかと思うと、手を大きく振り上げた。
次の瞬間には、案の定、鋭い音が理事長室に響き渡った。
俺の頬は彼女の手形がついて、そして一緒にここ一週間の記憶がフラッシュバックする。目の端に見えた持田さんが、凄く申し訳なさそうなのは手に取るようにわかったのが、変な感じだった。
そう、それは一週間も前の事。
「……事務所どうするの?」
新羅からの宣戦布告があった日。
やはり、来ると思っていた質問に俺は欠伸をする。元より、入る事務所は一つに決めていた。だが、どうやってそこまでたどり着くか――これが案の定、俺と親父の間の議論の中心になっていた。
「……なっちは? なっちは入りたい所とかあるの?」
「僕? 僕は最初からASCに入るつもりだよ。おじさん――あぁ、親父の兄貴ね――おじさんが、もう僕の場所は作ってあるって言ってくれてるんだ」
「ふぅーん」
ASC――青空スタートコーポレーション――、それが彼女のおじの経営する事務所だ。結構芸能界では一二を争う所である。無論、今から芸能界入りしようとしている身だ、一応それなりに、事務所の一つや二つは知っている。親父とも、そこに入るか、弱小事務所に入るか散々揉めたのだ。
で、結局はASCとは決まったが……まだ動けないで居るのが現状だった。
「って!! 今は空の事務所入りでしょ! まさか、敵陣に入る訳じゃないでしょ?」
「……んー、さぁ」
敵陣、それが、ASCである。あのSIもここに所属しているのだ。もちろん、同じ事務所だと、新羅が文句言いそうだけど、俺がめざすのは一年後ではないのがはっきりしていた。だからこそ――だからこそ、俺は弱小事務所がよかったのにな、なんて思う。
「ま、別にどうにかなるよ。んじゃ」
部屋の前で別れを告げて中に入る。
ため息をついて、一番最初に目が入ったのは――誰かの靴だ。俺のではない誰か。すぐに顔をあげて、部屋のリビングをみた。そこには――そこには、黒いスーツを着た人が、こちらを向いて頭を下げている。
「こんにちわ……?って……違う!! あんた誰っ?!」
思わず後ろの壁に張りついた。確かに、ここにオートロックとかそういうのは着いていない。だがしかし、普通自分の部屋に誰かが居れば驚くに決まっている、こんな俺でも、急いで携帯電話を取出し、急いで110番である。
「怪しい者ではありません」
その声は、静かな部屋の中で響き渡る。いや、怪しく無いわけないだろう。と、素直に思う俺は、青い電話マークを押す寸前だった。
「怪しい者じゃなかったら何。普通、人の家に勝手に入り込んで座ってるのって、不法侵入罪で訴えれるぞ」
やけに冷静に戻る俺も俺。ため息をついて、とりあえず中に入る俺。相手は何も言わず俺の行動を眼で追った。
「で、誰?」
大きい体に、黒いスーツに、黒いネクタイ。どこのSPだ。オールバックにされた髪の毛と、サングラス。目は見えていなかったが、嫌でも、俺の行動を眼で追っているのがわかった。ブレザーをハンガーにかけて、ネクタイを外して、ベッドに座る。彼は、少し離れた机の前に律儀に正座していた。俺が、もう一度席を立つと、彼はようやく口を開けた。
「……理事長の秘書です」
「は?」
俺の行動がピタリと止まる。
「……理事長の秘書……? そんな人が何しに――」
いや、何をしに来たのか――俺は直後に察知した。立ち上がった足を踏み止まらせたのは、もちろん、驚きもあった。だがしかし、理事長の秘書が来たことに対してではなかった。
「――多分、わかっていらっしゃると思うんですが」
こちらを向いて、無表情で言う秘書さん。あの理事長とは天と地程違うな。
「……とりあえず、どれの事かおっしゃって貰えますか?」
にこっと笑った俺の顔。いつもの営業スマイルをバン、と出した。目を細めて、口を緩める。
「……察しが着いているでしょう?」
「俺は言いませんよ」
あくまでも俺から言わそうとする彼に、俺は、そのまま足を台所へと向けた。一部屋につき、一つ簡易キッチンがあるのだ。大抵使わない人間が多いが。家から持ってきた珈琲カップを二個用意して、インスタント珈琲を用意する。
「どれ……と言うのは――」
「――俺からは何も言わないって言っているでしょう?」
少し強めに言う自分に、相手は溜め息をついた。
彼の言いたいことは大体こうだ。
“どれと言うのは、それ程疾しい事でもたくさんあるのか”と。
たくさん無かったらどれとは言わない。疾しい事、と言われてもそうでも無いのだが。
お湯を入れて、持っていくと、彼は案の定頭を少し下げた。俺はまた、ベッドに座り、彼と睨めっこを開始した。
「……理事長命令ですべて吐け、言わなかったら退学だ、と言われてもですか?」
「じゃ、自主退学します」
「退学してどうするんですか、両親は、親戚は何も言わないんですか」
そう来たか。
「……さぁ」
笑う俺。余計、何も言わなくなる彼。俺はなにが面白いのか、心の中でも、表面上も笑っていた。
「……一つ、質問いいですか?」
「何でしょう」
彼は、俺を見て珈琲に手をつけようともせず、俺を見ていた。その黒いサングラスの下から。敬語の彼に違和感を抱きながらも、聞いた。
「今日は、俺について聞きに来たんですよね?」
「はい、そうですよ」
「……この事を那智は知ってるんですか?」
「……この事、とは」
「貴方がここに居ることです」
「……知っていてはまずいんですか?」
「いえ、これから俺のことを調べるに当たって、一つ、二つ、条件があります。俺のこと――プライバシーを知ろうとしているんでしょう? こちらが条件出すのもありでしょう」
俺が言うと、彼はまた無表情のままで、オーラで身構えていた。
「一つ……、俺のことがすべてわかったとしても、一切那智に言うのを禁ずる。困ると言うわけじゃない。理由――理由は多分嫌でもわかってくる」
「……どういう事ですかね……?」
「……まだそこまで辿り着いていない貴方がたが、どうにかする話ですよ。多分、俺が禁ずる前にあんたの上司が止めるよ」
「理事長が?」
「あぁ」
にこっと言うと、無表情のその顔は少し歪んで、俺を見た。だったら、俺を調べなければいいのに。なんて多少思ったが、多分仕方の無い事なんだろうな。
「二つ目――……、俺からは最低限の情報しか言わない。知りたいのなら、自分で調べてきてくれ」
それを言うと彼はその場をパッと立ち上がった。今から理事長の所へお話を報告か? そう思ったが、彼はもっと律儀だった。玄関まで行くと、靴をもって中まで入ってくるのだ。
「……嫌がらせか?」
「違います。だって、那智様に見つかってはいけないのでしょう?」
「窓から、ってか」
にやっと笑った俺を確認した彼は、窓から自分の靴を放り投げた。幸い、ここは一階だったので、自殺行為はせずに済んだらしい。
「では、また来ます」
「はーい」
へー、律儀で楽しい奴だね、そう単純に思ったが、窓から彼が出ていって、すぐ様机をひっくり返す。
「……ふーん」
前言撤回だな。
そこには黒い盗聴器が点滅していたのだ。律儀とかじゃないな、小細工がうまい。
ここから、俺と理事長の秘書の頭脳戦が始まった。
――頭脳戦――終了




