救いなき道
再び謁見の間に各々が集まったのは次の日の朝のことだ。
重苦しい雰囲気の中、やはりだらしなく王座に座るヘーレン。その向かいで対峙するヴァナ達。兵士達の数は昨日よりも格段に多かった。
これからどんな展開になるのか、兵士達は表情には出さずとも、息を飲んでいた。昨日、この場でされたやり取りは兵士達の間で様々な憶測を呼び、すぐに拡散された。昨夜の兵士達はこの話を酒の肴にし、大いに盛り上がった。シロネとヘーレンの間の確執は有名で、二人が袂を分かつことになれば更にひと騒動起こるのか、はたまた何事もなく終わるのか。
その話から飛び火し、派閥の話にまで展開した。ヘーレン派なのかシロネ派なのかという話だったが、本来なら聞く必要もない。皆が口を揃えてヘーレン側につくだろう。
しかし、昨日は酒が入っていたこともあってか、何人かはシロネ側につくという者達も出始めた。その中の一人に、シロネを迎え入れた門番の姿もあった。
結局、収まり所のない議論は、加熱し続け、最終的には殴りあって勝負を決めるなどという実に生産性のない話になったが、騒ぎすぎたせいで隊長に見つかってしまい、結局殴り合いの決着は未遂に終わった。
確かに何人かの兵士は具合が悪そうな顔で立っている。呑みすぎて二日酔いなのだろう。
面々が、緊迫した表情でいるのだが、特に話が始まる気配がないのは、この場にシロネの姿がないからだ。話がまだ始まらないのも、主役の登場を待ち望んでいるからだろう。
レッシュはこの状況で必死にどうすればいいかを考えていた。ヴァナがなるようになると言っていたが、この期に及んでも短絡的に考えられるほど、レッシュは能天気ではいられなかった。
実際、昨日の夜も打開策を考えていたせいで、数時間程しか寝れていない。結局具体的な案が浮かぶことはなかった。しかも、自ら言い出したのだが、自分自身が一番休息をとれていなかった。
不意に謁見の間の扉が開く。扉の奥にはシロネと彼女の世話係であろう二人のメイドがいた。綺麗な装飾が邪魔しない程度につけられた白のドレスに、ティアラを頭に乗せているシロネはまさに王女というイメージをそのまま具現化したような姿だった。
シロネの美しさに目を奪われたのは、マクロノだけではなく、その場にいた兵士達も、だった。
シロネはメイドを携え、ゆっくりと歩みを進める。その表情は明るくなく、暗くもなく、感情のない人形のような、そんな顔つきだった。そして、ヴァナ達に顔を合わせることなく通り過ぎ、ヘーレンの横に行き着く。
「相変わらず、綺麗だね」
「ありがとうございます」
この場にシロネが揃ったことで、場の緊張感が一気に増した。見惚れていた兵士達も、緩んだ表情を引き締め、再び気合を入れた。
「じゃあ、昨日の続きを始めよう。君たちの要求とやらをまず聞こうか」
ヘーレンは誰ともなく、そう問いかけた。それに答えたのは、やはりヴァナだ。
「要求というほどでもない。シロネを解放してやってくれ。悪夢の欠片ごと、な」
「ふむ。しかし、君達だって我々の国の事情を知らないわけではあるまい」
ヘーレンの態度は威圧的だったが、それでヴァナが怯むことはない。そう言われることは最初からわかっていたことだ。
「知っているさ。だからこそ、だ。その、お国の事情とやらをシロネ一人に抱えさせるのはあまりに酷だとは思わないのか?」
「国民を守ることが我々の義務であり、仕事だ。それはシロネも十分に承知している」
ヘーレンは実に冷酷な表情で、言葉を並べたてる。表情だけをみると、寧ろ無感情に近い。
「だからって、シロネが苦しんでいい理由にはならないじゃない!!」
成り行きを見守っていたレッシュが声を上げた。レッシュ自身も国に仕える者として、どうしても黙ってはいられなかった。
「確かに国民は守らなきゃいけない。それに貴方達には悪夢の欠片がなければ、他国に抵抗する力がないのかもしれない。でも、だからって!!誰かを犠牲にしていいなんて理屈が通るわけがないじゃない!!シロネが今までどれだけ苦しんできたか知ってる?貴方達も、そしてきっと私達にもわからないくらいよ!それなのに、国民から冷たい目で見られ、貴方達には利用価値しか見出してもらえない。そんなのおかしいわ!!シロネだって国の一部なのよ!!」
ヘーレンは無言だった。どれだけレッシュが熱弁しようと、ヘーレンの表情に変化は訪れない。
「落ち着いてよ、レッシュ。言いたいことはわかるけどさ。ここは冷静に話し合わないとね」
マクロノがレッシュをなだめる。確かにここで感情的になっても、話し合いは平行線になってしまうだろう。
「そんなことわかってる。でもこいつが!!」
「何もわかっていないな、君達は」
呆れたように、ヘーレンは溜め息を吐いた。それがレッシュの勘に触り、落ち着かせていた筈の心に火がついた。
「ちょっと!!何よ、その言い―――」
「黙れ」
ヘーレンがレッシュの言葉を遮った。
「いいか?そもそも勘違いしているようだが、シロネから悪夢の欠片を取り除く方法は一つしかない。シロネが死ぬ以外の方法は、な」
ヴァナ以外の三人が驚嘆した。何かしらの可能性はある筈と、心のどこかで信じていたそれが、打ち砕かれたのだから。
しかし、ヴァナだけは眉一つ動かさず、実に冷静だった。そういったことも予測済みということだろうか。
ヘーレンは淡々と続ける。
「そして、シロネは今十九だ。もう何か月もしないうちに二十歳を迎える。仮に彼女を解放したとしよう。それでもし、シロネの中に潜む悪夢王が暴走したらどうなる?誰が責任をとれる?君達にそれができるというのか?」
怯んでいたレッシュは揺らぎかけた決意を立て直し、ヘーレンと向かい合う。
「それはできないかもしれない。でも、だからと言って貴方達がシロネをここに閉じ込めていい理由にはならないわ!」
ヘーレンはレッシュの態度に、呆れたように大きく溜め息を吐いた。
「本当にわかっていないな。何度言わせるつもりだ。悪夢王の力がどれだけかも知らずによくそんなことが言えたものだ。そこまで馬鹿だと、称賛したくなるよ」
ははっ、とヘーレンは感情なく笑い、レッシュに拍手を送った。ヴァナのように小馬鹿にされているのとは違い、ヘーレンには完全な悪意、敵意があった。
「悪夢王なんて…聞いたこともないけど、もしそうなったって私たちが必ず抑えて見せるわ!!」
一度折れかけた決意は更に強固となっていた。もう、レッシュは迷わないと決めていた。
「いいか。悪夢王がもし本当にこの場にいたとしたら、どうなると思う?この国にいる者、ここに存在する建物、それだけじゃない。この広大な浮陸ごと消し去れるほどの力があるのだ。その名の通り、悪夢が現実になるんだ。それほどまでに強大な力なのだよ。実際に、一度悪夢の欠片が解放されてしまったことがあった。その時は、国が一つ跡形もなくなったという。それを知らない者が簡単にそんなことを口にしていいはずがない。君のように綺麗事だけでどうにかしようというほど、私の頭めでたくないのでね」
レッシュは苦虫を噛むように顔を歪ませた。返す言葉がない。確かに悪夢王という存在が、悪夢の欠片という存在がどんなものか知る由もない。
しかし、ヘーレンの言葉は紛れもない真実だった。それほどまでに、悪夢の欠片は危険性の高いものでもあるのだ。
「そんなこと言われたって私たちは簡単に納得なんてできないわ!シロネは私たちの仲間なのよ!」
黙っていたシロネがゆっくりと一歩踏み出る。
「ありがとう、レッシュ。もういいの。本当にありがとう」
「シロネ…?」
「私は、色々考えました。この道中も、ここに戻ってきてからも、ずっと。そして、私の本来の使命を思い出した。私はやはり、この国を守るものとして、この国で一生を終えることこそ、私の運命であり、本望であるということに」
無表情のままシロネが言い放つ。レッシュやヴァナ達に向けた言葉だとしたら、あまりに他人行儀であったが、それこそが本望ではないと思わされた。
「嘘、だよね…?シロネ」
ニルが悲しい顔をして、シロネを見詰めていた。シロネはゆっくりと階段を降り、ヴァナ達に近づいてきた。
「ニル、ごめんね。レッシュ、ヴァナ、マクロノ。みんな、ありがとう。私は最後にあんなに幸せな体験ができたんだもの。きっと天層圏一の幸せ者です」
力無く笑みを見せたシロネに、レッシュは泣き出してしまいそうなほどの悲しさを受け取った。
こうなるかもしれないとわかっていたが、それでもどうにかなる、きっと大丈夫だとレッシュもまた、シロネと同様に心の中で一縷の望みを心のどこかで信じていた。それが打ち砕かれたのだと、自分の力の無さが心底嫌になった。
大事な仲間の一人も救えないなんて。
「ということだ。まだ異論がある人はいるのかい?」
ヘーレンの問いかけに答えるものは誰もいない。それが了承と同義であると誰もが理解した。
「では、そろそろお引き取り願おうか」
ヘーレンが兵士に視線を移すと、それに呼応するように兵士の一人が動き出した。しかし、ずっと黙っていたヴァナが動き出したことで、兵士は一度動きを止めた。
ヴァナはシロネの目の前まで行くと、その口元をシロネの耳まで近づけ、何かを告げたが、ヴァナが何を言ったのかは近くにいたレッシュやニルには聞き取れなかった。
シロネの表情が一瞬驚き、大きく目を見開いた。
ヴァナはシロネを見詰め、シロネは大きく見開いた目に涙を溜めている。瞬きしてしまえば、涙が零れ落ちるほどに。
シロネは数秒の間を置き、力強く一度頷いた。