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空帝遺物  作者: 水芦 傑
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シロネの選択

 やはりシロネの言葉通りに手厚くもてなされた。夜、食事のために集められた会食場は実に広く、たった五人には空間を持て余すばかりだった。レッシュでさえ、これほどの広い会食場は見たことがなかったほどだ。

 出された料理はどれも高級、その上で一人前以上の量が振る舞われた。ヴァナは最初、料理に対しても警戒し、レッシュが先に口にするのを確認してから食事を始めていたのだが、レッシュがそれに気づくとまた一悶着があった。

 それをシロネやマクロノは微笑ましく眺めるという、今となってはいつもと呼べる光景だった。

 食事を終えると、それから各自部屋へと戻ったのだが、シロネだけは自室に帰らず、別の場所へと向かった。

 城内でも一際大きな扉の前で止まると、静かにノックした。

「入れ」

 上から目線の言葉が返ってきて、シロネはゆっくりと部屋に足を踏み入れた。部屋の中にはソファで寛ぐヘーレンが読んでいた本から目を離さずに迎え入れた。

 この部屋はヴァナ達に与えられた部屋よりも二回り程に広く、生活必需品を敷き詰めても、まだまだ広さを埋めきれていなかった。床に敷かれた絨毯も、壁際に並んだタンスや鏡台も、その他の家具も、高級感に満ち溢れていた。

 ここはヘーレンの自室であり、寝室でもある。シロネとは婚姻関係にあるが、寝室も自室も全て別々であった。それが政治的結婚であるとシロネはわかっていたが、結婚を断れる理由も、いや、それどころか、そんな権利もなかった。

 そうして夫婦となった二人であったため、同じ城内で過ごしていても、顔を合わせることすら少なかった。

 だが、今回の件があったからか、珍しくヘーレンからの呼び出しがあったのだ。

「どういったご用件でしょうか?」

 シロネは夫であるヘーレンには実に他人行儀に礼儀正しかった。それは、少なくとも望まなかった結婚に対する、シロネの抵抗の一つだった。

「まあ、座りなよ」

 ヘーレンはやはり本から目を離さずに、シロネを向かいのソファに促した。

「いえ、このままで結構です」

 拒絶を見せたシロネに、ヘーレンが僅かに眉を顰めたが、それでも態度が変わることはなかった。

「こうやって二人になるのは久しぶりなんだし、座って話そう」

「それより、ご用件は?」

 頑なに拒否するシロネに、ヘーレンは読んでいた本を閉じ、シロネの方に向き直る。

「わかった。いいだろう。このまま話を続けるよ。まず、今回の件だが、昼にも言った通り、特にお咎めはなしにしようと思ってる。他ならぬシロネだからね」

 口調こそ柔らかいものの、表情はどちらかと言えば無表情、感情がないように見える。

「ありがとうございます」

 シロネは深く一礼した。感謝の意などかけらもないのだが、形式的にそうした。

「で、君はどうするつもり?」

 唐突に話が飛躍したが、シロネにはヘーレンの言葉の意味を汲み取っていた。そもそもだが、ここに呼ばれたのはそういった意味なのだろうと覚悟していた。

 シロネの解放。それこそが今回のヴァナ達の目的なのだが、ヘーレンはそれを見透かしていた。だからこそ、今まさにこの場を設けるために、昼間に謁見の間で話すことを避けたのだろう。

 シロネに許された選択肢は二つ。

 一つは当初の目的通り、自らを解放してもらうことだ。悪夢の欠片を取り除いてもらった上で。しかし、シロネには悪夢の欠片を取り除く方法があるのかどうかも分からず、仮に取り除けたとして、その後に自分が普通に生きていけるかどうかすら、定かではない。

 シロネの体は日々蝕まれ続け、見た目こそ若いものの、身体的にはもう六十を超えていてもおかしくないほどにぼろぼろだったのだ。それこそが悪夢の欠片を宿したものが二十歳まで生きられないということだった。

 そんな一縷の望みに掛けるべきかどうか。ヘーレンの問いはまさにそういった意味だった。

 もう一つはこのまま、元の生活に戻るというもの。シロネが誰よりもそれを望まないのは明白だが、シロネにとって簡単にその選択を拒むことはできない。

 昼間に戦闘を避けるためにもヘーレンの言葉通りにしたヴァナ達が、実際に無事にここから帰るためにはシロネがその選択をするのが一番安全かつ間違いない選択なのだ。もし、ヴァナ達との戦闘になってしまったら、ヴァナ達が捕まり処刑されるのか、兵士達やりあい、双方に死者が出るのか。どの結末になっても、それは最悪のものでシロネはきっと後悔する。

 二つの天秤に掛けられたシロネはここに来るまでの間、密かに葛藤を続けていた。

「私は…」

 言葉に詰まる。決心してこの部屋に踏み入れたはずなのに、ヴァナ達の心配をしてしまうと、心が揺らぐ。

 そんなシロネの心境を見透かしたかのように、ヘーレンが口を開いた。

「僕はね、君の率直な意見を聞きたいだけなんだ」

 シロネの顔に迷いが消える。

「私は、もう悪夢の天使と呼ばれたくないです。私は知りました。世界は広い。それもとんでもなく。私は本当に何も知らなかったんだと、思い知らされました。もう十分役目は果たしたと思っています。だから、これからは普通に生きてみたい…!」

 シロネは全ての想いを吐き出した。ヘーレンの前でこんなにも感情的になったのは初めてだった。

「そうか…ありがとう」

 ヘーレンは優しい笑顔をシロネに向けた。シロネはヘーレンの表情が意外で驚きを見せた。ヘーレンは優しさの欠片もない、目的のためなら非道さえも厭わない男だと思っていたからだ。実際にそれは事実でもあるが。

「だが一つ。君は間違いを犯している」

 ヘーレンの表情から笑顔が消える。

「夢を見てしまったことだ」

 言葉の意味は分かった。理解は一瞬だった。しかし、シロネはそれでもわかりたくなかった。

「シロネを傷つける気はないが、悪夢の欠片を取り除く方法は、一つしかない。それは宿主の死。仮に、死なずに取り除くことに成功したとしよう。悪夢の欠片を取り除いた後の君の体はどうだ?結局、何年も生きられないだろうし、それは自分自身が良くわかっている筈だ。つまり、言うまでもないが君が悪夢の欠片を宿したその時から、残酷な運命を決して変えられはしないんだ」

 シロネの中で感情が渦巻く。わかっていた。覚悟もしていた。なのに、それでも感情の整理がつかなかった。

「バカみたい…私」

 全身から力が抜け、シロネはその場に崩れ落ち、酷く後悔をした。こうなることは容易に想像できたのに、薄氷の希望に縋ろうとした自分自身を恨めしくなった。

 涙が止まらなかった。ヴァナ達と過ごした僅かな日々が、シロネの望んだ普通が、一縷の筈の希望を増幅させてくれている気がしていた。全ては幻だったのに。

 ヘーレンは立ち上がり、シロネに歩み寄った。

ヘーレンもシロネにどう思われているかは知っていた。それでもシロネを道具だと思ったことはないし、人並みに夫としての愛情もあった。だが、国と妻のどちらを優先させるかと問われれば、迷わず国を選ぶと決めていた。

皇帝という地位に選ばれた男に選択の余地はなかったし、歴代の皇帝たちもそうしてきたのだ。

「すまない」

 抱き寄せるわけでもなく、慰めるわけでもなく、たった一言、シロネにそう告げた。



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