将来のこと
父に呼ばれた。
これはとても珍しいことだ。彼は今まであまり俺に興味を持たなかったし何をしていても口出しをしてこなかった。
実家にいる間は乳母が俺の世話役で、父と会話することどころか会うことさえも稀だった。一人で家を出て別宅に勝手に引っ越してきたときも、使用人たちが止める中で彼は黙って俺の口座に生活費を振り込んだ。
中二ぐらいから一人暮らしを始めて、それからはほとんど帰っていない。彼が別宅を訪れることもなかった。
身近な大人といえば、たまに俺を訪ねてくる変わり者の叔父と結婚して家を出た姉くらいだった。一人での生活も喧嘩の仕方も、全部二人から教わった。
だから高校三年になって今さら父から連絡がくるとは思わなかった。あの人がなんの話でここに俺を呼んだのかは分からない。忙しい彼がわざわざ時間を作って俺と会うのだから、よっぽどのことなのかもしれない。
「やぁ、久しぶりだね。もう何か頼んだのかい?」
「まだ何も」
「そう。じゃあ、先に何か頼もうか。何がいい?」
予定通りに来た彼は、しばらく会ってないとは思えないくらい気さくに話しかけてきた。メニューを開いて俺に差し出してくる。
俺はそれを受け取らずに向こうへ押し返した。
「別に何でも。あなたの好きなものを頼めばいい」
「そうかい? じゃあ、私が決めてしまうよ?」
「どうぞ」
高級料理に興味はなかった。たまにはいいかもしれないけど、俺は小塚さんの作ってくれるお弁当の方が好きだ。美味しい。
「どうだい、最近の調子は? 学校は楽しいのかい?」
「まぁ、それなりに」
「友達とは仲良くやっているんだろうね?」
「まぁ」
「生活の方は? 仕送りはあれで足りているのかな?」
「十分だよ」
なんだ、これは。
注文し終えた父は、今まで放置していたとは思えないくらい熱心に俺の現状を聞いてくる。質問は前菜が運ばれてくるまで続いたけれど、俺はこれといった反応を示さなかった。今更だ。本当に、今更。
「それで、今日君をここに呼んだ理由だけどね……」
一通り質問して満足したのか、それとも料理がきたら本題に入ろうと決めていたのか、彼は前菜を口に運びながら話を切り出した。最初からその話をすればいいのに。今更俺の近況を聞いてどうするんだ。
「高校を出た後、どうしようと思っているのか聞こうと思ってね。君には今まで自由にさせてきたし、同時に父として何もしてあげられなかっただろう? これからも君が自由であることに変わりはないけれど、今までの分君の力になれたらと思って。もう将来のことは決めてるのかい?」
「特には」
「そうか。なら、うん、……そうだな。これを渡しておくよ」
父は内ポケットから名刺を出して俺によこした。彼のものだ。名刺にはオフィスの番号、メールアドレスが印刷されていて、余白の部分に手書きでケイタイの番号とアドレスが記されていた。今更なことが多すぎて混乱する。
「無理に継がせるつもりはないよ。でも、もし君が私のやっていることに興味を持ったなら、電話でもメールでもしておいで」
「はぁ……」
今度は意外過ぎて間抜けな返事をしてしまった。きっと今の顔、小塚さんには見せられない。
父がサービス業を生業としていることは知っていた。けれど、彼が俺にそれを継がせる気があるとは思っていなかった。正直それほど興味がなかったわけではない。乳母に連れられて父の経営するレストランやホテルに行ったことも何度かあるし、その度に厨房や事務所をうろうろした。ただその時も、自分とは関係ないことだとは思っていたけれど。
「さぁ、それじゃあ私はそろそろ行こうかな。まだ仕事が残ってるんだ」
「あ、あぁ……」
「会計はすませておくからね。ゆっくり食べなさい」
「はい」
「じゃあ、たまには本邸にも顔を出すんだよ。また」
忙しそうに出て行く背中を見送って、俺はデザートのケーキを一口食べた。
「甘い……」
やっぱり、小塚さんの料理の方が美味しい。