第6話 駿河、遠江にたどり着いた!
美濃の稲葉山から、山を下り、たどり着いたのは、尾張国。
尾張国から、三河国を経由して、駿河、遠江へと向かう。
「なあ?駿河に、何かあてがあるのか?」
西陣経康は尋ねるが、北条早雲は黙って歩いていく。
そして、駿河にたどり着いた。ようやく目的地の駿河だ。やれやれ、こんなに歩くとはな…。
「おお、ここが駿河の、今川氏の治める城下町か…。」
なーんだ、東にも有力大名は、いるんじゃないか、と思った。
さらにわけを聞いてみると、これがまた、実に複雑な人間関係とかが絡み合っていて、話せば長くなるような、事情だった。
どうやら早雲の妹の、北川殿という人が、
その今川家の第6代当主、今川義忠という殿様に嫁いでいて、
だけどその今川義忠という殿様は、
応仁の乱の時に死んでしまって、
そのあげくに、謀反人としての汚名を着せられてしまい、
その時わずか6歳の龍王丸、後の第9代当主となる今川氏親と、
生母である北川殿の2人もまた、その謀反人の家族として、
討ち取られてしまうのではないかという懸念があった。
そりゃ、自分の妹の嫁ぎ先がそんなことになったら、当然兄である伊勢盛時、この時は伊勢盛時と名乗っていた、北条早雲としては、心配になるよな、と思った次第。
これに便乗して、内紛を企てる者たちなども現れ、伊勢盛時=北条早雲は、この時、内紛を収めるべく、調停を行うために駿河に出向いた、
このことが縁で、それ以来、北条早雲と今川氏は、深い関係を持つようになったという。
「そうなのか…。そういうことが、あったのか…。」
余談ではあるが、今川義忠というのは、桶狭間の戦いで討ち取られてしまう、今川義元の、祖父であり、
また、今川氏親というのは、今川義元の父にあたるという。
1519年に今川義元が生まれている。その父親にあたるのが、当時はまだ幼少の龍王丸こと、のちの氏親。
早雲の妹の北川殿は、義元の祖母にあたるということだ。
ということは、北条早雲は、今川義元の大おじということになるのか。
なるほど、なるほどと、西陣経康は相づちをうつ。
かくいう北条早雲も、鎌倉幕府の執権、北条氏からその名をとり、後北条氏と呼ばれることになり、
その後北条氏は、初代早雲から、2代氏綱、3代氏康、4代氏政、5代氏直と、続いていくことになる。
西陣経康は、そんな戦国時代初期の事情も、勉強していくことになったのだった。
「僕も、会ってみたくなった。その龍王丸と、北川殿に…。」