第2話 関東への道
応仁の乱の終了直後の頃は、後の北条早雲こと、伊勢宗瑞は、都での治安を守るための、警備活動、見回り活動を、主に行っていた。
しかし、いくらそんなことを続けても、乱暴狼藉をはたらく者や、殺戮や強盗をはたらく者たちは、後を絶たない。
主人公の、西陣経康は、その伊勢宗瑞に仕え、ともに治安維持のための活動、見回り活動を行っていた。
「なんだ…。これが華の都、京の都か…。」
応仁の乱によって神社や仏閣や、大名や貴族の屋敷なども、その多くが焼け落ち、まともに残っている建物は少なかった。
そんなさなか、西陣経康は、ある1人の、老いた禅僧と出会う。それが、この頃晩年を迎えていた、一休宗純だった。
一休宗純
(1394年~1481年)
「もし?もしやあなたさまは、一休宗純様ですか?」
「さよう、かつてはこの一休は、とんち坊主などと呼ばれ、最後は足利将軍の、義満様への謁見もかなった次第。
しかしのう、このたびの戦で、都はごらんのありさまじゃ。
すでにこの荒れ果てた都を見限り、新天地なるものを求めて旅立っておる者も、いると聞くが…。」
それだけ言うと、一休宗純は去っていったが、新天地を目指す、と聞いて、なるほどなと、西陣は思った。
「そうか…。新天地か…。
いつまでもこんな荒れ果てた都にいても、しょうがないってことなんだな。」
そう、西陣は考え始めていた。
この時代、京の都を離れ、新天地での成功を夢見る者が多かったという。
時はまさに、下剋上の時代…。
守護代や国人といった、守護大名の家来の者たちにとって、この下剋上の世は、まさに願ってもないチャンス到来だった。
身分が下の侍が、上司をぶっ飛ばして自分がその上司になるなどということも、全て、実力次第の世になったのだった。
そしてさらに、情報を聞いてまわると、西陣は、どうやら蓮如という僧が、石山本願寺なる寺の、総支配人みたいな感じになって、そして救いを求める人々に、一向宗なる教えを広めて、一向門徒たちを集めて、そのあたりの地域に勢力を広める拠点としている、というような話を聞いた。
さて、我らが御大、伊勢宗瑞の決断はいかに…!
と、西陣はそんなことばかりを、考えていた。
西陣は見回りを終え、屋敷に戻る。屋敷に戻ると、特にやることもないので、西陣は昼寝をする。
いつ敵が襲ってきてもおかしくないような状況での昼寝とは…。
そして、その夜、食事時に、我らが御大と呼んでいる、伊勢宗瑞から、重大な発表があった。
「明朝、我らは、ここを出立し、関東へと向かう!」
「関東…!」
実際に伊勢宗瑞こと、北条早雲は、関東、東国へと向かい、伊豆から相模にかけて勢力を広げていった。これは本当の話である。
「すでに知ってのとおり、応仁の乱によって、室町幕府の権威は地に落ちた。
そして、京の都も、見てのとおり、荒れ野と化してしまった。
もはや、このような京の都には、未練はない。
さあ、新天地を目指して旅立とう、関東、東国へ旅立ち、我らの国を築こうではないか!」
「オオオオオーッ!」
一同、歓声をあげる。
しかしなぜ、関東、東国なのかというと、例えば九州には島津、大友、
また中国地方は、大内や、尼子といった、強力な大名たちが支配している地域であり、とても入り込む余地のない状況だったのではないか、
したがって、西国は無理、東国の方が、まだ未開の地でもあり、西国ほど有力な大名もいない地域だったからなのではないかと、西陣経康は推察した。
しかし、不安もあった。
他の家来たちの足手まといになりはしないか、とか、あとは、もしも敵との戦いで、万が一やられてしまったら、そこで死んでしまって、それっきり、なんてことになりはしないか、というような不安はあった。
しかしそれでも、その夜はぐっすり眠れた。
あくる日の朝…。僕らはついに、京の都を出立し、一路、関東、東国へと、旅立つことになった。
しかし、当時の関東、東国といえば、とりわけ江戸、今の東京のあたりは、その当時は湿地帯がえんえんと広がるような、今の東京の姿からは考えられないような、未開の地だと聞いた。
果たして、本当に、無事にこの先、生き延びられるのか…?という不安が、また募った。