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第1話 西陣経康と北条早雲の出会い

時は、1477年…。


長きに渡る応仁の乱がようやく終わったというが、戦いに疲れた者たち同士が、形ばかりの和議を結んだにすぎず、むしろこれからが、本当の戦乱の時代の始まりだった。


京の都は灰塵(はいじん)に帰し、かつての都大路も、今や狐や狼などの、獣のすみか、あるいは、荒野と化していた。


そんな京の都に1人、現れたのが、西陣経康(にしじん・つねやす)と名乗る、さすらいの旅人だった。




いったい、ここはどこなんだ…。

荒れ果てた町並み、ボロを身にまとう人々…。

僕は確か、突然原因不明のめまいに襲われ、そのまま倒れ込み…。

その後の記憶が、まるでない。気がついたら、この京の都とかいう、いや正確には、もとは京の都として栄えていた、しかしその後の打ち続く戦乱によって、荒野と化してしまった都、といった方がいいのか…。


ここがどこなのかもわからず、さまよい歩いていた。そして、道ばたで目があった人々は、まるで妙なものを見るような目線で、僕のことを見返してきていた。

「ここはどこなんだ…。そして、いつの時代なんだ…。

ずっと昔の時代のようだが…。」

途方に暮れているうちに、

「やめてください!」

それは、鎧に身を包んだ野武士らしき男たちが、ある女に乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)をはたらこうとしていた光景だった。

応仁の乱で、秩序が崩壊した時代。このような乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)は日常的にあったという。

そして、それを取り締まる者もいなかったので、やりたい放題。

「へっへへへ…。おとなしく、俺たちの相手をしろよ…。」

そこへ、ある町人の男性が止めに入ろうとするが、

「うるせえっ!」

野武士の1人が、その町人を殴り飛ばす。そして、殴る蹴る。

秩序は完全に崩壊していた。と、そこに、

「ん…?なんだ…?」

野武士たちの背後に、突然1人の男が現れる。

「なんだお前は…!

なっ…?なんだ…?

ひっ…!」

野武士は胸ぐらをつかまれる。そして次の瞬間、


ドガッ!バシバシッ!


「どはっ!」

「ぐっ!」


その男は野武士たちを、あっという間にたたきのめしてしまった。

「ひいーっ!逃げろー!」

その男のあまりの強さに恐れをなし、野武士たちは逃げ出していった。


そして、その様子を、僕はただ見ているだけだった。


「あ…!ありがとうございます!」


助けた男性と女性からお礼を言われた後、どうやらその男は、こちらの存在に気がついたようだ。それにしても強い…。強いな、この男は。

と思いながら、先に尋ねたのは、僕の方だった。


「あのー。すいません…。」

「もし…。見かけない顔だな。名は何と申す?」

「僕は…。西陣経康(にしじん・つねやす)といいます。」


僕はそのまま、本名で名乗った。

「それがしは…。伊勢宗瑞(いせ・そうすい)と申す。」




伊勢宗瑞(いせ・そうすい)…!


どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、そうだ、この人物こそ、後の小田原城の北条氏の祖となる、北条早雲、その人だ。

別名を、伊勢宗瑞とも言うんだ。その伊勢宗瑞こと、北条早雲に、まさに今、僕は出会っているのだった。なんだか信じられないような気持ちだ。

「あのー、もし、行くあてがないのであれば、

それがしが今、寝泊まりしているところへ、来てみてはどうだ?」


こうして、伊勢宗瑞こと、北条早雲に誘われるがままに、この僕、西陣経康は、そのままこの人物の屋敷へと、案内されることになった。


そして、その途中で、もう1人の有力大名とも、はちあわせる。


その大名こそが、後の山陰地方の盟主にして、中国地方で毛利や大内などと死闘を繰り広げることになる、尼子経久(あまご・つねひさ)だった。

どうやらこちらの様子にも気づいたらしく、

「あれが伊勢宗瑞だな…。

いずれはあいまみえる時も来るだろう…。

…しかし、伊勢宗瑞の後ろについていた、あの男は、このあたりでは見かけぬ顔だな…。」


そして、現在の京の都の実情についても、知ることができた。


応仁の乱の後、日野富子の産んだ子供である義尚(よしひさ)が、9代将軍となったが、もはや、何の力もない飾り物の将軍だった。

「室町幕府もおしまいだな。将軍は飾り物、京の都はこんなに荒れ果てるとはな…。」

伊勢宗瑞は、そうつぶやいた。


応仁の乱以降、幕府や将軍の権威は失墜し、その後の将軍たちも、もはや形だけの将軍でしかなく、実権を握っていたのは、その後ろ楯となる、有力大名たちだった。


かつて、三管領(さん・かんれい)とか、四職(ししき)とかいわれていた、

全国各地の守護大名たちも、その部下である、守護代や国人といわれる者たちによって、次々と、とってかわられていったという。

いわば、この時代は、身分が下の者でも、実力があれは上の者を倒して、のしあがっていく、いわゆる下剋上(げこくじょう)の時代になっていったのだった。


そして、そうした下剋上の時代を、またとないチャンスだと考えていたのが、伊勢宗瑞、後の北条早雲や、山陰の、尼子経久などだった。


一方で、中国地方の、西の京都とも呼ばれていた、山口では、大内政弘(おおうち・まさひろ)や、

その後を継いだ大内義興(おおうち・よしおき)が、引き続き力を強めており、やがて中国地方の覇権をめぐって、大内と尼子の対立になっていくのだった。


そして、そんな事情など露知らず、この僕、西陣経康は、伊勢宗瑞の屋敷で、たらふく飯を食っていたのだった…。



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