08
妖精の進んだ先をたどること小一時間。
渓流に段差が付き険しくなってきた足元。そこを慣れたように歩いていたベルがふと足を止める。そして辺りを見まして不審げに眉をひそめた。
「動物の声が聞こえない…」
「ん?」
「ニック…この時期この辺りは鳥や小動物がたくさんいるの。なのにさっきからその気配がはっきりしない」
そういわれたニックは振り返り、何もない目元に手をやって眼鏡を直すそぶりを空振りする。それにハッとしながら、少し苦笑しながら、ベルの疑問に答える。
「ああ、彼らの領域に入ったみたいだね」
「領域?」
「妖精の世界と人間の世界は重なるようにできてるのは知っているだろう?ここはその境目みたいなところで、いつも僕たちのいる世界の一部と、妖精界の一部が同じ空間に重なったところなんだ。どこにでもあるけど、そこに踏み入れられるのはそこの領域の主に招かれないと入れない」
「じゃぁ、さっきの妖精が言ってた、『古きひと』っていうのがここの主で、この先に待ってるってことね」
「たぶんね」
そういって、渓流沿いを登っていく。だんだんに重なる小さな滝を越えて、さらに奥へ進む。そこはこの川の源になる小さな湖があった。苔むした岩からしずくが落ち、湖は異様に青く、脇に咲き誇る花々は色の洪水を起こしている。異様な美しい空間の中心、湖の水面には真っ白な鹿が立っていた。
「あれは…」
言葉を発しかけたベルを、ニックが制止する。白鹿は3人を静かに見つめている。真っ黒で吸い込まれそうな瞳がずっとこちらに向いている。まるで時間が止まってしまったかと思うほどの静寂。このまま本当に時が止まってしまうのかと思った次の瞬間、水面に響くような声が響いた。
「よく来ました…」
どうやら鹿の声のようだと3人は思った。ニックは鹿の方を見つめながら、ゆっくり跪き頭を下げる。ベルもニックに合わせてゆっくりと跪く。
「初めまして、あなた様が湖のご婦人でしょうか」
「…ええ、小さきものたちはそう呼びます…」
白鹿はじっとこちらを見つめたまま答える。その声は確かに鹿のものなのに、声はどこからともなくその空間に響くように聞こえてくる。
「頭をあげなさい…あなたたちの事は小さきものに聞きました。あなた達の疑問に答えられることには答えましょう…」
「ありがとうございます。では、まず…大地の王のことについてお聞きしたい。」
ニックは一瞬考えて質問をする。
「界隈の噂で、大地の王の失踪がささやかれております。そのことを詳しく知りたいのです。大地の王は本当にいなくなってしまったのでしょうか」
白鹿はじっとニックを見据える。そしてその視線を外して、宙を見る。
「そのことについて…詳しくお話ししましょう。こちらに来なさい…」
そう声が響くと白鹿はニック達に背を向け、小さな滝の方に向かって歩いていく。そして滝をくぐって姿を消してしまった。
「・・・・」
「ニック?これって…わたしたちもあそこに行けってこと?」
「ああ。そうだな…深入りはあまりしたくなかったけど、この場合仕方ないかな。ほかに手はないしね」
3人はお互い見合わせて立ち上がる。そして滝の方へ向かって歩き出す。滝までは鹿と同じように水の上を歩いていくしかない。ティナは飛べるからいいが、他二人は湖を目の前にして躊躇する。ニックが意を決したように一歩踏み出してみると、水面はまるで鏡のようにその姿を保ったまま、ニックの足を受け入れる。ガラスや氷の上を歩くかのようだ。ほっとしたようにニックが息をなでおろし、ベルの方を見る。ベルもうなずいて見せて、湖の上を歩き始めた。不思議なことに足音も何もしない。音が吸われてしまっているようで、気味が悪いとベルは思った。そして滝の前に立つ。滝は水音をたてて湖に流れ込んでいる。が、際に立つ3人には水しぶきもかからない。
「これは…魔法?」
ベルはつぶやく。幻か何かの類の魔法としか思えなかったが、魔力を感じなかった。人間が使う魔法とはまったく違うエネルギーと術式を使っているとしか思えない。『古きひとは古の魔法の一種』というのは、あながち嘘じゃないのかもしれない。
そんなことを考えながら、3人はもう一度顔を見合わせる。そして意を決して、滝の中に足を踏み入れるだろう。
長らく止めてしまいすみませんでした。
徐々に進めていければいいかなと、思っています。
またよろしくお願いします。