07
翌々日。天気は久しぶりに晴れ間がのぞいた。早朝はまだ涼しいが、日が高くなれば暑くなりそうだ。
三人は日が昇り始める頃に出かけることになっていた。ベルは歩いていくつもりでいたが、ニックが途中まで馬車を用意していた。馬車といっても農場の作業用のもので、農場まで向かう農夫が渓谷の入り口まで乗せていってくれるそうだ。
「宿の主人に渓谷のほうまで行く話をしたら、ベルの家から2時間くらい歩くことになるからって、親切に話をつけてきてくれてね」
「そうだったの。馬車だったら1時間もかからずつくものね。ありがたいわ」
「いやいや、ベル様のご用って聞けば当たり前のことですよ。村中のものがお世話になってますからね」
農具と一緒に荷台に座った二人に、綱を握った農夫が明るい声で答える。ベルを乗せられることがうれしいようで、朝から妙に張り切っている。
「ジャンさん、その様付けはやめていただけないでしょうか…呼び捨てとかで結構なので…」
「そんな、お世話になってる恩人にそんな失礼なことできませんよ」
「そんなことないので、ぜひ様はとってください」
「そういうわけにはいかないですよ。村のみんなもそれで慣れてしまっているし…」
「いえ…でも…」
話は平行線をたどったまま、馬車は快調に進んでいく。農夫にはティナの姿は見えないようで、馬の頭にのって普段と違う遠出を楽しんでいた。牧場の草原が広がり、青い空と美しいコントラストをなしている。のんびりとして風景を楽しみながら、一時間もしないうちに渓谷の入り口までつく。そこで荷馬車を降りて農夫は自分の農場に向けて去っていくのを見送る。
入り口付近は草花が咲き、澄んだ空気が流れている。物語に出てくるような妖精国の入り口にふさわしい雰囲気だとニックは思った。が、実際は妖精国の入り口はいろんな形があって、雰囲気はあまり関係ない。
「さぁ、ここから渓流沿いに歩くわよ」
そういってベルが先を歩き始める。以前はまだ雪が残っていたが、今では雪解け水が流れるだけ。その穏やかな水の音と、木々を揺らす風の音が優しい和音を奏でている。長雨のせいか苔むした渓流沿いは滑りやすく、二人はゆっくり足を進めていく。たまにニックは足を止めて、手帳にメモしたり、植物のサンプルをとったりする。その間何度を眼鏡を外してじっと何かを見つめたりする。
「…今日はそもそも眼鏡をかけてこなければよかったんじゃないの?」
その様子を見ながらベルが思わず口に出す。ニックはもともと視力は弱くない。かけている眼鏡は伊達眼鏡なのだ。それを知っているベルは何度もつけたり外したりしているその動作が面倒ではないかと思うのだ。
「ああ。そうなんだけどね…なんか癖でさ。ないと落ち着かないんだよ」
苦笑いを浮かべるニック。彼が眼鏡をかけているのは、妖精的な視力を落とすためだ。無機質なものを通すと見えにくくなるらしく、窓越しや眼鏡越しになると必要以上に見ずに済むのだ。それを発見したのがベルだった。見えすぎることに悩んでいたニックにはありがたい発見だった。
「君に眼鏡をかけるように勧められてから、もうずっと眼鏡の世話になってる。余計なものまで見なくて済むのは精神的に助かるんだよ。まぁ、今ではほとんどかけっぱなしだから…ないとそわそわしちゃってさ。」
「そう…あなたが面倒じゃないんだったら別にいいの」
少し気まずい雰囲気が流れる。が、それを赤い髪が割って入ってくる。
「でも、お兄さん、アタシが見えてるの」
「ああ、眼鏡をかけても妖精自身の姿は見えちゃうんだよ。足跡やつながりとか、そういう細かいことは見えなくなるんだけどね。だからティナのことはよく見えているよ。」
「そうなの!じゃぁ、あそこのヒトはみえるの?」
無邪気に指をさすティナ。その指示した方を二人が見ると、渓流の先に子馬がこちらを見ている。しかし子馬に見えたと思った直後にその姿は一人の小男になる。
「あんたがた、何しにきなさった?」
小男が話しかけてくる。子供ぐらいの身長だが顔は老人で、クランベリーのような瞳はこちらを試すような目で見ている。ベルが何か言おうとしたところをニックが制止して前に出る。
「なんでそんな事を聞くんですか?」
質問に質問で返したニックに、ベルは思わず振り返る。相手はどう見ても妖精の類だ。これから彼らの住処の入り口に足を踏み入れるというのにあまりに不躾ではないのか。しかし、ニックは真面目な顔をしているし、相手の妖精も何かに期待するようににやりと笑う。
「なにかを調べにきたのかい?」
「調べるべきことがあるということですか?」
二人は質問に質問で返しあう。その不可思議なやり取りはしばらく続いた。まるで根競べかゲームをしているような雰囲気だ。
「なぜわしに問いかけてくる?」
「僕たちの本当の問いに答えてくれますか?」
「なぜ問いに問いを返してくる?」
「そんなことしていますか?」
ニックがそう返すと、小男は豪快に笑いだす。
「わしの負けだ。お前、仲介人だろ?そうだろう?わしたちの礼儀をよくわかってる。気に入った。だからお前たちの問いにこたえてやる」
腹を抱えてらう妖精に、ニックは疲れたようにため息をつく。
「その申し出に感謝します。僕たちの目的は二つ、一つはこの妖精のこと。もう一つは大地の王について詳しい方がいれば話を聞きたい。」
ニックがそういうと、妖精は三人に近づいてくる。何を考えてるのかわからないその瞳でじっとティナを見る。ティナはおずおずとした様子で、ベルのかげから顔を覗かしている。
「花の妖精か?…ふむ、でもこいつは変わってる」
「どこが変わってますか?」
「どこがって聞かれてもわしは詳しくはわからんよ」
「実は彼女は生まれる季節が早すぎて、花を選ぶことができなかったみたいなんです」
それを聞いて妖精のクランベリーの様な瞳が見開く。妖精同士でもそんな話は聞いたことが無いといわんばかりだ。
「ふむふむ。一つ目も二つ目も、わしじゃ何も教えてやることはできない。湖のご婦人に聞いてみるのがいいだろう。この辺りで唯一の古きひとだ。雪も解けてだいぶたつ。きっと起きているだろうから、わしが先に行って話をつけておこう」
そういうと妖精は軽い足取りで渓流の先へ消えてしまった。どうやら話はついたらしいと、邪魔しないように黙っていたベルが口を開く。
「ニック…今のは…」
「ああ、ごめんね。先に話を進めちゃって。さっきのはプーカの仲間だと思う。いたずら好きだけど、礼を尽くせば律儀な奴らさ」
「礼って…さっきの質問しあってたやつのこと?」
「そうだね、あれは相手を試すゲームみたいなものでね。必ずしもやるってわけじゃないんだけど、問いに問いで返す言葉遊びをして、あいての腹の探り合いをするんだ。だからまず初対面で問いを投げかけてきた妖精には問いで返すようにしてるんだよ」
「そう…、この渓谷には何度も来てるのに、あんな妖精初めて見たわ…」
やはりここは妖精のいる土地だったんだと肩を落として。いくら避けてきたとはいえ、これまで気づかないのは魔女としてどうなのかと思う。そんなベルの表情を読み取って、ニックは説明を補足する。
「妖精も自分たちの興味や利益で動く生き物だから。さけてる人間の目は閉じさせて、自分たちを隠すのがうまいんだ。きっとそれがお互いのため担っていたんだと思うよ」
「そう・・・」
「それよりも一歩進歩だよ。『古きひと』に話がきければ、もう少し踏み込んだ話ができるかもしれないからね」
「『フルキヒト』ってなに?」
ティナも話に参加すべくベルの肩越しにニックに問う。
「『古きひと』っていうのはね、この国が成り立つよりも、人が生まれるよりも昔からこの世界に住んでる存在なんだ今の妖精よりも古い存在なんだ」
「それは妖精なの?」
「いや、妖精というよりは…精霊に近いかな。でもいわゆる自然界の精霊と違って自分の意志がある。それに人間界と妖精界、どちらにも属してるんだ。だから研究者の中には古の魔法の一種だって人もいる。だけどそのルーツは古き時代の奥にありすぎて、完全には解明されていないんだ」
「そんな歩く古代遺跡みたいな存在とまともに話ができるの?」
「うーん…それはあってみないとなんとも言えないかな。とりあえず、湖のご婦人って、ティナを拾ったっていう湖のことを言ってるんじゃないかな?」
「そうね。確かにこの川の先にある湖は一つしかないし・・・さっきの妖精がいった方向も同じだと思うわ」
「それじゃ予定通り、そのままこの道を進んでいけばいいんだね。最悪違う場所だとしても、彼の足跡は僕に見えるから…それをたどっていこう」
そういうとニックは眼鏡をはずして、胸ポケットへ滑り込ませる。こうして三人は改めて歩き始めた。