05
翌日。グラスターの空は曇天だったが雨はやんでいた。昨日の雨のせいか、空気はひんやりとしてて肌寒い。虫も鳥も、まだ活動したくないのか。なりを潜めて辺りはしんとしている。
ベルはあまりよく眠れなかった。そのけだるさを抱えたままニックが来るまでは普段通りの作業に没頭していた。庭の畑の世話をしたり、村人に頼まれた薬を調合したり。ティナは、ベルが作業をしているところに話しかけると不機嫌になると知っていたから、できるだけ邪魔にならないように庭の野菜に話しかけたり、ダンゴムシを転がしたりしながら過ごした。
ニックが再びベルの家にやってきたのは、一通りの作業を終えたころ。早朝よりも天気は回復してきて、少しだけ晴れ間がさしている。ベルは庭先のベンチに腰を掛けて、本を読んでいたはずがいつの間にか寝てしまっていた。
ニックは両手に持った大きな鞄を足元において、玄関の扉をノックするが返事がない。
「あれ? …昨日午後にっていったよな?」
「お兄さん、また来たの?」
突如、鈴の音のような音と一緒に女の子の声が耳に入ってくる。はっと辺りを見回すと、建物の横から飛び出てきたティナがそこにいた。
「やぁ、ティナ。今日ベルと約束してて…ベルはいないのかい?」
「ううん、ベルはあっちなの。あっち。」
妖精はふわり、ニックの周りを旋回して。ついて来いとばかりに振り返りながら、建物の裏のほうへと飛んで行く。
玄関の脇を抜けて建物の裏に回ると、思っていたよりも広い庭が広がっている。小さな井戸や、農具をしまう小屋以外、庭の大半はハーブや野菜、花が育てられている。できるだけ自然に任せているかのように、区画は整備されておらず、様々な植物たちが自由気ままにのびのび過ごしているようだ。その中に一本のリンゴの木が庭の端に植えられている。
その木の木陰に小さなベンチがあり、そこにベルの姿があった。どうやら眠っているらしく膝の上に開いたままになっている本のページが、柔らかい風で揺れている。
「ついさっき眠ってしまったの。起こそうと思ったのだけど、ベルの寝起きはものすごく恐ろしいから命がけなの。」
「あはは、寝起きの悪さは相変わらずのようだね。」
ベルを起こさないようにと小声で会話しながら笑う。ティナもできるだけ羽音を立てないようにと、ふわり、ベンチの背もたれに降り立って、ベルの様子をのぞき込む。ニックはその様子を見ながら、近くにあった作業用の小さな三脚椅子をベンチの向かい側に移動させて腰を下ろす。
「じゃぁ、ベルが起きるまでおしゃべりでもしてようか?」
「おしゃべり?」
ティナは小首をかしげて、ベンチの端に自分もちょこんと座る。
「君のことはベルに聞いたよ。それで聞きたいんだけど、君は君自身のことをどれだけ知っているの?」
「アタシのこと?」
「そう。君のルーツ。どこで、だれから、生まれて、どこに行くのか。」
「うーん…難しい話はよく分からないの。どこで生まれたかは覚えてないの…。白い冷たいのがいっぱいふってて、羽が上手に動かなくて。でもお花を探さなきゃいけないって思ってたの。自分の羽と同じ色のお花。」
ティナは、一所懸命に思い出している様子で、両手で頭を抱えうんうん唸っている。その様子を見ながら、ニックは質問を重ねる。
「花を探さなきゃいけないっていうのは、誰かに言われたの?」
「えっと…、うーん。言われたのかな?勝手に思ったのかな?よくわからないの。でも、お花を見つけないの大変なことになるって思ったの。」
「大変なこと?」
「そう。たぶん大人になれないと大変だなってことだと思うの。」
ニックは、ティナの話を聞きながら彼女の様子を観察していた。だが、どうも彼女自身自分のことをあまりよく分かっていない。
「ティナ、君のその名前は初めから君が持っていたものかい?」
「ううん、名前とかよくわからないの。だからベルが面倒だからってつけてくれたの。」
つまり名前も、出生も。何一つ確かな情報を彼女自身は持ち合わせていないようだ。
そこまで話したところで、ベルの膝の上にのっていた本がばさりと音を立てて地面に落ちる。それに反応して、はっと体を揺らしたベルはゆっくりと目を開けるだろう。
「あ…?れ?…ニック?」
「やあ。おはよう、ベルベット。」
「え?やだ、私ったら…って、ニックいつから来ていたの…?」
「ついさっきさ。君が疲れているようだったから、起きるまで君の寝顔を見ながらそこの妖精さんとおしゃべりしていただけだよ。」
「そんな、すぐ起こしてくれればいいのにっ。」
状況をようやく把握し始めたベルは、恥ずかしそうに顔をゆがめて、足元に落ちた本を拾い上げる。そして恥ずかしさの次に腹立たしさがこみ上げてくる。
「人の寝顔を見ておしゃべりなんて、悪趣味だわ。」
「ごめん、ごめん。」
きゅっと寄った眉間のしわに、思わず笑いをこぼすニック。そのニックの背後には、火の粉を浴びないようにと非難したティナの羽が見える。この二人に火の粉を浴びさせても仕方ないと、ベルは早々に呆れ顔であきらめるしかなかった。
「はぁ、あなた達に怒るのは面倒だからもういいわ。さっさと本題に入りましょう。」
「ああ。そうしよう。」
ニックがまだくすくす笑っているのが気になったが、正直いちいち絡んでいても仕方がない。それよりも寝不足の原因を片付けるほうがよっぽど精神衛生上大事なことだ。
そのままニックを家の中へ促そう。心地よい庭を後にして、全員家の中へと入っていった。
読んで下さりありがとうございます。
今回は少し短めでした。投稿ペースが一定でなく申し訳ございません。
連休中にもう一話くらい載せられたらと思っています。