04
ニックがベルの家を訪れる少し前。
どさり、と、小さな宿屋の入口に雨音に交じって大きな荷物を降ろす音がなる。宿屋の主人がそろそろと出て来ると、栗色の髪をした青年が、乗ってきた馬車から荷物を降ろしているところだった。一人にしては多い荷物に、鞄にある校章を見て、その人物が予約している客人だと確信をもって声をかけた。
「いらっしゃいませ。アボット様でいらっしゃいますか?」
「あ、はい。そうです。しばらくお世話になります。」
「いえ、お荷物をお部屋に運びますね。」
主人はにこやかにほほ笑むと、他の従業員に声をかけて荷物を予約された部屋へと運ぶよう指示を出す。ニックはチェックインのため主人と一緒に宿内に入り、カウンターで宿帳に名前を書く。
「これでいいですか?」
「ええ、だいじょうぶですよ。アボット様は大学教授だとうかがっていたのですが、ずいぶんお若いのですね」
「いえ、助教授です。それに、そんなに若くもないですよ。」
感心した様子の主人に、苦笑するニック。彼の年齢は30歳。成人してから12も歳を取って、この国ではもう若者とは言われない年齢だ。しかし、大学という特殊な環境に身を置き続けるせいか、もともと容姿のせいか、彼は若く見られることが多い。そんな彼は大学にいても未だに学生と間違われるくらいだった。
「そうなんですか。それで大学の方がなぜこんななにもない田舎にいらっしゃったんです?」
「何もないだなんて。今回はちょっとした調査で…詳しくはお話しできないのですが、こちらの植物とか生き物とか、まぁ色々と…。」
「いやぁ、詳しくお話ししてくださっても私たちじゃきっと何が何だかわかりませんよ。」
主人との他愛ない会話を楽しみながら部屋まで案内される。部屋は、長期宿泊用の部屋で、簡易的なキッチンや個別の浴槽やトイレがついている。あまり広くはないが、手入れが行き届いており、小奇麗でどこか懐かしい雰囲気の部屋だった。荷物はすでに運び込まれて、大きめのダイニングテーブルの上とその足元に置かれていた。
「それでは。道中お疲れになったでしょう?どうぞごゆっくり・・・」
「あ、すみません。一つ伺ってもいいですか?」
「はい?私でわかることでしたら…」
ニックはごそごそと古い封筒を外套のポケットから引っ張り出して。そこに書かれた住所を主人に見せる。
「ベルベット=ベルという女性なのですが、こちらの村に住んでると聞いてまして。この住所がどちらなのか教えていただけませんか?」
「ベルベット…、あぁ魔女のベル様で?」
「え?あ、はい!そうです。」
様付で呼ばれた旧友の名前に一瞬目をぱちくりさせたが、知っているとわかれば表情を輝かせるだろう。
「ベル様には、いつもお世話になってるんですよ。この宿にも防犯と虫除けのまじないをかけてくださってますし、こないだはうちの家内に咳止めを作ってくださいました。まともな医者もいない村なので、ベル様が来てくださって私たちは本当に助かってるんですよ。」
「そうですか…。昔と変わっていないようで安心しました。」
そういって、主人から彼女の家までの道を教えてもらうと、荷ほどきもしないまま、雨の中彼女の家へ向かった。
そして数時間後、ニックは自室となった部屋へと戻ってきた。
部屋の暖炉は火がたかれており、室内は暖かだ。暖炉のそばでくると魔法の匂いがした。ある一定の寒さになると勝手に火がつくように魔法陣が暖炉の下に描かれている。これもきっと彼女の施したものだろう。さっきまであっていた旧友の顔を思い出しながらくすりと笑う。彼女は変わっていなかった。見た目もそうだが、生活の仕方も、話し方も。唯一、彼女に大きな変化を感じたのは妖精の存在だった。
ベルとニックが初めて出会ったのは大学の合同授業だった。二人はシエルフィードの首都フィンベリーにある大学に通っていた。ニックは妖精学、ベルは魔法学。大きな集会室で、ニックが座る場所を探していたところに、「ここに座ったら?」と声をかけてくれたのがベルだった。それを機に二人は少しずつ話をするようになった。
ベルは不思議な雰囲気の漂う少女で、大学生にしては幼かった。多くの大学生は18歳で成人したのちに入学する。当時ニックは大学2年生で19歳、ベルは1年で16歳だった。成人前に大学入学するだけでも珍しいのに、これまでそんな飛び級の生徒がいるなんて話を聞いたことがなかった。
この国では、魔法の勉強は大学に入ってからでないと学べないようになっている。子供のころは魔力が安定せず、コントロールも難しい。そして誰もが使えるわけではない。昔は中等教育から取り入れて、魔法使いを増やそうとしていたみたいだが、暴走や事故もあったため、本格的な魔法は成人後、大学に入ってからというのが今の習わしだ。
なのに、成人前に大学で魔法学。彼女はその才能に恵まれて特別入学したようだった。だが当の本人はそのことをまわりに言われるのを非常に嫌がっていた。
「出来れば、静かに穏便に、穏やかな生活がしたいの。」
それが彼女の口癖だった。16歳でそれでいいのか?と、正直思っていたのが今では懐かしい。昔の彼女の様子を思い出したニックは一人でほほ笑んだ。確かに、彼女は当時言ったように静かで穏やかな暮らしをしている。本当だったら大学も国も彼女にはもっと大きな仕事をさせたかったに違いない。実際彼女が大学を卒業する際はもめていたようだった。しかし、彼女は己を貫いたのだ。
(そんなベルが、なぜ妖精を…。)
ニックは眉をひそめた。そしてまた、記憶のページを開く。
よく話すようにになって1年ほどたったころだ。彼女に、なぜ妖精学なのかと聞かれたことがあった。ニック自身、当時は畑や温室に入り浸っており、はたから見たら農学部と思われるくらい植物の育成に精を出していた。彼女には、妖精学でなくて、むしろそっちの学科のがあっているのではないか、と。お互い自分のことを突っ込んで話したり聞いたりすることがなかったため、珍しい質問に驚いたのを覚えている。
「その、実は家業なんだよね。妖精学。」
「・・・家業?」
「そう。簡単に言うと、妖精と人間の仲介役っていうか…。祖国ではフェアリードクターなんて呼ばれたりしてるんだけど。」
「・・・・?」
「あはは、知らないよね。」
いまいちわかっていない様子の彼女に苦笑するニック。そして自分の実家に思いをはせる。
ニックはこの国の人間ではない。エルドランドという隣国からの外国人留学生だ。エルドランドは個々の町がそれぞれで統治している独立都市国家だ。彼はエルドランドのフェニリアという町から来た。フェニリアは昔ながらの伝承を重んじる町で、妖精信仰の篤い土地柄だ。この国ではフェアリードクターと言われる職業があり、妖精を見ることができる一族に妖精との仲介役を一任されている。
「基本的には、妖精が起こした現象の後始末だったり、なぜその現象が起こったかを調べて記録していくのが仕事でね。その膨大な記録を守るのも大事な役目なんだ。」
「じゃぁフェニリアにいたほうがよかったんじゃないの?」
「うーん、それがね。このシエルフィードからフェアリードクターを国家の相談役に招きたいって話が50年くらい前に出たんだ。その頃はしかなり国家問題になったみたいだけど、僕の祖父がそのお役目を買って出てね。で、祖父が引退したあと父が継いで、今現在も相談役として務めてるんだ。」
「じゃぁあなたも継ぐためにここへ?」
「いや、そういうわけじゃないよ。こっちで働く祖父や父から、シエルフィードの話を聞いて興味がわいてね。」
たくさんの人種、たくさんの情報。そこには常に新しい発見があって、常識はどんどん塗り替えられていく。それは妖精の常識だってそう。新しい植物が発見されれば新しい妖精の発見につながるかもしれない。祖国にいるよりも、より多くのことを学ぶチャンスがそこにはある。
「そういう新しい発見もより多く取り入れないと、って、祖父がフェニリアを説得したんだ。若い世代はもっとたくさんを学ぶべきだってね。それに・・・」
「それに?」
「これはまだ父が研究中なんだけど、シエルフィードは妖精界と人間界の玄関口みたいな場所だって考えられる伝承があってね。フェニリアにも妖精は西の島からやってくるって言い伝えがあるから、その事を妖精学科でも調査してるんだよ。多方面からアプローチしてる研究だから、僕は植物から調べていて。植物は妖精の影響を受けやすくって、妖精の痕跡が残りやすいんだ。言葉が通じない妖精にも植物を通して意思表示ができたりするんだよ。気まぐれな妖精にも法則性を見いだせそうで…」
そこから熱烈に妖精について語っていた気がする。今考えればあの若さハツラツな感じが青臭くて恥ずかしい。
しばらく語ったところで、彼女の表情が曇っているのに気付いて急ブレーキかけた。
「って、ごめん。つまらない話で盛り上がっちゃって…」
「ううん、いいのよ。あなたは妖精が好きなのね…。」
その時の彼女の表情は今でも鮮明に脳裏に残っている。ほとんどいつもと変わらない表情なのに、複雑そうな感情が混じった目。ニックはその目が忘れられない。
「好き…なのかな?僕たちにとって妖精は自然現象みたいなものだからそんな風に考えたことなかったよ。」
そう妖精は自然現象と似ている。雨が降るのと一緒。わずらわしい時もあればありがたく感じることもある。その時々、置かれた立場や感情でとらえ方が変わる。
「…そう。」
「君は、…好きじゃないんだね?」
「…そうね。正直…私は苦手。」
「それは君に、いや…血縁者かな?妖精の祝福を受けたことに関係してるの?」
「!!」
突然の指摘に彼女は大きく目を見開いた。その反応に、ニックは思わずばつの悪い表情を浮かべる。
「なんで…しってるの?」
「いや、知ってるんじゃなくて、わかるんだ。僕には。」
「フェアリードクターだから?」
「僕はまだその称号は持ってないよ。」
フェアリードクターは国が認めた資格で称号だ。その肩書を得るまでには、国の定めた試練を受けて適性がはるか図らなければならないのだ。ニックは大学を卒業したら一度国に戻りその試練を受けることになるだろう。しかし、その称号や資格はなくともニックは先天的な適性を持っていた。
「僕は…その見えすぎる体質なんだ。」
「見えすぎる?」
「そう。妖精は見える人見えない人がいるだろう?授業でも少し触れていたけど、見える人も、みんな同じように見えてるわけじゃないんだ。」
魔法使いも必ず見えるわけじゃない。大体の魔法使いは魔法という眼鏡を通すことによってより見やすくして対話するのだ。それは魔法学でも妖精学でも授業で学ぶ内容だ。
「僕は目がよすぎるせいで、何もしない状態だと妖精の足跡や痕跡もはっきり見えるんだよ。君の中にも痕跡が見えてる…。」
「そうなの…。それは…その…すごい嫌だわ。」
「あはは、そうだろうね。」
嫌だと感じるのは彼女だけじゃない。妖精との関わりを知られたくない人間は多い。ニックの目はそんな人たちの関係を鮮明に見ることができてしまう。下手をすれば契約の内容まで読み取れてしまうのだ。だから彼女の反応は共感できる。ニック自身、こんなに見えなければよかったと思う事は少なくない。複雑な表情を浮かべたベルには軽く笑って見せたものの、話しすぎたことにニックは反省した。正直、見える見えない以前に、彼女は妖精に対していい印象を持っていないのはしっていた。授業でも妖精に関しては座学だけ学び、実技授業は避けていた。そんな彼女にカミングアウトするのは考えが足らな過ぎたとしか思えない。
彼女は、その後口を閉ざしてしまった。ニックもそれ以上深くは聞かなかった。妖精の痕跡が残る少女。彼女なりの事情があるだろうし、まだ正式な称号を受けていない自分にとってはその事情を受け止めてあげるだけの器もない。二人はその後も友人関係を続けていったが、それ以来この件について触れることはなかった。
まだ記憶の片隅に引っかかっている彼女の表情。あんなにも妖精とかかわらないようにしていたのだ。それが死にかけた妖精を救うなんて、ニックには衝撃だった。
「それに、あの妖精は…」
ぽつり、一人きりの部屋で声がもれる。そして積み重なった荷物からがさがさとたくさんの資料を取り出して、そのままダイニングテーブルの上に広げてみる。様々な色の紙にギュウギュウに敷詰まった文字に目を走らせて、時にぶつぶつと独り言が漏れる。雨は降り続け、そのまま夜は更けていった。