02
あの日は雪から顔を出したばかりの薬草をつみに、北の渓谷まで出向いた。だが、当てが外れて雪はだいぶ残っていた。それでもせっかく遠出をしたのだから雪解け水を取りに行こうと、軽い気持ちでベルは渓谷の奥まで足を進めた。
穏やかな流れの川沿いに上っていき、小さな段が連なった小ぶりな滝のわきを抜けて、そこより奥に行くと少し開けた空間がある。そこには、これまでたどってきた川の水源が現れる。岩肌から染み出るような柔らかい水源で、小さな湖にシトシトと水の落ちる音だけが響いていた。春から初夏に向けた季節になると、その空間は花で覆われて美しく彩る。だが、残念なことにそこも雪が融け切れておらず、岩肌と湖以外は白の空間だった。無駄足だったかとため息をついて、雪解けの水を汲んで帰ろうとした時だった。湖のほとり、雪の城の中に赤いシミが目に入った。近寄ってみると、赤い髪の手のひらサイズの少女が雪にまみれて倒れていたのだ。
「これは…妖精…?」
ベルはうかつには手をださんと、少し離れた所から様子をうかがってみた。真っ白な雪と赤い髪が、強烈なコントラストで目に差し込んでくる。羽の形や、容姿などで花の妖精だと思われる。が、なぜ花の妖精がこんな雪の中に?
花の妖精は春が訪れて、花と同じ季節に生まれる。そして自分の花を「選び」、その花から生気をもらい、夏までに大人になるのだ。しかし、この妖精はなぜか花がまだ咲いていないのに生まれてしまったようだ。顔に生気がないのは、生気を得るものがないからなのだろう。この妖精は死にかけている。その姿はなにか妙に胸騒ぎを覚えた。
ベルは魔女であっても妖精や精霊、悪魔などには手を出さずに生きてきた。この世界は、人間界、妖精界、魔界が重なり合って存在している。普段は干渉しあわないが、隣り合って重なり合って、世界の均整をとっているとされている。魔法使いの中には、その異世界の存在と契約や取引をしている者もいる。しかし、異世界の存在は人間には理解できない領域で生きているもの。価値観どころか生命の根本から違う存在。そういった存在と関わるのはリスクが高すぎる。他愛のない取引から取り返しのつかないことになった事例も多い。
だからこそ、今回の状況でも普段なら絶対関わり合いにはならない。そもそも見えないふりを決め込んで、さっさと用を済ませて帰る所なのだが、今回はどうにもそれができなかった。
「なんで…?」
謎のざわつきが胸の奥で波を打つ。自分の何かがここに引き留めようとしている。
(いったい何が?)
考えても答えは見つからない。ため息をついて、ベルは不安を抱えたまま、妖精の上に手のひらをかざした。短い呪文を唱え、自分の魔力を生気にかえて対象物に与える魔法をかけた。
普段は自分の畑の植物に使う魔法だが、妖精に効くかは定かではない。花から生気を得る妖精だから、もしかしたら多少の足しにはなるかもしれない。
しばらく手をかざしていると、妖精は小さなうめき声を漏らして。弱々しく瞼をひらいて、緑の瞳をのぞかせた。
「あ… れ? …?」
「あなた、花の妖精よね…?なぜこんなところで倒れてるの?」
そう尋ねると、びくりと体を震わせて、妖精は体を起こす。そして不安そうにあたりを見回した。
「アタシ…、お花を探してたの…。それで見つけたの…あたしの羽とおんなじ色のお花…。でも、それお花じゃなかったの」
「お花じゃなかった?」
「これ…」
そういって妖精は自分の体の下から、何かを引っ張り出した。横たわってるときは気付かなかったが、彼女の羽と同じ、ガラスのようにキラキラしたリボンだった。
きっと何かの飾りについていたのだろうか。花のように飾り結びになっている。
「・・・え?じゃぁ花と間違えてコレを選んでしまったってこと?」
ベルが呆れたような声で聴くと妖精はこくりと頷いた。確認するようにベルは目を細めて魔力を探る魔法をかけてみた。確かに、妖精とリボンの間に何らかのつながりが見える。しかしリボンは空っぽの存在。空っぽのものから生気は得られない。
「アタシ… どう、したらいい…のかな…?」
顔をくしゃりとゆがめて妖精がつぶやくのを、呆れ顔で見ていたベル。なんて間抜けな妖精だろう…と。そう思うのと同時に、この妖精を放っといてはいけないと、また何かがかきたてる。普段だったら絶対わいてこないその感情がすごく気になった。明らかに面倒事の匂いしかしてこない妖精。でもそれを絶対見捨ててはいけないと、なぜかそう感じるのだ。
「…はぁー。」
ベルは大きなため息をついた。そして、半べそをかいている妖精に手のひらを差し出した。
「とりあえずついてきなさい。大人になれるかはわからないけど、ここにいても何の解決にもならないでしょう?」
ベルの言葉にはっと顔を上げる妖精。その顔色はいまだに生気が足りていない。他に選択肢はないのだろうと、自分の選んだ飾りリボンを抱きしめて、よろよろとベルの手によじ登った。妖精が乗っても手のひらには木の葉を乗せたくらいの感覚しかない。その妖精を背負ってきたかごの中へ入れてやり、ベルはゆっくり来た道を戻っていった。