01
「まさかこんなに降るなんて...」
ベルは大きなカシの木の下から空を覗いてつぶやいた。昼時だというのにあたりは薄暗く、空は分厚い雨雲で覆われていた。村へと続く舗装されていない道はすっかり水浸しで、泥の川のように流れている。その様子を見てベルは深い溜息をついた。濡れた前髪が額に張り付いて、それをかきあげる手は既に冷え切っている。
シエルフィードの国は夏が来るのに先駆けて、大地を大量の雨が濡らしている。国の端に位置する小さな村グラスターにもバケツをひっくり返したような雨が降り注いでいる。村人の半数が酪農で生活をしており、昼時になれば農場で昼食をとる農夫たちの姿がちらほら見ることができるが、今日は村人どころか家畜の姿もない。
「こんなに雨って降るものなの?」
ベルの抱えたバスケットの中から小さな声が漏れる。雨の音にかき消されてしまいそうなその声の主へ、ベルは無感情な視線を向けて答える。
「そういう季節なのよ。」
「じゃぁ毎年こんなに雨が降るの?」
「そうよ。まぁ、ここ数年はちょっと酷いけど。」
「こんなに空から水が振り続けたら、世界が大きな池になったりしないの?」
「・・・」
答えるのに面倒になったベルは、質問を無視し早急に家へ帰れないかあたりを見回してみた。返事が返ってこないことに不審がったバスケットの声は、雨よけにかけられた布からこそりと顔を出す。赤く長い髪に深い緑の目をぱちくりさせて、手のひらサイズの小さな存在はベルの顔を見ながら頬を膨らめる。
「ベル!なんで無視するの?」
「・・・・」
「ベルってば!」
「もう、うるさいわよ。そんなにうるさくしてるとこのバスケットごとあんたを雨よけにして家まで走るわよ!」
「そんな!これ以上雨に濡れたら羽がふやけちゃう!」
雨足が弱まる瞬間を伺っているベルは、苛立った声で答える。
「全く、湿気で羽が動かないとか言ってバスケットに避難してるご身分なんだから少しは静かにしていてくれない?」
「わかったの・・・」
ベルを怒らせるのはあんまり得策ではないと、小さな存在はしょぼしょぼと縮こまる。その背中には半透明の薄い羽がしおれた花びらのように垂れ下がっている。この世界で妖精と呼ばれるその存在が、バスケットの奥へ潜り込んでいったのを確認して、ベルは雨よけの布をかぶせなおす。そしてほんの少し弱まった雨のなか、小走りで駆け出していった。
ベルはグラスターの村はずれ住む魔女だ。魔女といっても、火の玉をモンスターにぶつけたり、稲妻を落としたりする魔女ではない。薬学やまじないを生業としていて、村人に依頼されて簡単な薬やまじないを売り生計を立てている。背の低い塀で囲った庭にたくさんのハーブや植物が栽培され、こじんまりとした平たい土色の家には煙突だけがにょっきりと背を伸ばしている。
その家主がずぶ濡れになりながら走って、塀と同じように背の低い門を開けたところで、玄関の前にいる客の姿が目に入る。客人は栗色の短い巻き毛にメガネをかけて、濃紺のレインコートから雨粒を払いながら振り返り、ベルを出迎えるだろう。
「やぁ、ベルベット!しばらくぶりだね。」
「・・・ニック?」
ニックと呼ばれた青年は、自分のことを覚えてくれてたことが嬉しかったのかニコリと笑顔を見せた。昔と変わらない姿で立つ旧友に、ベルはほんの少しほだされた様子で駆け寄って、より近くでその顔を確認しする。
「びっくりした。本当にニックなのね。卒業ぶりだから何年ぶりになるのかしら?」
「4年かな。ちょっと近くまで来る用事があったもんで、寄ってみたんだ。
でもこの雨で、しかも留守だったからどうしようかと思ったよ。」
「わかってたら家を空けたりなんかしなかったわ。」
濡れた様子の友人に、ベルは申し訳なさそうに肩をすくめながら、玄関の丸いドアノブに手を伸ばし指先で小さく弾く。するとドアの向こう側で鍵の開く音が聞こる。
「相変わらず古風な魔法を使ってるんだね」
扉を開けられ奥へ促されたニックが感心したように言った。
「古風でも防犯の魔法は実用性があるもの。それに、こう言う魔法のが好きでしょう?」
いたずらっぽい笑みを浮かべて見せるベル。
4年という年月を感じさせない友人は肯定するように笑顔で頷く。
部屋に入るとさっきまで静まり返っていた暖炉がパチパチと音を立てて炎を上げ始める。上着の雨粒を払って、入口のそばに引っ掛けて。ベルは持っていたバスケットテーブルに置いて振り返り、ニックに暖炉のそばの椅子をすすめる。
「それで、こんな田舎の小さな村になんの用事で来たの?」
「あぁ、実は大学の教授に頼まれて、調べ物があってさ。」
「なるほど。つまり雑用ね。」
「まぁね。」
面目なさそうに肩をすくめるニックは、4年前とそうかわらない。それを見て安心したようにベルは笑って返し、温かいお茶を用意して差し出す。
「あ、そうだ。窯に行く前に魔法をかけといたクッキーがあるの。」
「ベルベットお手製のクッキーか!懐かしいな。君みたいにうまく窯に言う事を聞かせることができるなら自宅で大量生産するのにな。」
「窯の面倒を見るのは結構大変だからね。この窯もここに来て新しくしたけど、ちゃんと魔法がかかるようになるまで結構かかったもの。」
そう言いながらキッチンの窯を開ける。するとハーブの練りこんだ生地が香ばしく焼けた匂いが部屋中に広がる。
(ぐぅうぅ~)
その匂いに反応するように、バスケットから小さな奇妙な音が漏れる。二人は一瞬言葉を失ったように黙って、バスケットに目をやる。
「・・・えっと、ベル?猫でもかってるの?」
「はぁ・・・、猫だったらもっと可愛げがあるわ。」
「・・・?」
大きなため息をついて、ベルはバスケットの目の前にたち、上にかけていた布を取り払い、呆れた視線を中に送る。すると隠れていた小さな声が慌てたように弁解を始めた。
「やや、ベル。アタシはちゃんと約束通り静かにしてたの。さっきのぐーはアタシの力じゃどうしようもない何かの音で・・・えっと、えっと・・・」
「まったく・・・。ここにいたのがニックでよかったのか悪かったのか。でてらっしゃい、ティナ。」
「・・・へっ!いいの・・・??」
「嫌なわけ?」
「やや、でるのよ!」
ティナと呼ばれた小さな存在は恐る恐るバスケットから顔を出す。赤髪に緑のビー玉のような目。体にリボンを巻きつけたそれは、手のひらにちょこんと乗るようなサイズの女の子。その背中には透き通るガラスのような4枚の羽が鈴の音を鳴らす。
「ニック。あなたが来てくれて私にとってもちょうど良かった。紹介するわね。おバカドジっ子妖精のティナ。」
「え!そんな紹介の仕方ってないとおもうの!」
「おだまり、やくたたず。」
「妖精って・・・」
メガネを外しながら、じっとティナを見るニック。そしてベルの方に向き直る。
「ベル・・・まさか契約を?」
「んん、契約っていうか・・・その、止む終えず・・・成り行き上仕方なくと面倒みてるっていうか・・・」
「ベル、この人はだれなの?アタシがみえてるの?」
ティナは何やらベルと親しげに話すニックに興味津々の視線を向ける。
「彼はニコラス=アボット・・・。わたしの学生時代の友人で、いまは大学の助教授。専攻は妖精学よ。」
「ようせいがく?」
「妖精のこと、妖精の歴史、文化その他色々、妖精について調べ学ぶ学問だよ。えっと・・・ティナっていったかな?僕はニック。宜しくね。」
ニックはティナの方にもやさしげに微笑んで挨拶をして、メガネをそっとかけ直す。その様子を見ていたベルが心配そうに声をかける。
「やっぱりそのメガネ・・・。」
「あぁ、見えすぎないように今もかけてるんだ。」
「そう・・・」
「そんなことより、ベル。君らしくないけど、どういうこと?それにちょうど良かったって・・・」
少し表情を固くしたニックに、ベルは少しだけ肩をすくめる。
「本当は手紙を書こうと思ってたの。妖精の事は私よりあなたのが専門でしょう?ちゃんと相談したかったのよ。まだ時間だいじょうぶかしら?」
「あぁ、今日はもう後は宿に戻るだけだから。いくらでも時間はあるよ。」
「ありがとう。」
申し訳なさそうに笑ったベルは、窯から出したクッキーを盛り付けて直し、新しいお茶を三人分一緒にテーブルへ並べる。ティナは自分の分のお茶に飛びつき、体の3分の1ほどもあるクッキーを一枚抱えて、小さく砕きながら食べ始めた。その様子を横目で見ながらベルはお茶を一口飲んでしゃべり始める。
「最初から説明するわ・・・。これを初めて見つけたのが3ヶ月前。雪が溶けて花が芽吹き始めたばかりの季節だったわ・・・」
ここまで読んで下さり感謝します。
書きながら設定を詰めている部分もあり、ところどころ修正を入れながら書き進めております。
これからよろしくお願いします。