(22)東京湾岸デート?
「いつもの車ではないんだ?」
「今日は高速使うので、レンタカーにしました」
玄関から出てきたエリスが車を見て足を止めた。
そう。家の前に停めているのはセダンタイプの普通車。朝一番でレンタルしてきたのだ。
軽自動車のマイカーは高速道路では少々馬力不足だし乗り心地もあまりよろしくないので、今日はちょっと奮発した。ETCつきなので便利だ。
「――これハイブリッドでしょう? 仕組みは前に調べたことがあるけれど。スプリット方式と言ったかな」
高揚したキラキラ瞳で車をあちこち見たり覗いたりしている。その姿は好奇心いっぱいの子供そのもの。なんだか微笑ましい。
「エリス、いい加減乗れ。海とやらを見たいと言いだしたのはお前だろう」
「ふふ、では搭乗体験ですね。エリスは助手席と後部座席どちらがいいですか」
「もちろん助手席!」
私はにっこり笑って助手席の座席を調整して乗車を促す。彼にシートベルトを装着してドアを閉めてから、後部座席のクラウデットさんにもシートベルトをしてもらう。
今日は久々に私もエリスも休みだったので、どこかにお出掛けしようという話になり、「それなら海を見てみたい!」というエリスの希望に応えることにしたのだ。
ルクスベルンは海から遠く離れているそうで、国から出たことのないエリスには海は憧れで未知の世界らしい。
我が家も関東では内陸の山沿いに位置するので、海へは多少距離はあるのだけれど、それでも東京湾程度なら日帰りで十分行ける。
そんなわけで、三人で湾岸ドライブ。まずは東京湾を臨む海岸沿いの公園へ。
美しいデザインのガラスドームが目を惹く臨海の水族館。ゆっくり見ても二時間程度なのでお手軽だ。のんびり海の生き物たちを楽しめる。
見どころは何と言ってもクロマグロの回遊が見られるドーナツ型大水槽。エリスは張り付いて食い入るように、その少し後ろでクラウデットさんが呆然と眺めている。
「海洋生物はディスカバリーで見てたけども……やっぱり本物には敵わないね。水の中なのにこんなに生き生きと動いている……。なんて、なんて綺麗なのだろう」
エリスは泳ぐ魚たちをうっとりと見つめる。どこか潤んだ空色の瞳には、目の前で繰り広げられるダイナミックな生命の躍動への羨望が見えた。
「か、可愛い……可愛過ぎる!」
白金髪の麗人がペンギンを前にして頬を両手で押さえ悶えている。どうやらペンギンがいたく気に入ったようだ。なかなかペンギンの展示エリアから離れない。
空を飛ばない鳥、ペンギン。陸上でよちよちと歩く姿は実に愛くるしい。それが水中となると一変スマートなアスリートと化す。そのギャップがたまらない。
日本人は無類のペンギン好きと言われるけど、異世界人もペンギン好きなのかな。
「なんだか仕草がモモに似てるんだもの。ああ羽根パタパタしてるっ」
……。
「ね? ね? クラウもそう思わない? ほらほら」
「は? ……まあ、似てなくは、ない、か?」
突然振られたクラウデットさんは私とペンギンを交互に見ている。
クラウデットさん、そこは否定して欲しい……。
水族館内の売店では、妙にリアルなぬいぐるみに感激していた。エリスは最初ダイオウグソクムシ――ネット動画を見て好きになったらしい――を欲しがったけど私が断固拒否して、結局クロマグロとシュモクザメに落ち着いた。
ランチは近くのホテルのレストランでとることにした。
エリスがシーフードメニューに興味を示したところでふと思い出した。
「あの、エリスはエビやカニのアレルギーは大丈夫ですか?」
「アレルギー? ……ああ、過感応のこと?」
「過感応と言うのですか? ええと、前に化繊で肌が赤くなっていたので」
「私の国ではそう言うね。ううーん、あれは……」
クラウデットさんをちらりと見てから、少し頬を赤くして困ったように笑った。
「あれはね、魔力制御ができなくて身体が弱るとたまに起きるんだよね。つまり体力がなさすぎたのが原因なの。あの時は身体がこちらに慣れてなかったから」
「それじゃ、食べ物で発疹が出たりは」
「ん、いまは元気だから大丈夫だよ。クラウに扱かれて体力もついたし?」
――良かった。安心した。アナフィラキシーが起きたらどうしようと思ってたから。
結局、ランチは全員で中華メニューにした。そういえばまだ家では中華料理は作ってなかった。今度、水餃子でも作ろうかな、などとエビチリを食べながら考えていた。
お昼の後、公園を腹ごなしに散策。展望広場を抜け、潮風に当たりながら人工渚をゆったりと歩く。
足元に打ち寄せる波。エリスもクラウデットさんも海に触れるのは初めてだ。
エリスは眼前に広がる水平線を眩しそうに見つめた。
「この世界の生命は海から生まれたんだってね。それを知って憧れていたの。こうして間近に海を見られて本当に嬉しい」
「エリスの世界では海が起源ではないのですか?」
「それがわからないのだよね……。創世神話ならあるけれど、科学的な研究はされていないから」
エリスは顎に手を当てうーんと唸る。隣でクラウデットさんが吐息する。
「生き物がどうやって生まれたかなんて考えたこともなかったな。考える必要もなかったしな」
「私は考えたことはあるよ。こちらに来てひとつの答えを得てスッキリした気分?」
エリスは軽く肩を竦めた。
再び歩き出すと、進行方向からカップルが手をつないで歩いてくるのが見えた。
横を見るとエリスが私ににっこりと微笑んだ。久々に見る魔女の微笑。
……あ、うん。何考えてるかわかってしまった。
エリスは私の手を取ると指を絡めるようにして握った。所謂「恋人つなぎ」。
手おおきい。男の人の手だ。それにあったかい。
私は頬が熱くなるのを感じて俯いた。秋の冷たい海風が心地よい。
不意に隣の足が止まった。
「レンフィート」
頭上から高めの柔らかいテノールが響いた。
目線を上げると、正面に背の高い学生服の少年が佇んでいた。




