(19)殿下、発熱す
そんなわけで同居人がもう一人増えた。
クラウデットさんには兄が使うはずだった部屋を使ってもらうことにした。
ベッドや家具は引っ越し前に新調して運び入れたままになっていたので、簡単に整えたあとエリスが『清浄の術』で空気の浄化と埃を取り去ってくれた。
誰もいなかった空白に人の気配が生まれ、灯りがまた一つともった。
◆◆◆
翌日、エリスが熱を出した。
朝、ふらふらと赤い顔をして起きてきたので、慌てて部屋へ戻して寝かせた。
その際、早速クラウデットさんの男手に助けられた。さすがに私一人では彼を二階まで運べない。
『39度』――体温計の表示を見て私は内心かなり落ち込んでいた。
「魔力飽和による発熱ではないようだな。風邪か」
「んう……油断した。病風の遮断が甘かった」
クラウデットさんが布団の中でぐったりしているエリスを見下ろす。昨日と一転して上下スウェットというラフな格好だ。
「エリス、吐き気とか、どこか痛いところはあります?」
「喉と、頭が痛い……かな」
慣れない接客業でのストレスに加えて、昨夜の冷菓と夜風で身体を冷やしたことが重なったせいかもしれない。
――無理をさせてしまった。もっと気を付けて見ていれば良かった。
「とにかく水分は摂りましょう。飲めますか?」
こくり頷いたので上体を支えて、経口補水液のペットボトルを渡す。
汗はまだかいていない。これからまだ熱が上がるのかもしれない。
飲み終わったボトルを受け取り、保冷剤をタオルでくるんで首にあてる。
「モモ、お店に行く時間過ぎてない?」
時計を見やり熱で潤んだ瞳で心配そうに訊いてくる。
「今日はお休みを貰いました。こんな状態のエリスを置いて行けません」
苦笑して熱い額に手をのせる。保冷剤で冷えた手が気持ち良いのか、目を閉じて静かに吐息する。
「安心して、ゆっくり寝てください」
薄っすらと目が開く。布団を掛け直そうとした私の手にエリスの手が重なった。
強い力でぐいと手を引かれ、ぼふっとエリスの上に倒れ込む。
そのまま抱き寄せられる。耳にかかる吐息がいつもより熱い。
「はふ……眠るまでこうしていていい?」
「あの、これじゃ重くて寝られな……うぐ」
腕に力が込められてぎゅうと抱き締められる。く、苦しい。
「何やってんだお前は!」
クラウデットさんにべりっと引き剥がされた。
「モモに風邪をうつす気か。病人は大人しく寝てろ」
「……たっ」
おでこをぺしんと叩かれむぅと膨れるエリス。チラと私を見てからそっぽを向いてぽつりと零す。
「風邪なら……昨日うつしたかも」
「あ? 何をした問題児」
「教えない」
「……モモ、こいつは俺が見ているから、戻っていいぞ」
「っ! ひどいっ! クラウのバカっバカっ」
「子供かお前は」
呆れ顔で私に退室を促すクラウデットさん。エリスは赤い顔で悔しそうにベッドをぺふんぺふんと叩く。
これはお説教モード突入かな。私はエリスに「おやすみ」と手を振って退室した。
……ほどほどでお願いします。ちゃんと寝てね。
明日になって熱が下がらないようなら病院に連れて行こう。保険証がないから全額負担になるけど、そこは仕方ない。
そんなことを考えながら、台所で経口補水液を作っていると、クラウデットさんが降りてきた。
「エリスはどうですか?」
「眠ったようだ。何か手伝うことはないか?」
「そうですか。特には――あ」
袖を少し捲る彼の仕草を見てふと思い立つ。
「あの、クラウデットさん、昨夜その服で寝ました?」
「そうだな。すまん、まだ着替えていなかった」
「肌が赤くなったりしてません? ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「は?」
戸惑うクラウデットさんの袖元や襟ぐり、背中を捲って確認する。
「良かった。化繊かぶれはなさそうですね」
ということはエリスが特に過敏なのかな。病院に行くならアレルギー検査も必要かもしれない。食物アレルギーでもあったら大変だ。
そうだ。もっと早く気付かなければいけなかった。
――はあ、色々と意識が至らな過ぎて悲しくなってくる。
「どうしたモモ?」
「ちょっと落ち込んでしまって……すみません。私、体調の変化に気付けなくて」
しゅんと項垂れる。溜息が聞こえ頭をぺしっと叩かれた。
「久しぶりに会ったのに、そんな顔ばかり見せないでくれ」
目線を上げると、腰に手を当て少し怒った風なクラウデットさんの顔があった。
「体調管理は本人の責任だ。エリスは自衛する手段を持っている。今回にしても病風への結界が十分でなかっただけだ」
「……病気を防ぐ結界があるんですか」
「そうだ。魔術師はそう簡単に流行病にはかからん」
彼はフンと腕を組み、エリスの部屋の方向に目を向けて続ける。
「そもそもあいつは体力がなさすぎる。幸いニホンでは魔力制御の負荷が少ない。いい機会だ。俺が徹底的に鍛えてやる」
だからモモが責任を感じることはない。優しい笑顔で頭をくしゃりとされた。
お昼近くになり、新しい保冷剤と補水液を持って、エリスの様子を見に行った。
目は覚めていたようで、私に気付いて起き上がった。
「眠れました? 具合はどうですか?」
サイドテーブルに保冷剤とボトルを置いて、傍に寄ったところでまた抱きつかれた。
……学習しろ私。
さらりと白金の髪が顔に触れる。頬を摺り寄せてくるので、そのまま体温を確認しつつそっと額を撫でた。
まだ熱は高いようだ。
お水飲みますか? と訊くと頷いて身体を離してくれた。
手を伸ばしてペットボトルを取り、キャップを外しボトルを渡す。
「食欲はありますか? 何か食べます?」
「ん……食欲はあまり……」
「果物は食べれそうですか?」
「……少し?」
「では持ってきますね」
再び身体を横たえさせ、替えた保冷剤を手に退室する。
台所に戻り、オーブンを確認する。グラタンの焼き上がりまでもう少しかな?
昼食は「秋野菜とキノコのミートグラタン」と「間引き白菜のミルクスープ」。
その合間に、エリスの果物を。
「……それは林檎か?」
クラウデットさんが手元を覗き込む。
「はい、エリスに。林檎をすりおろしてレモンを少し加えたものです。味見してみます?」
ひと掬いしたスプーンを「はい」と差し出す。
私とスプーンを交互に見たクラウデットさんは、スプーンを持った私の手を掴んで持ち上げ、ぱくりと食べた。
彼はこくんと飲み込み、いくつか頷いてからなるほどと微笑んだ。
……。
「のど越しがいい。これなら食欲がなくても食べやすいな」
……おかしいな。スプーンを渡したつもりだったんですけど。
これでは私が食べさせたみたいな。
「そ、れは良かったです。あ、グラタンが焼けたみたいですね」
うまく回らない頭で、グラタンを取り出しスープをよそい、配膳する。
「私はエリスに林檎を届けてきますので、先に食べててください」
「いや、モモが戻るまで待っている」
……スープ冷めちゃいますよ。




