プロローグ
「はあ」
今日も朝が来た、とそんな当たり前のことに憂鬱を覚えながら春彦は学校に行く準備をしていた。いつからか自然と朝が来ることが憂鬱に感じるようになっていた。春彦に心当たりは特に無かった。事実、学校の雰囲気を悪くないと少年は感じていたし、友人関係も多くはなくともそれなりに心を許せる相手もいた。勉強についていけていないわけでもない。ただ、学校に登校するということに忌避感を抱いていた。
まあ、今は5月だし五月病みたいなものだろ。とそう結論付け、春彦は登校することにした。家を出て、何処と無く明るい雰囲気の中を歩いていく。五分も歩いていると後ろに馴染みのある気配を感じたので春彦は彼女に声をかけることにした。
「おはよう、雅」
「おはよう、相変わらず野生動物のように勘がいいわね」
そう返しながら雅は春彦の横に並ぶ。若干、不満そうだった。濡れ羽色の黒髪を腰まで伸ばした少女はどうやら少年にこっそり近づこうとしていたらしい。いつも清ました表情をしている割に意外といたずら好きな少女に苦笑しながら春彦は雅と歩き出す。
「そういえば、響が今日は学校を休むそうよ」
「あいつが休むと俺が窮地に陥りかねないから来てくんねえかな」
「諦めなさい。それに元々、響は学校に登校するけど授業にはあまり出席してないからどっちみち同じ」
「まあそうだな。しかし、不登校だった連中がこぞって登校だけはするようになったとか一時期、社会的なニュースにもなったから別に響が学校に来てるのはおかしくないけど授業に出席しないなら町で遊んでたほうが建設的だと思うんだが」
こんなたわいのない会話をしていると通行人も少なくなり学校が見えてきた。いつものように学校は静寂に満ちた雰囲気だと春彦は感じていた。生徒達の話し声が聞こえてくるが、それはいつも通り人の声ではなく風音のように感じるのだと。
まあ、今日は自分達の学年で体育の授業があったからそのうち騒がしくなるだろうと思い込もうとして、何故、自分はそんな当たり前のことを思い込みたがっているのかと疑問に思った。
春彦はふと隣を見ると、雅が先程までの楽しげな雰囲気とは打って変わって憂鬱そうにしていると感じとった。同時に、この違和感の原因こそが自分達に憂鬱を感じさせるものだと確信しながら校門を潜った。
そして、今日もまた二人は落ちる。
「そう、だったわね」
雅が隣で呟く声を聞きながら、雅も思い出しているはずの真実を春彦も思い出す。
全ては一年前である。学校の敷地内が唐突に異界へ落ちたことから始まった。
異界はいくつもの階層に別れており、ここには現世では存在しないような生物や、強い精神に反応する特殊なエネルギーが存在した。これをそれぞれ、生物を魔物、エネルギーをマナと名付け、異界で魔物からマナを駆使して生き延びる必要があった。
始まりから一年、手を組む者達、敵対する者達、一人自由に活動する者といった様々な関係ができていた。
校門を潜ると現世から異界に落ち、夕方頃には校舎近辺から帰還できる。校舎から遠くはなれた場所にいたために帰れない人や異界にて死んでしまった人々もでたが、どういう訳かそういった人達のことが家族や警察にさえ意識されることは無かった。
そもそも、異界に落ちた者達ですら、現世に戻れば異界のことは覚えていなかった。ただ、無意識に異界で生きるために手に入れるべきものを現世で収集するといった程度である。
そのため、あえて異界に残り現世のことを忘れたように生きる者達も存在した。もっとも大多数は安心して眠ることができる現世に戻ることを望んだが。
春彦達は海の中のような青く薄暗い空間を異界へと落ちながら今日、異界でするべきことを考えていた。
異界では、大規模な集団のレギオン、少数で活動することが基本のパーティー、基本的に一人で活動し必要なときだけレギオンやパーティーの活動に参加するサーチャーといった分類に分けられている。
春彦と雅はパーティーを組んでおり、今日は先日発見された新たな階層が発見され、そこの探索をする予定だったのだが、現世で雅が言っていた響が休むという情報から予定を変える必要があった。
「まあ、響が休んでるのは仕方ないし、たまには恩でも売っておくか」
「踏み倒されるのがオチだと思うけど仕方ないわ。彼女の今日の予定は私たちのためにもしてもらう必要があったから代わりにやりましょう」
そうして、今日の活動を決定したあたりで異界に到着した。