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予知夢

 一日目。

 私は実家の前に立っている。

 玄関のドアを開けると、二匹の猫が視界に入ってきた。

 黒と茶のサビ色の猫は『ふう』といって、大学二年生の後期に友人伝いで私の所に来たのがきっかけで、私が飼うこととなった。しかし、金銭面や時間面等の問題により、その年の年末に実家に連れて帰ってから早四年が経過した。人懐こく、腕白な雌猫である。帰って来た私の足に擦り寄り、甘えた声で鳴いている。おそらく食餌をねだっているのだろう。

 もう一匹の、所々灰色がかった白色の長毛に包まれた猫は『ハニー』といって、今年で十二歳になる老猫だ。長毛のため大きく見えるが、体の線はとても細く、大人しくて多少人見知りの気がある雌猫である。元々は隣家の飼い猫だったのだが、諸事情により引き取ることとなった。ハニーはやや離れた位置から、私の様子を伺っていた。

 その二匹に挨拶をし、私はリビングへと向かった。

 リビングの窓際にはベージュ色の毛色をした、今年で八歳になる雌猫『ナズナ』がいた。直前まで窓の外を見ていたのであろうナズナは、首だけ私の方に向けて座っていた。私がナズナに挨拶しようと近づくと、ナズナはすぐ脇にある市販のキャットタワーの最下段、土台部分で中が空洞になってる場所に逃げ込んだ。ナズナが人見知りというのもあるが、それ以前にナズナは私のことを嫌っていた。私が高校二年生のときにナズナは我が家に来たのだが、高校生の私はナズナにちょっかいを出し過ぎ、結果疎まられ嫌われてしまったのだ。私が身を屈めナズナが逃げ込んだ場所を覗き込むと、ナズナは凄く嫌そうな顔でこちらを見ていた。

 私は何か違和感を覚えた。

 

 二日目。

 私が二階の自室からリビングに降りてくると、ハニーが石油ストーブの上で香箱座りをしていた。

 香箱座りとは、いわゆる伏せの状態で前肢を手首の部位から内側に折り曲げて座る体勢のことで、上から見ると長方形に見えるその形が、お香を入れる箱に似ていることから付いた名称だ。猫がリラックスしてるときによく見られる。

 ハニーは蕩けそうな半眼を一瞬私の方に向けただけで、興味が無いと言わんばかりに眠りに入ろうとしていた。

 リビングを見回してみたが他の猫の姿が見当たらないため、炬燵布団を捲り上げてみた。

 案の定、炬燵の中にはふうとナズナが寝そべっていた。ふうは眠そうな目を私に向けると、前肢をピーンと伸ばし大欠伸をした。そのまま立ち上がると、右前肢をぶるぶる震わせ、炬燵から出て来た。一方のナズナは、私の姿を視界に捉えた瞬間、寝そべっていた体を素早く起こし、警戒の態勢に入っている。すぐ逃げ出すわけではないが、すぐ逃げられるようにはしてあるのだ。

 私は溜息を吐くと、炬燵から出て来たふうの頭を優しく撫でた。ごろごろと気持ち良さそうな鳴き声が聞こえた。

 そこでもやはり違和感を覚えるが、その正体が分からなかった。


 三日目。

 玄関のドアを開けたが、この日はどの猫も玄関にはいなかった。靴を脱ぎリビングに行くと、三匹は思い思いの場所でくつろいでいた。

 私は三匹に挨拶しようと近寄る。ハニーはやや警戒するが、素直に頭を撫でさせてくれた。ナズナは逃げ出した。ふうは気持ち良さそうに擦り寄ってきた。

 一しきり愛でると、私はリビングの隣の台所に向かい、冷蔵庫を開けた。中にある缶珈琲を取り出したところで、冷蔵庫の下から二段目に、裂けるタイプの蟹カマを見つけた。おもむろにそのパックを手に取り、中から蟹カマを一つ取り出す。残りは冷蔵庫に戻し、蟹カマの周りの薄いビニールを剥がしたそのとき、音を聞きつけたのだろう、つい先ほどまでリビングで寝そべってくつろいでいた三匹の猫がいっせいに台所にやって来た。ふうは私の足に絡み付き、他の二匹は私の50㎝程手前で行儀良く座り、真ん丸の目で私を見上げていた。三匹とも、この蟹カマが大好物なのだ。

(何ともまあ、物欲に正直だこと)

 そう思いながら、私は蟹カマを適当な大きさに裂き、三匹に均等に配っていく。このときばかりは、ナズナもやや警戒はするものの、私から逃げ出そうとしなかった。

 そして、やはり私は正体不明の違和感に襲われた。


     ◇ ◇ ◇


 私は猫が好きだ。動物全般が好きだが、とりわけ猫が群を抜いて好きだ。どれほど好きかというと、「猫は神だ、世界は猫のために在るべきだ」と言った私に友人が、「気持ち悪いよ、お前」と言うくらいに、私は猫という生き物を溺愛していた。


 大学院二年生の二月上旬。

 私は、自身の修士論文を作成する合間に、研究室の後輩である四年生の卒業研究のチェックを行っていた。私の所属する大学の学科では、二月中旬に四年生たちが卒業研究の内容をパワーポイントで発表する卒業研究発表会が開催される。

 四年生たちは、発表を明後日に控え、どこかそわそわと落ち着きのない様子で、最後の仕上げにかかっていた。そんな四年生の作成した発表内容を、矛盾点や不備は無いか、パワーポイントのスライドに表記ミスは無いか、発表本番を模した疑似的な私たちからの質疑に対してしっかり応答できるか等を、大学院に進学した同期の方西(かたにし)とともにチェックしていた。

「ここはもっとこうした方が見易い」

「この表現は分かり難い」

「結局結論として、君はどう思っているの?」

 そんなことをやり取りしながら、時間が過ぎていく。


 午後十九時を回った頃、私の携帯が一通のメールを受信した。私は着信に震える携帯を開き、着信メールをチェックする。どうやら、メールの送信者は母親のようだ。次いで、そのメールのタイトルが目に入った。そこには一言、『ゴン太が!』の文字があった。嫌な予感がした私は、急いでメールの本文を確認した。

 そのメールは、実家にいる一番古株の猫、ゴン太の死を知らせるものだった。

「ちょっと、煙草吸ってくる」

 そう言って私は研究室を出ると、屋上へ向かった。幸い人気はなかった。

 私はすぐに母親に電話をした。普段は気にならないコール音がやけに長く感じられ、コール音が一つ鳴る度に、何かが遠のいて行っているような錯覚を覚えた。

 五コール目で母親は電話に出た。

「もしもし、メール読んだ」

「うん。ゴン太が……、死んじゃった。つい、さっき」

 それから二分ほど母親と話をして私は電話を切った。

 つい先ほどまで普通に食事をしていたゴン太が、急に部屋の隅に蹲り、そのまま息を引き取ったのだそうだ。それらしい予兆等は一切無く、本当に急に死んでしまった。両親は寝ているだけだと思っていたらしいが、他の三匹の猫の様子がおかしかったため、気になってゴン太の様子をみてみたら、死んでいたらしい。

 近所の野良猫だったゴン太と出会い、私の実家で飼い出したのが、私が中学二年生のときだった。

 雄猫ながら顔の模様のバランスが綺麗で美しい顔をしており、甘えん坊でもあり、そして、去勢をしてからはとても臆病になった。食い意地が張っており、現在実家にいる四匹の猫の中では一番太っていた。中学生の私は、ことあるごとにゴン太にちょっかいを出していたため、私はゴン太にも嫌われていた。

 電話を切り終わった後、私は静かに思い返し、そして気づいた。

 この三日間、連続で実家の猫たちの夢を見ていたこと、そして、その夢の中には一度もゴン太が出て来なかったことを。

 そして考えた。もしかしたら、あれは何かしら予言めいた夢だったのだろうか。次に私が実家に帰ったときには、ゴン太は居なく、両親と猫三匹がいることになる。あの夢は、その状況を指名していたのではないか。

 涙は出なかった。しかし、実家に帰っても、もうゴン太は居ないという喪失感と虚無感が、私に気怠さを与えていた。

 煙草を取り出し、火を点ける。大きく息を吸い込んで吐き出すと、煙草の煙交じりの白い息が、二月の夜の乾いた寒空に霧散して消えていった。私はその様子をただぼーっと眺めていた。

 五分ほどで煙草を吸い終える。

 冷えた外気は私の頭の熱を奪い去り、冷静さを与えてくれた。私が今すべきこと、しなければならないこと、それらをするために私は研究室に戻ることにした。

「さて、戻りますか」

 何となく口にした、誰にも届くことのない私の呟きは、私の耳の中だけに入り、しばらく反響して消えなかった。

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