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三対の目線の先

 動物は、人間には見えていないモノが見えている。そういう話をよく聞く。

 犬や猫が、突然何も無い場所を凝視し始めることがある。人間には何も見えていないだけで、その犬や猫には何かが見えているのかもしれない。


 私は猫が好きだ。基本的に動物全般が好きなのだが、その中でも猫は別格である。私が大学二年生のとき、子猫を保護した友人の友人から頼まれ、その子猫を一時的に預かることになった。結局、その猫は里親が見つからず、最終的に私の実家に連れて帰って飼うことになった。

 あのスラっとした細長い体。軽い身のこなし。格好良さと可愛さを兼ね備えた顔。気まぐれさ。ちょっと抜けている所。ありとあらゆる猫の特徴どれもこれもが、私のツボを刺激する。


     ◇ ◇ ◇


 大学の卒業式も終わり、新社会人として新たなスタートを切る直前の三月下旬、久しぶりに実家に帰った私を、両親と三匹の猫が出迎えてくれた。

 三匹のうち一匹は、私が高校二年のときに父親が職場から引き取った、ベージュ色の毛色をした雌猫であり、悲しいことに私を嫌っていた。高校生時代、私がその猫にちょっかいを出しすぎたのがその原因である。

 二匹目は、私が学生時代に紆余曲折を経て飼うことになった、サビと呼ばれる毛色の雌猫である。子猫のときからいろいろな友人に会わせていたため、非常に人間が好きな猫に育った。もっとも、抱き上げられるのは嫌いだし、食い意地も張っているし、何より我侭である。

 三匹目は、近所の人から預かっている猫である。三匹の中で唯一の長毛で、白い毛色をした雌猫である。最近、急に人に対して甘えるようになった。年齢は十二歳であり、人間の年齢に換算するともうお婆ちゃんである。

 実家に帰って一番感じるのは、やはり猫の居る生活は素晴らしいということであった。働き始めまでの数日間、久しぶりの実家を満喫していた。炊事・洗濯を親がしてくれるのはやはり楽である。そんなまったりした生活の中、異変に気づいたのは実家に帰って二日目の夜であった。


 テレビを見ていた。時刻は午後十一時過ぎ。液晶画面の中では、お笑い芸人によるコントが行われていた。特に見たかったという訳ではないのだが、何となくぼーっと見ていたら、視界の端で何かが動いた。その場所では長毛猫が寝ていたはずだ。そう思って見てみると、つい今しがたまで寝ていた長毛猫は、カーテンの閉められた窓、高さ百二十センチメートルのあたりをじっと凝視していた。

 思わず私もそちらに視線を向けたのだが、特に何も無かった。

 猫の耳は人間に聞き取れない周波数の音も聞き取れる。その可聴域の上限は六万ヘルツ、最大では十万ヘルツとも言われており、人間の可聴域の上限の三~五倍に相当する。

 私には聞こえない音を聞き取り、視線を向けたのかとも思ったが、視線の先にあるであろう『何か』を確認に行く様子も見受けられないし、音を聞いていたとしても耳が動いていない。まあ、たまにあることだと深くは考えず、視線をテレビに戻そうとして気づいた。

 私の座っている隣で寝ていたサビ猫も、全く同じ方向を見ているのだ。こいつも、つい先刻まで寝ていたはずだ。

 これはと思い、もう一匹のベージュ猫を見てみると、石油ストーブの上に礼儀正しく前足を揃えて座りながら、やはり同じ方向に視線を向けていた。

 基本的に公言はしないのだが、実は、私もたまに本来見えるはずのないモノが見えたり、聞こえたりするはずない音が聞こえたりすることがある。それは生まれついて身についていたものではなく、そのせいか、見えるときと見えないときに波があり、他の人が見えていても私には見えないときがあったりする。

 今回のこともそれなのだろうと思った。たまたま私には見えない、もしくは、ただたんに気のせいなのだろう。そう考えて視線をテレビに戻した。


 次の日にも同じことが起きた。猫たちは昨日とは違う場所にそれぞれ居たのだが、しかし、その三対の眼は昨日と同じ場所を見ていた。

 またかと思いつつ私は珈琲を淹れ、煙草を吸いながらそれを飲み始めたのだった。


 それから二日後の夜、私は荷造りをしていた。二日後には就職先近くのアパートに引っ越すためである。

 私は、自分で言うのも何だが、比較的整理整頓は得意な方であるため、荷造りすること自体はあまり時間がかからない。しかし、始めた時間が遅かった。開始した時点で午後十時を回っていた。

 実家の私の部屋は二階にあり、真下は両親が寝る部屋である。時間が時間であるため、できるだけうるさい音を立てないように気を配りながら作業を進めた。しかし、持っていく荷物は最小限に抑えているためそう多くなく、また、既に大半の荷物は学生時代の住居から新たな住居に宅配便で送っておいたため、あまり時間はかからなかった。

 一時間ほどでその作業はほぼ終了し、私は気分転換に煙草を吸おうとベランダに出た。母親には煙草を止めろと言われる。

「煙草なんて吸ってたって良いことなんて一つも無いんだから」

 正論である。しかし、そのたびに私は、「うん、そのうちにね」と、曖昧な返事でその場を濁していた。

 何気なくベランダから視線を下方に向けた私の視界に、それは入ってきた。

 隣家の庭に、一本の木が立っている。一番太い幹の部分でも直径二十センチメートルほどであるのだが、その幹から人間と猫が入り混じったような、奇妙な顔が生えていた。

 深夜であたりは暗く、特にその部分を照らすような明かりも無いのに、何故かその顔ははっきりと見て取れた。口と鼻は完全に猫のそれであるのだが、眼と耳が人間のそれだった。顔の右半分だけ、猫のように皮膚表面が毛で覆われていた。首は無い為顔の向きは変えられないが、視線は常に動き続け、どこを見ているのか分からない。

 私は時刻を確認した。午後十一時十八分。

 二回目に、三匹の猫が何も無い虚空を見つめていた時刻とほぼ一緒であった。

「なるほど」

 周りに誰も居ないのに、私は思わず呟いた。

 その私の独り言が聞こえたのか、一瞬その顔は私の方を見た――気がしたが、いまいち確証は無かった。常に動き続ける視線が、たまたまそのタイミングでこっちに向いただけかもしれない。

(おそらく、今猫たちも視線を向けているんだろうな)

 三十秒ほどでその顔は消えてしまっていた。私には、消える瞬間が認識できなかった。気がついたらその顔はあり、気がついたら消えていた。


 猫たちは見えていたというより、感じていたのだろうと私は思う。猫に限らず動物は、人間の言葉でいうところの第六感が発達しているのではないだろうか。

 常に死と隣り合わせの世界で生きている野生動物は、視覚、聴覚、嗅覚だけでは自身の身を守るには足りないため、その不足分を第六感で補っているのではないか。

 家猫とはいっても、やはりそれらの感覚は人間より数段優れているのかもしれないと思いながら、私は二本目の煙草に火を点けた。

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