幽霊談話
「○ちゃんは、自分が死んだら霊になれると思う?」
佐々木聖海先輩はふと思いついたように、前触れなくそう私に問い掛けてきた。
「いきなりですね。……たぶん、無理なんじゃないですか」
隣を歩く聖海さんの歩幅に自分の歩幅を合わせながら、私は答えた。
「何で?」
「ん~……、幽霊ってたいていの場合、何かしらの思念なり怨念なりを残したモノがなるんだと思うんですよ。この世に未練が残ってたりとか。そうだとすると、俺ってあまり欲とか未練とか無いんで、あっさりおさらばするんじゃないんですかね」
聖海さんは、あははと笑いを零しながら「確かに」と同意した。
「でも、自分が死んで霊になってることに気づかない霊もいるよ。動物霊とかに多いんだけどね。あと、変なのに飲み込まれて引きずられるように霊になったり。土地とか物とか他人の念とか、そういうのに引っ張られて自分も霊になっちゃうパターン」
そこで聖海さんは一息つくと、煙草を取り出して口に咥えた。カチッという無機質な音と同時にターボライターから青い炎が出て、煙草の先端に火が付く。私も倣って煙草を取り出した。
「まあ、そういうパターンは特殊だけどね。ほとんどの霊は、○ちゃんの言った通り自らの念や未練の残留から生まれるもんだから」
聖海さんの断定口調に、私の中の猜疑心が少し擽られたが、特に気にしないことにした。
「死んで生まれる、っていう表現もちょっと面白いですね」
「そう? 輪廻転生とか、大別すれば死んで生まれることじゃん」
聖海さんは仏教徒の家系だった。以前一度聞いたのだが、宗派までは憶えていない。ただ、いつも数珠を持ち歩き、輪廻転生を信じている、ということは憶えている。そのことを思考しながら、私は曖昧に相槌を打った。
私は無宗教の無神論者である。もし仮に聖海さんが、熱心に私に自分の信じている宗教を布教してくるようなことがあったら、私はとっくに聖海さんと縁を切っていたと思う。幸い、聖海さんは宗教や価値観を押し付けてくることはなく、むしろ「自分の信じたいものを信じればいいんだよ」と言い切った。
「絶対的なものなんて、それこそ絶対無いよ。でなかったら、今この世の中に、こんなに多くの宗教が乱立したりしないよ」
矛盾を含めつつ、そう言い切ってもいた。
そんなわけで、私が大学三年生の七月末に研究室に配属されて聖海さんと出会ってから一年ほど経ったが、お互い縁が切れることもなく、今現在こうして朝焼けを見ながら、聖海さんの家から車で三十分くらいのところにある貯水湖の周りを散歩しているのであった。
「私はもしかしたら、霊になるかもしれない」
独り言のように聖海さんはそう呟いた。
「いつ死ぬかにもよるだろうけどね」
「いつ死ぬか……ですか?」
私の問いかけに「うん」と短く返事をして、聖海さんは続けた。
「例えば、六十歳とかそれくらいまで長生きしたら霊にはならないだろうけど、比較的若いうちに死んだりしたら、案外なったりするかもね」
六十歳といえば、現在の日本人の平均寿命よりも短いのだが、それを長生きと呼べるのか。その点も気にはなったが、それよりも大きな疑問が私の中に生まれたので、そちらの方を尋ねてみた。
「……それは、聖海さんは何かしらに執着を持っているってことですか?」
「たぶんね。意外と、私は執着してるのかもしれない」
「何にですか?」
「さあ、何にだろう」
自分でもよく分からない、と付け足して、聖海さんは少し笑った。
朝焼けの中、貯水湖の淵で微笑を浮かべて立つ聖海さんを見て、私はなぜか息を呑んでいた。
何かに圧倒されているような不思議な感覚が頭の中に流れ込むが、その正体が分からない。
「まあ、人間って自分のことすらよく分かってない生き物ですもんね」
半分は自分に言い聞かせるように、私は言った。
「聖海さんは、もし霊になれたとしたら、何します?」
なれたら、という表現は少し間違いかもしれないなと思いつつ、聖海さんの返答を待った。
聖海さんは、湖面をゆったり進む鴨を見ながら、「う~ん」と少しの間考える素振りを見せていたが、やがてとこう口にした。
「とりあえず、○ちゃんに会いに行ってみるよ」
それは暗に、「私が死ぬまでは○ちゃんは死んじゃ駄目だよ」と言われているような気がして、私は小さく苦笑した。




