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私と先輩―目線と道―

 幼少期、「赤いおじちゃんに肩掴まれた」などと言いながら、何も無い虚空を指差したりしていたため、周囲から気味悪がられることがしばしばあった。

 私は、物心ついたときから霊感を持っていた。もっとも、それほど強いものではなかったため、霊を払うことなど当然できないし、見えるときもあれば見えないときもあった。要するに、ムラがあるのだ。そのムラのせいで、他の霊感のある子から噓つき呼ばわりされたことも一度や二度ではない。

 以来、私は自ら霊感があるとほのめかすような発言をしないように努めた。霊感など無いと嘘はつかなかったが、本当のことも言わなかった。


     ◇ ◇ ◇


 大学生ともなれば、さすがに「私は幽霊が見える」などと言っても、表立って馬鹿にしてくるような人はいなくなった。そのため、大学に入学して仲良くなった数人は、私に霊感があることを知っていた。

 大学三年生の四月末、ゴールデンウィークが始まったばかりのある日のこと。その日は晴天で暑くも寒くもなく、実に過ごしやすい日だった。

 朝起きてカーテンを開けた私の目に入り込んできた雲一つ無い高い青空は、私の気分を高揚させた。こんな気持ちの良い日に、夜までだらだらと家の中にこもるのは勿体無いと思った私は、急遽出かけることにした。

 私の通う大学は山の上にあり、そのあたり一帯は盆地となっている。大学のある町は栄えているわけでもなく、学生が買い物や遊びに行く場合は、電車で三十分ほどの所にある地方都市まで出向く必要があった。

 シャワーを浴び、服を選ぶ。テキパキと出かける支度を進めていく。大学に行くときも、これくらい手際良く準備ができればいいのになどと自らを皮肉りつつ、準備を終えた私は家を出た。

 私の家から最寄り駅まで、私の足で歩くと三十分。駅から電車で地方都市まで三十分。基本的に出不精の私にとっては、たかだか五駅先の街まで出かけるのも、ちょっとした冒険気分だった。


「あれ? なっちゃん?」

 全国にチェーン展開する靴屋で靴を見ていると、突然背後から自分の愛称を呼ばれた。私はびっくりして振り向く。

 私の後ろに、榎本(えのもと)亜美(あみ)ちゃんが立っていた。彼女は私の顔を確認し、「やっぱり!」と言って眩しいくらいに笑う。

 彼女は、大学のとあるサークルで知り合った子で、小柄で人懐っこく、明るくて友人が多い。私と彼女は一年生の後期から徐々に話すようになったが、今では大学内で一番仲の良い女友達となっていた。

「亜美ちゃん! びっくりしたー。何してるの?」

「今日は暇だったから、適当にぶらついてたんだ。なっちゃんはどうしたの?」

「私も、暇だからぶらついてた。そっか、亜美ちゃん、家がここだもんね」

 彼女は、私のように大学のある町ではなく、地方都市であるこの街にアパートを借りて住んでいた。だから、彼女が今ここにいることはそれほど珍しいことではないのだろう。

 ちなみに、彼女の言う「なっちゃん」とは、佐々木(ささき)菜月(なつき)という私の名前から取った私のあだ名である。

「うん、そうだよ。なっちゃんは一人?」

「私は一人。亜美ちゃんは?」

「私も一人。遊び相手がいなくてさ。ていうかさ、珍しくない? なっちゃんが一人でここに来るなんて。何か用事でもあったの?」

「いや、特にないけど。やっぱり珍しいかな? 晴れてたから、何となく来てみたんだけど……」

「珍しいよ。なっちゃんは、休みはずっと家に引きこもってるイメージだもん」

 そう言って彼女は、嫌味のない眩しい笑顔で笑った。つられて私も笑う。

 もともと靴を買うつもりはなかった私は、彼女といっしょに店を出た。

「なっちゃんはこの後はどうするの? 暇なら遊ぼうよ!」

 私は「うん、いいよ」と即答したが、慌てて「あ、でも、夜にちょっと予定があるから、八時くらいの電車で帰るけど、それまでなら」と付け加えた。

「予定? 飲み会でもするの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 少々口ごもる私の態度を見て、彼女は「あっ」と短く声を発した。直後、合点がいったという表情を浮かべ、私に質問してきた。

「ひょっとして、○○先輩?」

「あー、……うん」

「また、ドライブにでも行くの?」

「……うん」

 私は小声で肯定した。できれば先輩のことは話題に出したくない。なぜなら――。

「ほんと、仲良いね。もう、○○先輩と付き合っちゃえばいいじゃん!」

 こうなるからである。彼女はしれっとそう言って、楽しそうに私の顔を覗きこんだ。

「えっと、だから、べつに○○先輩とは、そんなんじゃなくて……」

「そう? まあ、なっちゃんがそう言うならそうなんだろうけどさ。でも、なっちゃんて今まで、そんなに仲の良い男子っていなかったじゃん。だから、やっぱりちょっと期待しちゃうよね」

 確かに彼女の言う通り、先輩は唯一といってもよいほど仲の良い男子だ。三つも学年が違う男の先輩で、しかも基本的に私は人見知りなのに、なぜか先輩とはすぐに仲良くなった。先輩とプライベートで話すようになったのは四ヶ月ほど前からだったが、それ以来、定期的に二人でDVDを見たりドライブに連れて行ってもらったりするようになった。

 最初は、なぜ先輩と仲良くなれたのか、なぜ先輩といると楽しくて落ち着くのか分からなかったが、最近になって分かってきた。どうやら私と先輩は、細かな違いがあれど似た者同士なのだ。

「……○○先輩は、私を『妹』みたいな目でしか見てないよ」

「そういうもんかなあ」とこぼす彼女は釈然としていないようだったが、それ以上追及もしてこなかった。


 ひとしきり街をぶらぶらしたあと、亜美ちゃんとカラオケに行った。

 その後、ゲームセンターに行って一緒にプリクラを撮り、そのまま彼女はUFOキャッチャーに熱中していた。彼女は最近になってUFOキャッチャーのコツをつかんだらしく、出かけるたびに何かしらの戦利品を持って帰っているのだという。

 その日は千円使って、大きなカピバラのヌイグルミと、大きく細長い白い妖精のヌイグルミをゲットした彼女は、とても満足気だった。私も一回だけ、黒猫が座ったような態勢のヌイグルミを取ろうと試みたが、アームの強弱以前に狙いを上手に定められず、かすりもしなかった。

 ゲームセンターから出ると、午後六時を回っていた。まだ時間はあるということで、私たちはちょっと小洒落たバーに入ってみた。

「以前から、一度来てみたいと思って目を付けてたんだよねー!」

 そう言って目を輝かす彼女は、一杯目でいきなりウイスキーのロックを頼んでいた。一方の私は、お酒を飲むつもりはなかったため、ノンアルコールカクテルをオーダーした。二人いるバーテンダーの一方が柔らかい笑顔で、もう一方は真顔でやや目を瞑りながら注文の品を作り始めた。

 しばらくは雑談が続いた。テレビの話題、地元の話題、授業の話題、実習の話題、研究室配属の話題、友達の話題。途中から彼女の恋愛の話になった。彼女は今片思いをしており、日々奮闘中である。私は心の底から彼女を応援している。

 そんな彼女が、ふと思い出したかのように、突然話題を変えて真剣な顔で私に聞いてきた。

「そういえば最近、家の中が変なんだけど、なっちゃんて霊感あるよね?」

「え? あ、うん」

 突然の話題に不意を突かれた私は、たどたどしくそう応じたあとに、慌てて付け加える。

「でも、そこまで強くないし、ムラがあるから、あてにならないよ」

「そっか。いやさ、もしかしたら気のせいかもしれないんだけど、何か最近、部屋の空気が重く感じるんだよね。家鳴りも多いし」

 私は頭の中で、一ヶ月ほど前に行った彼女の部屋を思い浮かべる。授業や実習のプリント類がテーブルの上に散乱してたり洗い物が溜まっていたりはしていたが、私の部屋に比べるとずっと片づいていた。そして何より、ヌイグルミやキャラクター物のポスターなどが総勢十点ほど部屋の一角を占拠していたのを覚えている。

「それはいつからの話? 私がこの前行ったときは、特に何も感じなかったけど。あれから何か変なことしたりした?」

「いや、べつに変なことはしてないよ。ちょっと部屋の模様替えをしたぐらい。ほら、この間なっちゃんが『ヌイグルミが部屋の隅に追いやられてるみたいでかわいそう』って言ってたじゃん? だから、部屋の中に飾ってみたの。それ以外は特に何もしてないよ」

 そこで彼女はいったん言葉を区切り、少し思いだす仕草をしながら話を続けた。

「変な感じがするようになったのは、二週間前くらいからかな。部屋の模様替えをして二日くらいしてから、何か変な感じになったんだよね」

「うーん、そっか……」

 案の定、全く分からない。うんうんと首をかしげる私に、彼女は苦笑しつつ「気にしないで」と言ってきた。

「私の気のせいかもしれないし。それに嫌なら、最悪引っ越せばいいだけだから」

 そう言ってにっと笑った彼女は、携帯電話を手に取って液晶を眺めると、今度は打って変わって驚き焦った様子で私に詰め寄った。

「なっちゃん!」

「えっ、何?」

「時間!」

 はっとしてバーの片隅に掛けられた時計を見る。夜光塗料が塗ってあり、暗い店内でもよく見えるように工夫がなされた時計の針が指し示す時刻は、午後九時に迫っていた。


 亜美ちゃんと別れ駅へ全力疾走し、ドアが閉まりかる電車に駆け込んだ。やや怒り気味の駅員の「駆け込み乗車はおやめ下さい!」というアナウンスが私に向けられたものだと思うと、ものすごく恥ずかしく同時に申し訳なくなる。そんな私をよそに、電車は走り始めた。

 全力疾走後の荒い息のまま、私は先輩にドライブの出発時刻を遅らせてもらえないかという内容のメールを、大量の謝罪文とともに送った。

 電車が大学のある町に着く頃、ようやく返信が届いた。恐る恐るそのメールを開いた私の目に「了解です。俺も遅れそうだったので、(むし)ろ助かります。」という簡潔な文章と猫の絵文字が飛び込んできて、思わず胸を撫で下ろした。自分に非がある場合、相手からの返事待ちの時間はとても心臓に悪い。それが、日頃からお世話になっている人ともなればなおさらだ。

 駅から私の家まで、普段なら三十分かかる道のりを、半分ほどの時間で走り抜けた。

 家に着いた私は汗だくだった。こんな状態で先輩と顔を合わせたくなかった私は、時間に余裕はほとんどなかったが、迷わずシャワーを浴びることにした。

 午後十時三十分。予定より三十分遅れで、先輩は私を迎えに来た。外から聞こえる車のエンジン音でそう判断したのだが、そのとき私は髪のセットをしている最中だった。私の髪は長く、特に後ろ髪は腰のあたりまで伸ばしているので、洗うのも乾かすのもかなりの時間を要するのだ。

 結局、私が全ての準備を終えたのはそれから五分後のことだった。急いで外に出て駐車場に行くと、先輩は車に寄りかかりながらたばこを吸っていた。

「遅くなってすみません!」

 少し息を切らせながら謝罪する私に、先輩は「いえ、お気になさらず。こちらこそ遅れてすみません」とあまり感情を感じさせない口調で言いながら、たばこの火を揉み消して携帯灰皿へと入れ、すぐに運転席に乗り込んだ。あとを追うように、私も助手席に「失礼します」と言いながら乗り込む。先輩は無表情で「ん」とだけ言った。了承の合図だ。

 知り合った当初は比較的、笑顔を絶やさず柔らかい物腰で接してくれた先輩であったが、二ヶ月もするとこのような態度へと変わっていった。最初は変化に戸惑い、自分と一緒に居てもつまらないのだろうか、機嫌を悪くさせるようなことをしてしまったのかと気が気でなかったが、この態度が先輩の素なのだと分かると、逆に安心した。友人から過度に気遣われながら接せられるのが苦手な私としては、先輩の態度はとても心地良かったのだ。そして、先輩の私に対する態度が変化するにつれ、私の先輩に対する態度にも余計な遠慮がなくなっていった。

「佐々木さんはどこか行きたい所あります?」

「いえ、とくには」

「じゃあ、とりあえず腹ごしらえしてもいいですか? 俺、飯まだなんで」

「まだ食べてないんですか? ちゃんと食べないと駄目ですよ」

 先輩は、たいていの女子なら羨望の眼差しを向けたくなるほど細身である。それは、運動をして無駄な脂肪を落とし体が引き締まったわけではなく、たんに著しく乱れた食生活と食事量の少なさからくるものであるらしかった。

 もっとも、私も乱れた食生活をしているという点では同じであったため、すぐに先輩に突っ込まれる。

「佐々木さんには言われたくないです」

「○さんよりはマシです。一応、一日二食は食べてますから」

「あのね、人間は一日三食なんですよ? 威張れることじゃないです、それは」

「一日一食の○さんには言われたくないです。それに○さんは好き嫌いが多すぎです」

 お互いの食生活の乱れを指摘し合うのは、私たちのあいだでは恒例のやり取りのひとつだった。今回もしばらく言い争いが続いたが、結局、お互い自分の欠点を理解しつつもそれを改める気がないので、いつもこの口論は不毛に終わる。

「それにしても、佐々木さんが休みの日に出かけるなんて珍しいね。何か用事でもあったの?」

 先輩は急に話題を変えた。私の出不精は先輩も知っている。

「いえ、特に用事はなかったんですけど、急に出かけたくなるときってあるじゃないですか」

「ああ、あるね。で、何してきたの?」

「えっと、最初は適当にぶらぶらしてたんですけど、途中で友達に会ったんですよ、たまたま。亜美ちゃんっていう同級生なんですけど、そのあとは亜美ちゃんとカラオケ行って、ゲームセンターに行って、最後にバーに行きました」

「随分と休日を満喫したようですね。その結果、時間を忘れ電車に乗り遅れたと」

 思わず先輩に目を向けると、先輩は前を向きながら皮肉を絵に描いたような笑みを浮かべていた。

「……すみません」

 思わず俯き、小声で謝罪する。それを聞いた先輩は「ははは」と笑いながら言う。

「いえ、冗談です、冗談ですよ。言ったじゃないですか、『その方が俺も助かる』って。俺も遅刻したんだし、お相子です」

 先輩は、無表情だったが口調は努めて明るかった。ほっとしつつ、もう一度すみませんと謝罪して、そのあとに私は質問した。

「○さんは、今日は何やってたんですか? 今日も研究室ですか?」

「うん。今日はタイトレ祭りしてた。全部で二十枚」

 タイトレとは、先輩の所属する研究室で行われる実験のひとつだ。詳しく覚えていないが、細胞とウイルスを使って何かを調べる実験だったはずである。

「祭りですか。お疲れ様です」

「どうも。まあ、別に疲れてはないけどね、楽しかったし」

 そこまで言った瞬間、先輩の左腕が私の前に突き出され、私の肩のラインを軽く抑えた。同時にキキューッというブレーキ音が響き、一瞬遅れて私の体が前に倒れそうになるが、先輩の伸ばした腕のおかげで前につんのめらずにすんだ。私は不意の出来事に驚き、そして少しどきっとした。

 どうやら、先輩が急ブレーキを踏んだらしい。

「すみません、大丈夫ですか?」

 完全に停止したあとで、先輩は突き出した腕を引っ込めながら謝罪してきた。

「はい、大丈夫です。けど、どうしたんですか?」

「動物が急に飛び出してきたんで、急ブレーキを。見えませんでしたか?」

 私たちの通う大学の一帯は田舎で、林や森、川や沢が多いため、野生動物を目にする機会が多い。私はここに住んで三年目だが、今までに二度ほど熊出没注意の町内放送を聞いている。車に轢かれたと思われる野生動物の死体を見る機会も意外と多い。

「気づきませんでした。猫ですか?」

 大の猫好きである私は、このような状況でもすぐに猫を連想してしまう。

「いえ、違いますね。大きさとシルエット的に、おそらくハクビシンでしょう」

 白鼻芯(はくびしん)は、漢字の通り、額から鼻にかけて白い線の入った、ジャコウネコ科の夜行性動物である。確か、日本では外来種とされていたはずだ。

「そうですか。見逃しました」

 車が再び発進する。夜間の田舎道だったおかげか後続車もなく、事故が起きなかったのが幸いだ。

 ――それにしても。

「……ちょっと驚きました。突然、○さんが腕を突き出してきたので」

 それも、私の胸のあたりに。

「え? ……ああ、すみません」

 先輩も得心がいったのか、少し気まずそうに謝罪してきた。数秒の沈黙のあと、再度先輩が口を開く。

「以前、よく夜中にドライブに連れ出してくれた先輩が、急ブレーキしたときに俺にそうしてくれてたから、その影響でつい。でも、女性が男性にするのと男性が女性にするのでは、ニュアンスが違うもんね。以後、気をつけます」

「…………、それって……」

 ――それってつまり、以前、先輩は特定の女の人とよく夜中にドライブしてたということですか?

 その質問は、すんでのところで喉の奥から出てこなかった。


 私は、軽い気持ちで亜美ちゃんのことを先輩に相談してみた。

「部屋が嫌な感じ、ねえ。何ともアバウトな」

 そう言って、対面に座る先輩はてりやきバーガーにかじりついた。バーガーが大きく(えぐ)れる。

 先輩の晩御飯は、某ハンバーガーチェーン店で食べることになった。昼間は若者を中心に混雑するこのチェーン店も、午後十一時を過ぎた今は閑散としており、客は私たち以外に二組だけだった。

「亜美ちゃんは、気のせいかもしれないって言ってましたけど」

 言いながら私は、フライドポテトを一本つまんで口に運ぶ。私は先ほどバーで軽食をとっていたので、フライドポテトの一番小さいサイズのみを注文したのに対し、先輩はハンバーガー、てりやきバーガー、フライドポテトの一番大きいサイズを二つ注文していた。食べ過ぎて吐いたりしなければいいけど、と私は勝手に心配してしまう。

「俺だってそんな霊感強いわけじゃないから、それだけじゃ判断がつかないですよ」

 喋る合間にバーガーにかじりつく先輩は、手で口もとを押さえ、完全に口内の物を呑み込んでから言葉を発している。行儀がいいなと思う。

「その子はどういう子なの? 霊媒体質とか?」

「ええっと、そうですね……」

 私は亜美ちゃんのことを先輩に伝えてみる。私が簡潔に喋り終えたときには、先輩はバーガー二つをたいらげ、せわしなくポテトを口に運んでいた。

「――っと、そんな感じなんですけど。……○さん、食べるの早すぎです。ちゃんと噛んでますか?」

「う……、噛んでますよ、ちゃんと」

 あきらかに嘘である。

「もう、そんなんだから消化に悪いんですよ。あとで気持ち悪くなっても吐いちゃ駄目ですからね」

「……はい」

 先輩は一度ポテトを口に運ぶのをやめて水の入った紙コップをつかむと、ぐいっと飲み干した。そして、間髪入れずに口を開き、無理やり話題を亜美ちゃんの話に戻した。

「それで、ここ最近で何か変なことしたりとかしてないの? その、えっと、榎本さんは」

「ええとですね、部屋の模様替えをした以外は、特に何も変わったことはしてないみたいです」

「模様替え?」

 オウム返しする先輩の声色が、微妙に変化した。何か気になったのかもしれない。

「ひょっとして、それが原因じゃないんですか?」

「私もそう思ったんですけど、でも聞いてみると、ただヌイグルミを飾っただけらしいです」

「ヌイグルミ?」

「はい。亜美ちゃんはヌイグルミ好きなんですよ。特に、ここ最近UFOキャッチャーにはまってるらしくて、今日もゲームセンターに行ったときに大きなヌイグルミを二個取ってました」

 私はそこでいったん言葉を区切る。黙って話を聞く先輩と目があった。話の続きを促しているようだ。

「一ヶ月ほど前に亜美ちゃんちに行ったとき、ヌイグルミたちが部屋の隅に固まって置かれてたんです。だから私、『折角なら並べればいいのに』って言ったんです。そうしたらこの間、そのヌイグルミたちを部屋中に並べたらしくて」

「なるほど……。ヌイグルミ、ね」

「ひょっとして、悪霊憑きのヌイグルミが混じってたんですかね?」

 私は思いつき口にしてみたが、先輩は「いや、もしかしたら」と何かを匂わせるように否定した。

「何か思い当たる節があるんですか?」

 そう聞くと先輩は「確証はないんだけど」と断ったあとで、記憶を手繰るように喋りだした。

「俺の二つ上の先輩に、聖海(きよみ)さんっていう人がいるんだけどさ、その人がめちゃくちゃ霊感強いんだ。実は、俺が霊感を持つきっかけになった人なんだけどね、その人。で、聖海さんが以前言ってたんだけど」

 私は「はい」と相槌を打ちつつも、内心驚いていた。てっきり、先輩も生まれつきの霊感持ちだと思っていたからだ。年を重ねるごとに霊感が弱まるという話は聞いたことあったが、逆に霊感が強まったり身についたりという話は今まで聞いたことがなかった。

「最初は心霊写真の話をしてたんだ。俺が『何で肉眼では見えないのに、写真には写るんだ。霊ってのは、恥ずかしがり屋なのか自己主張が強いのか、わけ分からん』みたいなことを言ったら、聖海さんが解説……というより、自身の見解みたいなものを話してくれたんだ」

 心霊写真をそう評価するなんて先輩らしいなと思った。しかし、心霊写真と今回の亜美ちゃんの件がどう結びつくのか、全く想像できない。

「聖海さんいわく、写真に霊が写るのは、撮影者と被写体の目線がぶつかって道が開くから」

「道、ですか?」

「うん。撮影者は被写体にカメラを向けて、レンズ越しに覗くじゃん? 一方、被写体もカメラを見るから、そこで目線がぶつかる。そうすると、俗に言う『霊道』が開くらしいんだよ。それで、幽霊が写り込む」

「……初めて聞きました、そんな話。本当なんですか?」

「さあ、俺も本当かどうか知りません。あくまで、聖海さんがそう言ってたってだけ。でも、言われてみれば筋は通ってる気もするんだよね。鏡とか電源消したテレビの画面とか見たときに幽霊が写り込むって話、結構あるじゃない。振り返っても誰もいないってやつ。あれも、鏡の中の自分と目線が合うことによって道が開け、写り込むらしい」

 やや間を空けて、私は「なるほど」と呟いた。確かに、筋は通っているように思える。

「でさ、そういうのってどうも人間に限った話じゃないらしいんだよね。動物は勿論、写真や絵、人形やヌイグルミでも同じことが起こるらしいんだ」

「ヌイグルミ……」

「そう、ヌイグルミでもなんでも、とにかく目があるもの同士の目線が合うことによって道はできるんだって。だから、俺も聖海さんに言われたよ。ヌイグルミとか写真の目線は逸らしておいた方がいいって」

 ここまで話を聞いて、ようやく私は先輩の言わんとしていることが理解できた。

「それってもしかして、亜美ちゃんのヌイグルミたちも……」

「確証はないけど、試してみる価値はあるんじゃない?」

 携帯電話の時計を確認すると、時刻は午後十一時三十分だった。この時間なら彼女もまだ起きているだろうから、彼女に電話をしようと携帯電話の電話帳を開き、亜美ちゃんの情報を呼び出す。発信ボタンを押す直前、ふと、先ほどから気になっていた質問を先輩にしてみた。

「ところで○さん、その聖海さんって、ひょっとして車の中で言ってた、よくドライブに連れて行ってもらってたって方ですか?」

 先輩は一瞬きょとんとした表情をしていたが、すぐに「うん、そう。よく分かったね」と答えた。

「ああ、やっぱり。じゃあ私、ちょっと亜美ちゃんに電話してきますね」

 私は席から立ち上がって店外へと向かった。

「じゃあ俺は一服してます」と言って先輩も立ち上がり、喫煙席に向かった。


     ◇ ◇ ◇


 ゴールデンウィーク明け、この日は一時限から講義があったが、大学本館棟の入口でばったり亜美ちゃんに会った。

 私を見つけた亜美ちゃんは小走りで寄ってくると、おはようの挨拶よりも先に私に報告をくれた。

「なっちゃん、ありがとう! なっちゃんの言う通りにしてみたら、部屋の嫌な感じが無くなったよ!」

 普段、朝はテンションが低めの彼女も、このときはいつもの三割増しの眩しい笑顔でそう言ってきた。思わず私もつられて笑顔になる。

「本当? 良かったあ!」

「うん! 本当にありがとね!」

 先輩の予想通り、亜美ちゃんの部屋はヌイグルミやポスターの目線がぶつかっていたらしい。というより、むしろ積極的にヌイグルミ同士を見つめ合わせていたそうだ。私は先輩の言っていた通り、目線を逸らさせることを彼女に提案したのだった。

「いやいや、アドバイスくれたのは○○先輩だから」

「あ、そっか。じゃあ、○○先輩にお礼言っといてよ」

 そのようなやり取りをしながら、私たちは教室へと向かった。

 教室に入って席に着き、先生が来るまでのあいだ、私たちは残りのゴールデンウィークをどのように過ごしたか報告しあった。私は実家に帰省して愛猫たちとまったり過ごしたことを話し、彼女は意中の相手と水族館でデートしたことを嬉々として語った。

 先生が教室に入ってきて、煩雑としていた教室内が徐々に静かになっていく。間もなく授業開始のチャイムが鳴るという頃になって、急に亜美ちゃんが自身の話を打ち切り、まるで秘密話をするかのような囁き声で私に問いかけてきた。

「ところで、なっちゃん」

「ん、何?」つられて私も声のひそめる。

「この前、○○先輩はなっちゃんのことを妹としてしか見てないって言ってたけどさ、なっちゃんは○○先輩のことをどう見てるの?」

 突然の不意打ち。興味津々の目で私を見てくる亜美ちゃんに対して、私は何も答えることができなかった。

 そのままチャイムが鳴り響き、授業が始まる。 

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