覗き穴
私が一つ年上の山田先輩の家を訪れたのは、そのときが三回目だった。前の二回は、山田先輩の家で飲み会をするということで、五~六人が集まってドンチャン騒ぎをしていたが、今回は私一人のため静かであった。
その日の夕方頃、山田先輩の修士研究の実験の補助をしていたとき、たまたま某ホラーゲームの話題になった。巨大な鋏を持って追い駆けて来る殺人鬼から逃げるゲームなのだが、私は興味こそあったがまだ一回もやったことが無かった。山田先輩がそのソフトを持っていると知り、やりに行っていいかお願いしてみると、山田先輩は快諾をくれた。
山田先輩の実験が終わるとすぐに大学を出て、帰り道にあるコンビニエンスストアで適当に晩飯とお菓子を買い込み、私は山田先輩の家に向かったのだった。
山田先輩の部屋のインターホンを鳴らすと、五秒ほどして扉が開き、一足先に帰った山田先輩が迎え入れてくれた。
「いらっしゃい。散らかってるけど、適当に座って」
「お邪魔しまーす」
とりあえず、まずは晩飯を食べることとなった。適当にテレビのバラエティ番組を流しながら、二人してコンビニエンスストアで買ったカップ麺とおにぎりを食べる。
食後に先輩がインスタント珈琲を淹れてくれたので、礼を言ってそれを頂いた。二人して珈琲を飲みながら、煙草を取り出す。山田先輩も喫煙者であり、先輩は常日頃から部屋の中で吸っているので、私も気兼ねなく一服させてもらった。
研究室内のこと、私たち二人が所属するとある委員会のこと、そして山田先輩の恋人である佐々木聖海先輩のこと等を話し、一しきりまったりした後、私たちは目的のゲームを開始した。
自慢ではないが、私はアクションゲームの類が苦手だ。初めてやるゲームのため操作に慣れず、最初の三十分で三回殺された。ある程度操作が慣れてきたところで、一回死ぬたびにプレイヤーを交代するというルールを作り、山田先輩と交互にシナリオを進めて行った。
「すみません、トイレ借ります」
「うーい」
ゲームを始めて二時間ほど経ったところで、私はトイレに立った。ゲームプレイ中の先輩は、視線はテレビに向けながら了承の返事をした。
トイレで用を足して流しで手を洗っていると、不意に家のチャイムが鳴った。
――ピンポーン。
私は疑問に思い、掛時計を見た。時刻は午前〇時。不意の来客があるとは思いがたい時間である。山田先輩が小声で「またか」と呟くのか聞こえてきた。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。
続け様にチャイムの機械音が鳴り響く。しかし、山田先輩はそれ応えようとすることはおろか、ゲームを中断する素振りも見せない。思わず私は先輩に聞いてみた。
「山田さん、出なくていいんですか?」
「あ~、大丈夫。ここ最近、いつも十二時にチャイム鳴らされるんだよね。出ても誰も居ないし。誰かの嫌がらせなのか、それとも霊的な何かなのか分かんないけど」
山田先輩には霊感が無い。しかしどうも憑かれやすい体質のようで、時折何か得体の知れないモノを引き寄せてしまうらしかった。それは山田先輩自身も言っていたし、聖海さんも言っていた。山田先輩の車の助手席には定期的に見知らぬ女性が座っていたり、山田先輩が友人宅に遊びに行った日に限って、夜中に突然玄関のドアを「ドンドンドン!」と叩かれたり、そういったエピソードは枚挙に暇がないようだ。
「そうなんですか。一応、見てきていいですか?」
「いいけど、誰も居ないよ」
タオルで手を拭き、私は玄関に向かった。チャイムは五回鳴った後からは沈黙を守っている。
私は何気無しに、玄関のドアに付いている覗き穴から外を覗いた。
覗き穴から見えたのは、黒丸だった。黒丸の周りは白く、白い部分には赤い線が所々に無作為に走っていた。
今、私が見ているものの正体に気付いた瞬間、私の意識は急速に遠退いた。
目を覚ましたのはソファベッドの上だった。
「あ、気づいた! 良かったー……」
安堵した山田先輩の顔を見てから掛時計に目を向けると、時計の長針が二と三の間を差していた。どうやら十分ほど気を失っていたようだ。
頭の中で、先刻の光景を思い返してみた。
覗き穴から見えていたあれは、人間の眼球だった。
私が覗き穴から外を覗くように、外で覗き穴から中を覗いていたのだ。
そしておそらく、外にいた者は生きた人間ではない。どおりで山田先輩には見えないはずである。
聖海さんの影響で霊感を持ってから二年余り、たびたび霊の存在を見てまたは感じてきた私だが、気を失ったのは初めてだった。それだけ、外にいたモノが強烈なモノだったのだろうか。
ただ一つ奇妙な点は、私の認識と山田先輩の話が微妙に噛み合っていなかったことだった。
山田先輩曰く、突然、玄関のドアが思い切り叩かれる鈍く重い音が響き、続けてあらん限りの大声で「消え失せろ!」という私の怒声が聞こえたらしい。吃驚して急いで山田先輩が玄関に駆け寄ると、丁度私が倒れるところだったのだそうだ。
無論、私にはそのような記憶は一切無い。
◇ ◇ ◇
後日、再び研究室にて山田先輩の実験の補助に入った私に、山田先輩がこう報告してきた。
「この前○○がうちに来て以来、夜中のチャイムが止んだんだよ。おかげで静かになった」
ありがとうと感謝の言葉を述べる山田先輩に、「そうなんですか、それは良かったです」と応えながら、私はあることを思い出していた。
――○ちゃんの守護さんって凄い力が強い気がするんだよね。
以前、聖海さんに言われたこの言葉を脳内で反芻する。
おそらく、その怪現象に終止符を打ったのは、私ではなく私の守護霊なのだろう。私はそう考えている。