心霊写真
それは社会人としての生活が始まって三ヶ月ほど経ったときのことだった。
大学院を卒業後、私は自分の通っていた大学の職員として働くことになった。今のこのご時世、働き口があるというだけでも十分良かったと思っている。
毎朝一時間電車で通勤をするため、午前五時半~六時くらいには起きている。学生時代は夜型生活が板についていたため、そんな早い時間に起きれるか不安だったが、人とは慣れるもので、最初の一週間を過ぎてしまえば、後は普通にその時間に起きられるようになっていた。
本学事務には、私同様本学の卒業生が数名いたため、初対面でも会話には困らなかった。その中の一人に、本学の博士課程まで進学した金本雅弘という先輩がいる。大柄な先輩で年は私より三つ上、基本的に剽軽で人当たりが良く、ムードメーカー的な存在だった。
ある日、金本さんの実家に御邪魔する機会があった。
飲み会の解散が遅くなってしまい、家が遠い人が終電を逃してしまったのだ。かくいう私もその一人で、困った末、私ともう一人の先輩は、金本さんの実家で始発まで待たせてもらうことになったのだ。他にも何人か帰れない人が居たが、その人たちはそれぞれの伝手でどうにか始発まで時間を潰したようだった。
近くのコンビニエンスストアで多少の酒とつまみ等を買い、金本さんの家に御邪魔した。その時点で午前一時を回っていたこともあり、着いて早々もう一人の先輩は寝てしまった。
その日は金曜日であり、次の日は休みだったため、私と金本さんは飲みながら談笑をしていた。もっとも、酒を飲んでいるのは金本さんだけで、私はジュースを飲んでいた。本当に何の自慢にもならないのだが、私は恐ろしいほどの下戸で、その場はおろか先の飲み会でも一滴もアルコールを摂取していなかった。
「実は僕、霊感があってさー」
談笑は紆余曲折を経て、いつの間にか心霊体験の話になっていた。
「高校のときがピークで、あのときは本当にいろいろ嫌だったわー」
金本さんはそう言って笑っていた。
「例えば、どんなことがあったんですか?」
「んー、いろんなモノが見えたりとか。大学入って多少落ち着いたけど、大学でもいろいろ見たな」
私たちの通う大学には、少なからず何かしらいるのは私も知っている。極稀にだが私も見ていたし、見えない何者かの足音を聞いたりもしていた。私が霊感を持つきっかけとなった人物、佐々木聖海さんも「うちの大学、本当によく分からないのがたくさんいるんだよね」と言っていた。
「特に、写真が駄目だったな」
金本さんはさして嫌そうな顔をする訳でもなくそう言った。
「たまに何か写っちゃったりしたんですか?」
「いや、たまにっていうかほぼ百パーセント何かがおかしくてさ。高校のときはひたすら写真が嫌いだったよ」
そう言いながら金本さんは、部屋の押し入れの中を探索し始めた。
「お、あったあった。見る?」
「いいんですか? 俺、心霊写真って生で見たことないんですよ」
話にはよく聞くのだが、実物の心霊写真という物を見たことが私は無かった。テレビ番組等ではよく目にしたが、どうもテレビを通して見ると嘘臭く感じられるため、私は心霊写真という物の存在に対しては半信半疑だった。
「あんま気持ちのいいもんじゃないよ」
金本さんは、さして厚くもない一冊のアルバムを私に手渡してくれた。私は、逸る好奇心を抑えつつアルバムのページを捲った。
最初に目に入った写真は、全体が白い円形の靄のような物で埋め尽くされていた。テレビの心霊写真特集等でしばしばオーブと呼称されている物のようだが、明らかにその量が尋常じゃない。被写体の金本さんを含む数名の人物がほとんど判別できないほどに、写真全体が白くなっていた。
次の写真は、他の人たちは普通なのに、金本さんだけが全体的に赤味を帯びていた。その赤味は右腕にいくほど強くなり、右腕の肘から先は真っ赤で且つぐにゃりと歪んでさえいた。
「この写真を撮った三ヶ月後に、バイクで事故ってさ。案の定、右腕を怪我したよ」と陽気に金本さんは言い放った。
三枚目は、海を背景に撮られていたのだが、金本さんの下半身が完全に消えていた。合成写真かと思うほどに、くっきりとした金本さんの上半身だけが空中から突然生えている。その写真の中の金本さんは満面の笑みを浮かべており、それが殊更に異様さを醸し出していた。
「その写真撮れたときは、さすがに僕もヤバいかなと思って神社に持ってって相談したよ。そしたら、『あなたの守護霊があなたに警告を出している。近い内に下半身を大怪我するかもしれないから気をつけなさい』って言われてさ。そんで、半年後に車で交通事故で、下半身を集中的に怪我しちゃった。まあ、治ったから良かったけどさ」
私の脇から写真を眺める金本さんは、そう解説してくれた。
四枚目は、写真中央に写る金本さんの周りに多少白い靄みたいなものがかかっていたが、今までの異様な写真に比べると普通に見えた。
「これ、このとき霧が出てただけとかじゃないんですか?」
「そう思うっしょ? でも、実はその写真、俺の両隣に友達が一緒に立ってたんだよね」
「え?」
どうやら、友達と三人で写したのに金本さんしか写らず、他の二人が靄のようになってしまっているのだそうだ。
最後の写真は、金本さん一人が写真のほぼ中央に立って笑顔で写っていた。背景は黒い壁で、特に何かおかしな点が見られる訳ではなかった。
「これも誰かが消えちゃったとかですか?」
「いや、それは僕一人で撮ってもらったんだけどね」
「じゃあ、何がおかしいんですか?」
「その後ろの壁、本当は白いんだよ」
どうも金本さんの場合、写らないはずのものが写るのではなく、写るはずのものが写らないことの方が多いようだった。
そんな生の心霊写真の数々を見て、私は酷く興奮していた。おかげで、始発電車が動き始めるまで退屈することはなかった。