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縁は触れぬこねこから―前篇―

 私は猫が好きだ。

 あのスリムな体型に、軽やかな身のこなし。大きな瞳と、ぴくぴく動く耳。すっと通った鼻尻に、甘い鳴き声。くねくね動くしっぽを見ていると、私もしっぽが欲しくなってくる。

 動物は全般的に好きだが、その中でも猫は別格だった。

 私が今住んでいるアパートは、ペット飼育不可の物件である。それでもたまに、友人の猫をこっそり預かったりしている。今は正式に飼うことはできないが、将来は絶対猫を飼うと心に決めている。


     ◇ ◇ ◇


 私が最初にその存在に気づいたのは、大学二年生の後期試験の最終日、一月末のことだった。

 日頃から、道ばたで野良猫を見かけるとつい立ち止まって眺めたり、撫でるために近寄ったり、ときにはあとを追いかけてしまう私が、その子猫を見つけて立ち止まったのは、普段とは別の理由からだった。

 私の下宿するアパートの近くに、小さな公園がある。民家にはさまれて肩身が狭そうにぽつんと存在し、小さなすべり台とブランコ、街灯と小さなベンチが一つずつあるだけの、古めかしい簡素なつくりの公園だ。

 試験が終わり、打ち上げと称して友人宅で飲み会をしたその帰り道。時間は午前一時。

 試験勉強でほぼ徹夜のまま試験にのぞみ、休む間もなく飲み会開催の流れとなり、しかも酒を飲んでいるため、普通なら眠くてしょうがないはずの時間なのだが、そのときは不思議と目が冴えていた。まっすぐ家に帰ってもつまらないと思った私は、散歩がてら普段通らない道を歩いていた。

 ほろ酔い気分で天を仰げば、視界いっぱいに星空が広がっている。冬の乾燥して澄んだ空気、田舎ゆえに街灯があまり無いこと、深夜のため明かりのついている民家がほとんど無いことが相まり、目の前に広がる広大な星空は、まるで自分自身が宇宙に来たかのような錯覚を与える。この大学に入ってからいく度となく見ている光景だが、いつ見ても空に吸い込まれそうになり、つい呼吸をすることを忘れそうになる。

 空を見上げながらぶらぶらと歩いていた私の耳に、猫の鳴き声がかすかに聞こえた――ような気がした。我にかえり左方に目を向けると、小さな公園があった。

 反射的に猫の姿を探してしまう私の目に、それは映った。

 公園の小さなベンチのわき、古びた街灯の明かりに照らされて、一匹の小さな子猫がちょこんと座っている。体の大きさから考えて、生後一ヶ月にも満たないのではないか。

(この時期に子猫が一匹?)

 猫の一般的な繁殖期は、だいたい梅雨前と十月頃の二回である。妊娠期間はおおよそ六十日前後で、一度の出産で平均三~六頭の子猫を産む。

 この子猫が十月に妊娠した雌猫から産まれたのだとしたら、子猫がいること自体は不自然ではないのだが、その場合、すぐ近くに兄弟猫や母猫がいるはずだ。しかしざっとあたりを見回してみても、それらしい姿は見えない。

(ひょっとして、親に捨てられた?)

 そう考えつつ、私はその子猫に近づいた。私のことを視認したのか、子猫も私の方に向かっておぼつかない足どりでよたよたと歩いて来た。私と子猫が一メートルほどの距離まで近づいたとき、私は気づいた。

 街灯に照らされた子猫の体が、うっすらと透けていた。

「……! この子、幽霊……?」

 思わず口から出た私のつぶやきに反応したのか、その子猫は、かぼそくとぎれとぎれの声で鳴いた。見る人によっては、私の言葉を子猫が肯定したように見えたかもしれない。

 触れてみようと、私はしゃがんで右手を伸ばした。しかし、私の手は子猫の体をすり抜けた。

 子猫は私の伸ばした手の匂いをくんくんと嗅ぎ、頬や首を擦りつけてきた。私には全く何の感触も感じなかったが、一方の子猫は気持ち良さそうに目を細めていた。まるで、子猫は一方的に私の手の感触を知覚しているように見てとれる。

(おそらくこの仔猫は、自分が死んだことに気づいてないんだ)

 だから、ここで独りぼっちなのだろう。そう思うと、何ともいえない悲しさに覆われた。

 すでに、試験が終わったことによる解放感や酔いによる昂揚感は無くなってしまっている。

(幽霊なら、家に連れて帰っても平気かな?)

 そう思った私は立ち上がると、公園の出口を抜け、子猫の方を振り返った。私から子猫に触れられない以上、子猫について来てもらうしかない。

「あ……ぁあ……にゃぁ……」

 子猫は鳴いている。しかし、ついて来る様子はない。ついて来る気がないのか、ついて来られないのか。ひょっとしたら、この子猫は自縛霊のような存在で、この小さな公園から出られないのかもしれない。

 三分ほど様子をうかがってみたが、じょじょに私は肌寒くなってきた。一月末の、しかも盆地帯の夜の冷え込みは厳しい。

 子猫のことはとても気になるが、今の自分にはどうすることもできない。それに、表現は悪いが、この子猫は幽霊だから凍死することもないだろう。

「ごめん、明日また来るから」

 子猫と約束するというよりは、自らに使命を課すかのように私はそう口にして、その場をあとにした。

 公園から離れても、子猫のかぼそい鳴き声が聞こえるような気がした。


 午前十時。私は家から最寄りのスーパーマーケットへと足を運んだ。

 このスーパーマーケットは、この近辺では最も大きく、都会の大型店ほど品揃えは多くないが、日常生活に必要なたいていの物はそろえることができた。

 必要な物を買いそろえ、私は公園へと向かった。大した距離ではないが、冬の寒さは寝不足の私の身には堪えた。

 公園に着いて子猫を探してみるが、姿は見えなかった。今見えない理由が、あの子猫は夜にしか現れないからなのか、私の霊感には波があるため今はたまたま見えないだけなのか、もしくはすでに成仏してしまっているのかはわからない。

 とりあえず私は、レジ袋から猫用の小さな布製の小屋を取り出すと、その中に家から持ってきたタオルを敷き詰め、ベンチの下に置いた。続けて、陶器製の小さい器を取り出し、その小屋の隣にセットする。

 それだけやると私は立ち上がり、残りの荷物を持って家路についた。

 また夜に来ようと思いながら、私は寝不足を解消するために、昼から惰眠を貪った。


 目が覚めると午後十一時を回っていた。途中で一度トイレのために起きたことを考えても、十時間は寝たことになる。

 部屋の中は尋常じゃない寒さになっていたので、まずはエアコンの暖房をつけた。

 寝る前に炊飯器のタイマーをセットしておいたので、お米は炊けていた。適当な野菜で野菜炒めを作り、納豆とインスタントの味噌汁を用意して、私は遅めの晩御飯を食べた。

 お風呂に入るかどうか迷ったが、やめておいた。どんなに厚着をしても、どうせ外に出たら、体が冷えるに決まっている。風呂上がりならばなおさらで、湯冷めでもしたら風邪を引きかねない。外から帰ってからお風呂に入った方が、何かと都合が良いだろう。帰ってきたらすぐお風呂に入れるように、準備だけしておいた。

 私は厚着をしてマフラーと手袋を身につけ、スーパーマーケットで買った子猫用粉ミルクを、熱めの湯で溶いた物を入れたタンブラーや小物を持って、外に出た。

 外に出ると、まず空の様子を確認した。昨夜と同様、雲一つ無い空に無数の星が輝いている。ほう、と息を吐くと、白い息が天に昇りながら散っていく。雨の降る心配はなさそうだ。

 公園へは、歩いて五分ほどである。歩いていると、外気に触れる目のあたりが、熱を奪われていくのがわかる。

 あの子猫は居るだろうか、寒がってはいないだろうか。そう考えたあとで、幽霊なのに寒さを感じたら、それはそれでおかしな話だと一人苦笑した。

 丁字路を左折すると、公園が見えた。無意識に、歩くペースが早くなる。

 私が公園に入ったところで、子猫が布製の小屋の中から出てきた。おそらく私の足音に反応したのだろう。私は安堵し、そして嬉しくなった。何となく、とくに深い考えもなく置いておいた小屋なのだが、子猫は利用してくれていた。思わず表情が緩む。

 私は、昼間セットしたベンチの下の陶器に、タンブラーの中のミルクを注いだ。熱めに作ってきたので、冷えた陶器や外気に触れても、すぐに冷たくはならないだろう。ミルクを注いだ器を、私の足にすり寄っている子猫の鼻先ににゅっと突き出した。子猫は一瞬驚いていたが、顔を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐと、ぺろっと口から小さな舌を出してミルクをひと舐めした。そして、安全な物だと判断したのか、今度は続けざまにぺろぺろと舐めだした。しかし、ミルクの液面は波が起こらず、静謐(せいひつ)を保っている。

 この行為にどれほどの意味があるのか、はなはだ疑問であった。幽霊が空腹を感じるのかわからないし、死んでいる以上栄養摂取の必要もない。そもそも、ぺろぺろと舐めてはいるが本当に飲めているのかもわからない。考えれば考えるほど、わからないことだらけだ。

「お、満足した?」

 一分ほどして、子猫がミルクの入った器から顔を上げると、また私の足にすり寄ってきた。どことなく満足気に見えなくもない。私はそのミルクの入った器を、中身が零れないよう慎重に小屋の中に入れた。あとでまた飲めるように。

 その後はしばらく、子猫とじゃれあって過ごした。とはいっても、私からは子猫には触れないので、持ってきた市販の猫じゃらしを子猫の鼻先で動かしてみた。子猫は興味を惹かれたらしく、右前肢と左前肢を交互に突き出し、猫じゃらしを捕まえようとしていた。途中、子猫がバランスを崩して後ろにごろんと転がってしまったときは、筆舌に尽くしがたいほどの可愛さに、私は身悶えしてしまった。

 寒さが限界に達するまで、私は子猫といっしょにいた。携帯電話の時計で確認すると、四十五分ほど滞在していたことになる。私は子猫に「また明日」と告げると、足早に家に帰り、お風呂に入った。


     ◇ ◇ ◇


 大学は春休みに入ったが、私は現時点で三つのサークル等を掛け持ちしており、休みに入ってからも定期的に活動があるため、昼間はちょくちょく大学に通っていた。実家に帰省もする予定だが、三月になってからにしようと考えていた。

 したがって、夜は基本的に暇だった私は、雨の日も雪の日も足しげく子猫のもとへ向かった。そして、この幽霊の子猫に関するいくつかのことがわかった。

 子猫は、だいたい午前〇時を境に姿が見えるようになること。毎回ミルクを舐める素振りをするが、体はいっこうに成長しないこと。

 疑問は尽きなかったが、私は、秘密の子猫と戯れている時間をとても大切にした。


 子猫のもとへ通い始めてから二週間ほど経ったある日。その日は、これまでと比べると多少寒さが緩んだ日だった。

 私は、慣れた手つきでミルクと遊び道具とお風呂の準備をし、厚着をして外に出た。今日は一時間以上は子猫といっしょにいれるかもしれないと思いつつ、近隣住民の迷惑にならないよう、できる限り小音量の鼻歌を歌いながら公園へ向かう。

 異変に気づいたのは、公園まであと十五メートルほどの距離に近づいたときだった。

 公園内に誰かがいた。街灯の下のベンチの縁に背を預け、地面に座って微動だにしない人影が一つ。

(こんな時間に……?)

 自分のことを棚に上げて、私は考えた。あれは誰なのだろうか。何をしているのだろうか。

 頭の中に、一つの推測が浮かび上がった。あの人影も、幽霊なのではないか。一瞬そう考えたあとで、しかし、ガラの悪い不良とかだった場合、そちらの方が面倒くさそうだなとも思った。

 いつの間にか私は、自分でも無意識のうちに、足音を立てないよう静かにゆっくりと公園に近づいていた。緊張が高まり、手袋の中の掌にじんわりと汗がにじむ。

 じょじょに公園に近づくにつれて、子猫の姿が見あたらないことに気がついた。また、その人影は男性で、どうやら読書をしているらしいということもわかった。下を向いているため顔までは確認することができないが、指で本のページをめくる動作が視認できた。

 何もこんな時期のこんな時間にこんな場所で読書をしなくてもいいじゃないかと、私は心の中で愚痴を言う。そこに居座られては、私が子猫のもとに近づけないではないか。あの子猫は幽霊であり、一般人には見えないのだ。もし今、私がその男性に近づき、何も無い空間に向けて何かを喋りつつ、まるでそこに何かがいるかのように食餌を与えだしたり戯れだしたりしたら、その男性から変人や狂人だと思われてしまうだろう。さすがに私は、そこまでの行動力は持ちあわせていなかった。

 どうしたものかと戸惑っていた、そのとき――。

「にゃぁ……にゃ……ぁ」

 あの子猫の鳴き声がかすかに聞こえた。

 そして、その鳴き声に呼応するかのように、地面に座っている男性が動く。

 思わずその男性の方を見た私は、子猫を見つけた。なんと、子猫はあぐらをかいて座る男性の足の間にいたのである。

 さらに、動いたことにより一瞬見えた男性の横顔に、私は見覚えがあった。大学構内で何度か見かけた顔である。その男性が、今、子猫のいる位置に視線を向けているのを見て、私の頭の中に新たに一つの推測が浮かぶ。

 意を決した私は、ゆっくりとその男性に近づくことにした。その男性はすでに読書を再開しており、私の存在に気づいた様子はない。私は思いきってその男性に声をかけた。

「あの、何をしているんですか?」

 私の声に反応した男性は、顔を上げて私を一瞥し、次に首だけ動かして周りを確認したあと、また私に視線を戻して口を開いた。

「えっと、読書ですけど」

「あ、はい、ええっと…………」

 そんなことは見ればわかる。私が聞きたいのはそういうことではない。かといって、どう質問したらいいのかもよくわからない。

 しばしの沈黙のあと、男性は何かを考えながら呟くように、私に質問してきた。

「間違ってたらすみません。ひょっとして、この子猫のために小屋とかを用意したのは、あなたですか?」

 私の中で推測が確信に変わった。私は戸惑いながらも答える。

「あ、その……、はい、そう、です」

 私の返答を聞いた男性は、そのまま黙考しだしてしまった。再び沈黙が訪れる。

 次に私が発するべき言葉を決めあぐねていると、その男性が、私に向かって予想外の一言を放ってきた。

「あの、まあ、気になるお気持ちはわかりますが、こんな深夜に女の子が一人で出歩かないほうがいいですよ。この辺、なにげに物騒ですから」

 いらぬお節介だとは思いますがと付け足し、その男性――○○さんは苦笑した。

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