手
幼少期の曖昧な記憶。そもそも記憶なのかどうかさえも怪しい、断片的なものである。
私が四歳くらいのときだった。夜、家族で並んで寝ていると、足元の方から何かが布団の中に入ってきた。その何かが私の足に触れたとき、すぐにそれは手だと分かった。最初は父親の手だと思った。
私の父親は、子どもに何かとちょっかいを出してきた。私と妹はその父親のちょっかいに、ときには楽しく、ときには煩わしく思いながら対応していた。だから、そのときのその手も父親のものだと思ったのだ。
(眠いのに……、やめてほしいなあ)
そう思いつつも、眠気が強くて抵抗する気にもなれず、されるがままになっていた。しかし、その後すぐ異変に気付いた。最初は一本だった手が、二本になった。そして三本、四本と増えていったのだ。また、最初は足の裏あたりをこちょこちょと擽るように触れてきていたその手は、しだいに足の甲、踝、膝というように上半身に向かって伸びてきたのだ。今にして思えば、たくさんの手が入ってきているにもかかわらず、掛け布団は全く隆起していなかったこともおかしい点ではある。手が腹のあたりまで伸びてきていたときには、もはや下半身は数えきれないほどの大量の手に埋め尽くされていた。
不可解な現象だった。何がしたいのかが分からなかった。しかし、一番不可解だったのは、そのときの私は全く恐怖を感じていなかったということだ。ただただ煩わしかった。
「お母さん、手が邪魔」私は隣で寝ている母親に言った。
普段は寝つきが良くて、そっとやちょっとでは起きない母親が、そのときはすぐに目を覚ました。母親は何も言わず私の布団の中に自分の足を入れると、何かをした。何をしたのかは私には分からない。しかし、母親が何かをした瞬間、それまで私の体を弄っていた大量の手は、いっせいに消えてしまった。煩わしさから解放された私は、そのまま眠りについた。
そのようなことが何度かあった。毎度のことながら恐怖は微塵も無く、ただ煩わしいだけであった。その手が来るたびに、またかと思いながら母親に追い払ってもらっていた。
◇ ◇ ◇
私が高校生三年生になったとき、何故か突然そのことを思い出した。特に何かきっかけがあった訳ではない。本当に、ふと思い出したのだ。
私は母親にそのときのことを聞いてみた。母親は私に一言、「知らない。何、その話?」と言った。私があのとき手を追い払うよう頼んでいたのは、本当に母親だったのだろうか。
◇ ◇ ◇
大学三年生のとき、二つ年上の大学院生の佐々木聖海先輩と知り合った。同じ研究室の聖海さんは、非常に霊感が強かった。その聖海さんに、ある日突然言われた。
「○ちゃんってさ、今まで大きな怪我や病気になったこと無いでしょ?」
その通りだった。骨折はおろか捻挫になったこともない。インフルエンザや麻疹等とも無縁の生活を送ってきた。命の危険に晒されるような出来事に今まで遭遇したことがなかった。そのこと自体は自覚していたが、ただ単に運が良いだけだと思っていた。
「やっぱりね。何ていうか……、○ちゃんの守護さんって凄い力が強い気がするんだよね」
私が聖海さんの問いに肯定すると、続けてこのようなことを言ってきた。
聖海さん曰く、私の守護霊は凄く霊的な力強く、私のことをまるで箱入り娘のように守ってくれているように感じるのだそうだ。今まで大怪我や大病と無縁だったのも、私の守護霊の御蔭らしい。
はたと思い当った私は、続けて幼少期の頃の、手のエピソードについて聞いてみた。
「あ~、多分、その手たちは○ちゃんを彼岸へ連れて行こうとしてたんじゃない? そして、それから守ってくれたのは、母親じゃなくて守護さんだと思うよ」
あっさりとそのような返事が来た。私は、長年の疑問が氷解したことに少し喜びつつ、なるほどと納得したのだった。