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彼の訪問 3

  まさかそんな。

 まさかそんな事はないよ。自意識過剰だな私…。この私がストーカー行為を受けるなんてそんな…

「…どこの?」と父さんが低い声で聞く。

「駅裏にある『やまぶき塾』です」

 やっぱり!


  ぞわっと鳥肌が立った。

『やまぶき塾』は私が務めている塾だ。

母さんはただただ私を見つめ、父さんは舌打ちした。温和な父さんが舌打ちするなんて滅多にない。

「君は」と父さんが絞り出すような声で言った。「リツをどうしたいんだ?」

 彼がニッコリと笑って答える。「これからずっと一緒にいたいです。ずっと」


 怖い。

 そして、怖さを強く感じ過ぎた私は口に出していた。「キモっ!!」

ゲラゲラと彼が笑った。「だよね」

「ふざけてるのか!」と父さんが怒鳴る。

くどいが温和な父さんが怒鳴るなんて滅多にない。

「すみません」彼は急に真面目な顔になった。「そりゃあ怒鳴られるのも、気持ち悪がられるのも当たり前ですよね。すみません。不快にさせるつもりはなくて、どうしたいんだってお父さんがせっかくふってくださったんで、もうこの際自分の要望言っておいた方がいいかなと思って」



 そして彼は軽く身の上話を始めた。

 うちの隣に住み始める前から彼の両親の仲はうまく行っていなかったそうなのだが、隣に越してきて1年くらいすると彼の父親が家にあまり帰って来なくなったらしい。私は小さいがゆえの鈍感さで気付かなかった。ハルちゃんちのおじちゃんあんまり見た事ないな、くらいの話だ。それで結局両親は離婚、彼と彼の弟は母親に引き取られ、母親の実家のある、ここから70キロくらい離れた県境の鏡が原町に引っ越したのだそうだ。そこで高校まで暮らして大学は県外に。教員免許を取って高校の生物の教師をしていたそうなのだが、辞めて帰って来たらしい。そして私が今働いている『やまぶき塾』に来月から働く予定らしいのだ。

「塾長がさ、オレのじいちゃんなんだよ」



 知らなかった。

 私は目の前の彼の顔を見ながら塾長の顔を思い浮かべた。塾長は確かに彼くらいの孫がいてもおかしくない年なのだが、その顔はアインシュタインを無理矢理東洋人にして胡散臭く仕上げたような感じだ。彼とは似ていない。背も高くない。私と同じくらいだから165センチ前後のはず。7割がた白髪で、常に飄々としていて、むかし話に出てくる仙人のような雰囲気の人だ。


 塾長は毎朝、塾の周りのゴミを片付けるのを日課としていて、それに気の引けた私たち講師が順番で掃除をすると申し出たのだが、塾長はそれを断り、いまだに毎朝一人で片付けをしている。「あ、おはよう」「はい、おはよう」「はいはい」と私たちの挨拶に機械的に返しながらゴミを片付けるのだ。

 校舎ビル内ですれ違う時にはもちろん挨拶はするが、私はヒラの、勤め始めてまだ2年目の講師なので、たぶん名前もきちんと認識されていないと思う…けど…ハルちゃんに私の休みを教えたのは塾長なのか…

 

 就職する時の面接以外にはきちんと話した事もないし、週に1回の全体で行うミーティングの時にくらいしか塾長の姿をまともに見る事もほとんどないのに。だいたいそのミーティングの時にだって塾長は、「じゃあみなさん体に気を付けて頑張って」くらいの閉めの言葉しか言わない。



「ごめんオレは知ってたんだよ。りっちゃんが去年、塾の面接に来た時にじいちゃんから連絡があったんだ。お前がむかし住んでた辺りの住所の子が面接に来たって。リツって名前だから、お前がよく話してた子なんじゃないかって。まぁいろいろあって就職もしてたけど、その時はただただ嬉しかった。りっちゃんとまた繋がりが出来たと思って」

そういうのはプライバシー保護法に反するんじゃないか?塾長。私の面接の時だって答えにくい変な質問ばっかり…



 「本気ですごい運命だなって思ったんです」彼が続ける。「まさかうちのじいちゃんの塾でりっちゃんが働く事になるなんて」

 本気でくどいと思うが気持ち悪い。運命とかいうヤツ、超気持ち悪い。

が、彼は落ち着いた声で続ける。「ここの隣に住んでる時、つらくて哀しくて寂しい気持ちでいっぱいで、うちの母親もそんな感じでどうしようもなく不安な時、りっちゃんと一緒にいたり、りっちゃんのお母さんにおやつもらったりすると、少し落ち着いた気持ちになりました。恥ずかしい事に、あの頃の何も出来なくてただ悲しんでた自分を、今でも思い出してイライラする事もあるんですけど、それでもいつも、あの時一緒にいてくれたりっちゃんの顔を思い浮かべると、僕は不思議な程落ち着く事ができるんです。本当に不思議な程」



 落ち着いた声でそんな風に説明されても、その上私の事を真っ直ぐに見詰めてくれても、全体的にこの話が信じられそうで信じられない私は、普通に現実的なだけだと思う。

 聞きながら、その頃の内気で恥ずかしがりやで寂しげなハルちゃんを、私だってすぐに思い浮かべる事は出来たが、それは目の前にいる今の彼とは全然違う。

「あれ?」と彼はなぜか嬉しそうに言った。「ウソかもって思ってる?」

ぎくりとした顔をあからさまにしてしまったので彼はゲラゲラ笑った。

「…嘘とは思ってないよ。ただ…」

「ただ?」

「それは15年も前の話で、今の私とあの頃の私は違うでしょ?ハルちゃんも」

「りっちゃんは変わらないよ」

ムカっ!



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