たいしたことじゃない 1
家に帰って風呂に浸かる。
結局ハルちゃんはその後玄関まで送ってくれて、しかもわざわざ自分でチャイムを鳴らして、出てきた母さんにきちんと挨拶までして帰って行った。
上がってお茶でも、と言った母さんに、「いえもう遅いですから、ありがとうございます。明日また遊びにきますから」と挨拶をした。
「え、明日?!」と普通に驚く私。
「泊まってけばいいじゃん」と母さん。
そして私はチュウされたよね?
「どうしたの?」母さんが私に言った。「なんか二人とも感じがちょっとおかしくない?リツも赤い顔して」
「えっ!?」
「嘘だけど」
「へ?」私は間抜けに母さんとハルちゃんを交互に見てしまう。
「チュウでもされたの?」母さんがさらっと聞いてくる。
思わず赤いと言われた頬を両手で押さえてしまう。嘘だけど、と言われたのに、押さえてしまった。
なんでバレてんの?母さんに。が、ハルちゃんは用意していたように即座に淡々と答えた。
「いえ、まだしてません」
あ~~やっぱしてないで通すんだ!
でもしたよね?チュウしたよね?ほんの一瞬だったけど私チュウされたのに…
5分だ。ハルちゃんが言ったとおりに5分、私たちは一緒に橋の上にいた。
車は一台も通らなかった。人も。自転車も。橋を渡った向こう側にある街灯の明かりに小さい虫が10匹くらい引きつけられて飛んでいた。
欄干も石で作ってあるような古い橋だ。私はハルちゃんにチュウの事を問い詰める事も出来ずに、手を繋ぐくだりからチュウまでの一連のまとまりのない私たちの会話をグルグルと思い出しながら、空を見たり、半分の月が写っている川面を見たりした。ハルちゃんもそうだ。そして私たちは何もしゃべらなかったし、もう手は繋がなかった。
その後ハルちゃんはただ黙って私を家まで送ってくれたのだ。
「する気はありました」とハルちゃんが母さんに言うのでびっくりする。
「チュウする気はありました。すみません」
ふぇ?何言ってんだろう、この人。母さんになんでそんな事を詫びる。まずわたしにごめんなさい、だろう。だってチュウしたんだから。チュウしたじゃん私に。一瞬だったけど。
チュウしたよね?チュウされたけど私…
「…あ、そう」母さんの返答もうつろだ。
そりゃそうだろう、そんなわけわかんない事言われても。
「すみません、あの、いろいろ」とハルちゃんは静かな声で言った。
「あら」と母さんが言う。「送ってくれてありがとう。こんなねぇ、色気のない子でも夜道は危ないから」
「お母さん」とハルちゃんが言う。「ありがとうございます。…いろいろ。むかしも今も」
「あ~うん…全然。こちらこそ」と母さんは答える。
「リツ」と私が今度はハルちゃんに呼ばれた。
「ありがとう」ハルちゃんに言われた。
ありがとう、って何に対するありがとう?
「え…いやあの、…私こそ送ってもらって…」
しどろもどろになる。そりゃ当然だ。あんなに手は繋ぎたがってたのにチュウはしなかった事にしとこうみたいな…わけがわかんない。でも問い詰められない。
「おやすみ」とハルちゃんに言われる。
「おやすみ。気を付けて帰ってよ」と母さん。
「…おやすみなさい」と小さい声の私。
ハルちゃんは「じゃ」と言って、うちの玄関のドアを自分で締めて帰って言った。
ハルちゃんが帰った後、母さんがマジマジと私を見つめてくる。
「何があったの?」
「え!…何も。ただ送ってくれただけ」
なぜ私が嘘をつかなくちゃいけない。
「そのカーディガン借りたの?」
「うわ、返すの忘れた!私追いかける!」
「そんな事しちゃダメよ~」母さんがしたり顔で言う。「ハルちゃんは気付いててわざとそのままにして帰ったんだと思うよ?ねぇそれより、本当は何があったの?言いなさいよ」
母さんの突っ込みが面倒くさくて私はすぐ風呂に入ったのだ。




