電話 1
夜9時ごろ風呂から出ると、小1時間前に帰って来た時にはやたら疲れた顔をしていた母さんが、今はにこにこと笑って私を見る。
「今日、ずっと前に隣に住んでたハル君来たんでしょ?何で言わないの?今電話来たよ」
「…何て?」
本当に電話かけて来たんだ…
ふふっと母さんは笑った。やけに嬉しそうだ。
「今日いきなり訪ねたらあんたに全然信じてもらえなかったって笑ってたよ。自分は会いたくて会えてすごくうれしかったのに、あんたの反応がやけに薄かったから寂しかったんだって」
「…」
「それでね」母さんは含みを持たせて、ちょっと私をからかったようにわざとらしい間を開けてから言った。「『りっちゃんに正式にお付き合いしている人がいないのなら、これからちょくちょく誘いたいんだけれどいいでしょうか』だって!『絶対に無理強いはしませんから』って。これってあんたと付き合いたいって事だよね?申し込み、的な事でしょ?ねぇどうするの?お母さん言われてドキドキした。あんた前の彼氏と別れて結構長いのに、もう誰とも出会いがないのかと思って心配してたんだけど」
「いいよ、そんな心配お母さんが勝手にしないで」
「あんたもしかして、自分はあんまり可愛くないから男の人と付き合えないとか思ってない?」
「思ってないよ!私はすごい美人じゃないけど普通に可愛いの!」
「ギャハハ」と母さんは笑った。
「いや、ギャハハじゃないって。母親なのに何言ってんの?私が自分の事可愛くないって言ったとしてもよ?逆に母さんが『大丈夫、絶対可愛い』とかって言わなきゃいけない立場なんじゃないの?」
「ハハハ…ねぇどうだった?昔みたいに可愛かった?ハル君。お母さんも見たかったな~~。すごく感じ良さそうな喋り方だったよ。あんたすごいじゃん。幼馴染が忘れられずに会いに来てくれるなんて。付き合っちゃえばいいのに」
私は母さんを落ち着かせるようにゆっくりと首を振って見せた。「そんなつもりで言ってるんじゃないよ。ただむかしをちょっと懐かしがってるだけだと思うから大げさな反応しないでくれる?」
「…そう?」
「それに今付き合ってる人いないけど、私にだってちゃんと好きな人はいるんだよ。余計な心配しないで欲しいな」
「ふ~ん…それ誰?」
「誰でもいいじゃん。ただちょっと好きなだけなんだから。母さんには関係ない」
「あんた何言ってんの?ただちょっと好きとか。24にもなって気持ち悪い。今時中学生でもあんたよりよっぽど大人な恋愛してるよ。好きならどうにかして相手にも自分を好きにさせて付き合うつもりで頑張って行きなさいよ」
うるさい、と母さんを睨み、私は私の好きな人を思い浮かべながら答える。「いいからほっといてって」
「お母さんも見たかったな。ハル君の事。今度の月曜、映画行くんでしょ?うちでお茶でも飲んで行ってもらってよ」
映画の話まで母さんにするなんて。しかも了承してないのに。
「行かないよ!約束してないもん、そんな事」
「誘ったって言ってたよ?」
「誘われたけど社交辞令だよ、そんなの。行くなんて言ってない」
「どうしてよ?せっかく誘ってもらってんのに。あんたあらゆるチャンスをものにしていかないと、もう男の人と付き合えないかも…」
「違うんだって!」
先走る母さんを私は止める。
母さんは今日やって来た彼を見ていないから呑気に喜んでいるのだ。
「今日来た人、ハルちゃんじゃないと思うな」
母さんはもちろん不審な顔をした。「だってさっき電話で話したのに」
「だって」と私も言う。「顔がすごく変わってたもん。身長だって180くらいあったけど。…あんなに小さかったのに。もう全然!むかしと雰囲気違ってた」
「そりゃ変わるでしょ」と母さんが言う。「もう10何年も会ってないんだから。何年だっけ?」
「じゅう…5年くらい?」
「じゃあ顔だって変わるって」
「それでも変わり過ぎてた。感じも変わって何か変だったもん。やたらその…会いたかったって言うし」
それを聞いて母さんはにやにやしている。「そうなんだ~~。ずっと忘れられなかったのかもよ。隣に住んでた女の子の事が」
いや、それはないな。
母さんにも言ってしまったように、私は『すごい美人』じゃない。自分の事を可愛いって言ったのだって、そうやってモチベーションを上げているだけだ。
ああいう感じの男の人が、わざわざ15年も会っていなかった幼馴染の、しかも一緒に過ごした期間も短かったのに、今になって訪ねてくる意味がわからない。
そこへ電話が鳴った。