私の好きな人 1
私の好きな人は「やまぶき塾」で講師をしている泉田先生だ。
やまぶき塾は4階建てのビルで、1階が小学生以下の生徒の教室、2階が中学生、3階は高校生と浪人、4階は事務所になっていて、泉田先生は中学生の担当だから、毎日顔を合わせられるわけでもないし、非常に残念な事に、たった1回呼びだされたのを除けばまだ二人きりで親しく話をしたこともない。
本当にただ、私が好きだな、と思っているだけの人なのだ。
泉田先生は主に中学生の理科と算数を担当していて、私よりたぶん3歳くらい年上で結構いかつい。10分刈りくらいの坊主頭で無精ひげを生やしている、だいたいいつもTシャツに薄汚れたジーンズ。目つきも悪い。いつもシャツもインパクトのある柄物が多いが、その模様が鬼子母神だとか錦鯉だとかで、一見塾の講師にはとても見えない。
が、生徒にとても信頼されている先生だと私は思っている。
私の小、中学生の時を思い出しても、人気がある先生はまぁまぁいたが、信頼までされている先生はあんまりいなかった。小学高学年以上になると子たちは、まだ大人を怖がってはいても、だんだんといろいろな事が見え始めて、大人をバカにし始める。中学生なんてなおさらだ。父親も母親も含め、信頼に足る大人なんかそうそういないと気付き始めると、なかなかこちらの真っ直ぐな意見を聞かなくなる。信頼を得るのは難しい。
私は自分で言うのも悲しいが、ほとんど人気もないしあまり信頼もされていない。ただの「国語を教えてくれる人」っていうのが子供たちの現在の評価だと思う。塾の講師だからまだそれでもいいような気がするが、クラスの担任までしなければいけない『学校の先生』には絶対になれなかったと思う。なれたとしても仕事として続けられないだろう。
塾で働くようになってはじめの頃、もちろん不慣れで教えるのも今よりずっとへたくそで、同じ1階担当の講師ともまるで打ち解けられなかった私に、小学生の算数の教室の補助にちょくちょく来ていた泉田先生が声を掛けてくれたのだ。
「もっと普通にしたらいいんで?」
階段でいきなり泉田先生は方言丸出しで話しかけて来てくれた。
その時は紺色に桜吹雪の入ったTシャツを来ていて、突然話しかけられた私は身を固くした。もちろん見た目が怖かったせいだ。
泉田先生は岡山の離島の出身で、しかもおじいちゃん子だったらしく、一般の岡山県民より断然方言が強いらしいと、親戚が岡山にいる他の先生が言っているのを後で聞いた。
「友達の弟とか妹に教えとる、と思えばええんじゃ」
そして私の頭に手をポンと置いて、強面のまま優しい笑顔を作って言ってくれた。「りっちゃん先生、言うんじゃのう?可愛い名前やのぉ」
それまで泉田先生と話す機会はほとんどなかったのだが、その笑顔と「可愛い名前やのぉ」で、一瞬で心をグラグラと揺すられた。
もちろん泉田先生が、ただ私の緊張を少しでも和らげようとしてくれただけなのはわかってはいるんだけど、まるで好きだと言われでもしたような感覚に陥って、それ以来階の違う泉田先生と何とか1日1回でもすれ違えないかと機会を伺うのだがなかなかだ。たまに階段ですれ違えたらすかさず、けれど小心者の私は結構ドキドキしながら頑張って「お疲れ様です」と挨拶するのだが、「おぅ」と片手を上げて答えてくれるだけ。それだけももちろん嬉しいし、その片手の上げ方がまたぶっきらぼうな感じでキュンとなってしまうのだけど。
その、ほとんど絡みのなかった泉田先生に2週間ほど前呼び出された。
私のドキドキ度は半端なく、授業が終わって近くのファミレスで待ち合わせをした時には完全に、あんまり絡みはなかったけど、すれ違う時に頑張って挨拶でも続けてきたおかげで、泉田先生が私の事を気にしてくれて、もしかしたら好意をもってくれたのだと思ったのだ。いつも自分で一番可愛いと思う笑顔で挨拶していたから。
もちろんそれは私のただの妄想だった。
泉田先生は言った。「なぁ、りっちゃん」
『りっちゃん』と呼ばれてテンションは一気に上がった。
泉田先生がまるで彼女を呼ぶみたいに私を『りっちゃん』て呼んでいるのだ。
が、泉田先生は続けた。「奥田タクミって、わしと同じ中学担当の講師がおろう?」
え?奥田?
「あいつ、わしの高校の時の同級生でな、結構えぇ男じゃろう?あいつがな、りっちゃんと一度デートしたいぃ、言いよるんじゃ」
「へ?」
「わしもな、自分で言えや~言うたんじゃけぇど。あいつがわしの事をな、その…こんな事本人の前で言うのもわりぃんじゃけど、りっちゃんはわしの事を好きなんじゃないじゃろうか~、言うもんで、いや、わしほぼ挨拶しかしたことないんじゃけぇど~言うてたらな、じゃあ一度デートしたいぃ言うて伝えてくれや~言うもんじゃけぇ」
ど~~ん。
一気に上げてしまったテンションが哀しかった。
しかも言われた全体的な内容にはどん引きしながらも、泉田先生を私が好きだという事を他の人に気付かれて、その人が…まぁ奥田先生なんだけど、泉田先生に教えていたという事実に、泉田先生が私の事を少しでも意識し始めないかとわずかな期待を抱いてしまう不憫な私だった。
もちろんその時は、奥田先生の事は丁重にお断りしたけれど。




