私と彼の状況 1
私の職場の、そしてこれからハルちゃんも働くと言う、彼の祖父が経営している『やまぶき塾』は、5年ほど前に駅の裏に出来た。
その名前の通り真っ黄色の、4階建てのビル全体が塾だ。出来たのが私が高校を卒業してしまってからだったが。こんな塾に通いたかったな、と思って私は去年求職した。
その塾は下は3,4歳から上は大学受験生までを塾生としていて、受講する教科や時間は塾生が1カ月単位で選べると言った少し変わった塾だった。受講料はそんなに高くはない。どちらかというと一般的な進学塾より設定が下で、その代わり上級生は下級生に得意教科を教えなければならないのだ。高校生も、中学生も、小学生も。教えた分がポイントとなって、それが自分の受講料に反映される。
私は今7、8歳の子を担当しているが、その子たちも未就学児にひらがなの書き方や読み方を教えてあげたり、待ち時間に本を読んで上げたりしている。人に教えて上げる事でさらに自己の学習能力に幅を持たせようという狙いらしい。人に何かを教えてあげる事によって自分が習った事だけでは気付かなかったいろいろな事に気付くのだ。
それもみな塾長の方針だった。私ももちろん素晴らしいやり方だと思っている。だから落ちると思った面接を通って、最初は研修生として働ける事になった時、とても嬉しかった。
私もたまに中学生や高校生の子にも国語を教えたりする。講師もみな、自分の得意分野をうまく回しているのだ。ちなみに塾長も自ら講師をしていて、高校生に世界史と現代文を、そして中学生に歴史と地理を教えている。一見飄々として食えない感じの塾長は生徒と講師に結構信頼されているのだ。
黙って聞いていた父さんが「う~~ん」と唸ってから言った。
「そういう感じで懐かしくて訪ねてきてくれたのはわかった。でも来て早々付き合うだのなんだのって言われても…なぁ?リツ。なんていうか、どう見ても傍から見てたらストーカーみたいな感じが…」
「もう!」と母さんが口を挟むが父さんの言う事は正論だ。
私が口を挟む前にハルちゃんが言った。
「口に出してしまうとお手軽な感じに思われるかもしれないんですけど」静かに真面目に彼が言った。「ずっと。離れてからずっとりっちゃんの事が心にありました」
「ああ、お手軽だな」父さんが少しけんか腰だ。「そういうのは男が手っ取り早く女の子を引っかけるために言う事だ」
しつこいようだが普段は温和な父さんなのに。
「すみません」と彼は素直に謝った。「なんか…待てなかったんです。塾で働くようになってから『覚えてる?』って声をかけた方が自然だったんでしょうけど、こっちに帰って来て、ほんとにすぐに会いたかったので」
「う~~ん」と今度唸ったのは母さんだ。「なんかさ、顔のいい子って得だよね」
母さんの突然のぶっちゃけた態度に父さんと目を見張る。
「こういう感じで急に家に訪ねて来ても、こういう事言い出したりしても、そこまで気持ち悪さを感じないっていうか、逆に彼氏もいないし、こんなかっこいい子がせっかく、こんなにも好意を持って来てくれてるんだから、リツもすぐに飛びつけばいいのにって思ったりね。人間て不平等だよね~~」
母さんは私が考えている事と全く同じことを口に出して言った。私は絶対に飛びついたりはしないけど。
飛びついたりしないし、本当に母さん、彼氏いない彼氏いないって、マジでしつこ過ぎるから。
彼氏はいないけど好きな人はいるんだよ。
「ねぇハルカ君」と母さんが聞く。
「はい」
「リツの事が好きなんだよね?」
「はい」
まじめに返事をされるとドキリとする。
「本当に好きなの?」
「はい」
「本当の本当に好きなの?」
「はい」
「彼女いないの?」
「いません」
「本当に?」
「はい」
「本当の本当に?」
「本当です」
「本当かなぁ~~。そんなにカッコいいのに?」
「ありがとうございます。でも本当ですよ」
「彼女とまではいかなくてもさ、言い寄ってくる子とか結構いるでしょ?」
「まぁ…」
「そんな時どうするの?」
「好きな子いるからって断りますけど」




