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ヤトを探すも心当たりはどこもない、適当に校内を歩きながらカノンは彼と出会った時のことを思い出していた。
彼、火守夜帷と出会ったのは7才の頃だ。
火守家は数百年前から代々続く名高い魔法使いの家系である。
そしてそこに仕えていたのが満月家だった。
ヤトは生まれながらにして、強力な魔力を宿していた。
当時の当主がこんな力は利用しない手はないと、ヤトは物心つく前から何かと悪用されていた。
しかし、ヤトが大きくなるにつれて魔力も少しずつ成長いく。
いつしか大人たちは、自分の手に余る力に怯え、取り返しがつかなくなる前に殺してしまおうと考えたのだ。
だが、直接手を下せば自分たちが返り討ちに合うかもしれない、暴走だってありえる。
だから彼らは、ヤトの食事に毒を混ぜた。
一度目ならず、二度、三度と毎日毒を与え続けた。
しかしヤトは涙を流し苦しみ、血を吐き、悶えるも一向に死ぬことはなかった。
そしていつの日か彼は出された食事を一切口にしなくなった。
ヤトの復讐を恐れた大人たち、その時彼の気を鎮めるため、生贄としてあてがわれたのがカノンだった。
出会った時既に少年は人を憎み、恨み、拒絶しそして衰弱しきっていた。
その目には全く精気は感じられなかった。
そんな彼を見てもなぜかカノンは恐怖や嫌悪感を抱かなかった。
それどころか放って置けないと思った。
カノンは必死にヤトとコミュニケーションを取ろうとした。
何度も何度も話しかけた、始めの1年は反応さえしてくれなかった。
2年目でやっと頷き返したり、首を振ったりと反応を見せてくれた。
3年目に入るとようやく会話もしてくれるようになった。
順調に思えた、ヤトとの関係だったがそこからが大変だった。
ヤトは食事をほとんどとらない、日に一度冷蔵庫からくすねてきた肉や野菜を食べるだけ。
そんな彼を見ていられなくなったカノンは、彼に食事をつくって持っていった。
しかし彼は、食べてはくれなかった。
食事に毒を盛られ続けたせいで人が作ったものは食べることができなくなったのだ。
それでもカノンは諦めなかった、毎日、毎日、ヤトに食事をつくった。
そんな生活が3年続いたある日。
今日も食べてはくれないだろう、料理の腕前だけが上がってゆく、そう思いながらも料理を作る。
しかしヤトはその日とうとう料理を口にした。
一口、また一口と、とても美味しそうに食べてくれる。
そのときつくったのがオムライスであった。
それからは毎日食べてくれた、どんどん関係もよくなりヤトは時折笑顔をこぼすこともあった。
外に遊びに連れ出すこともできるようになった。
そうして少しずつ彼との関係を築き、これから普通の生活に戻って行けると思ったやさき、あの祭りの事件が起こった。
事件の後、彼は急に訪ねてきた。
『お前の夢はなんだ』
急にどうしたのかと不思議に思ったがカノンは包み隠さず、正直にその時の気持ちを語った。
『アンクルが来なくなって、ヤトに優しい世界になって欲しい』
カノンのありのままの願いを聞き彼は微笑んだ。
『本当にお人好しだ、でもありがとう』
ヤトの月明かりに照らされた顔は、今にも消えてしてしまうんではないかというくらい儚げで、カノンは少し不安になった。
そんな気持ちが顔に出てしまったいたのか、ヤトはこちらを向くと『笑って』と言った。
そして『笑って』そんな言葉を残し翌日、彼は火守家から姿を消した――
どのくらい校内を歩き回っただろう、ヤトはもしかしたら家に帰っているかもしれない。
最後に屋上だけを見ていこうと、階段を上がる。
そうして屋上に出ると、フェンスを掴みそこから景色を眺める人の姿があった。
「やっと見つけた」
「……」
近寄ろうとすると、それを嫌がるようにヤトは無言のまま魔力の炎をあげた。
「そんな事しても私には意味ありませんよーだ」
周りの生徒に質問攻めにあったとき、本当に心の底からヤトのことを信じ愛する者には一切悪影響はない、と答えた。
みんなは笑っていたようだが、あれは冗談ではない。
火守家の蔵にある古い本の中に書いてあったのだ。
数百年前にも一度、ヤトの先祖に当たる人物が黒い魔力をその体に宿したと言う。
人々はその人間を鬼だと称し避けた。
しかし、一人だけその魔力が全く効かない女性がいた。
それは、母である。
その鬼の母は、どれだけ魔力に触れようとどうにもならなかったらしい。
本の最後にはその母は子に一度も恐怖を感じたことはなく、心の底から一片の曇りなく愛したと書いてあった。
カノンは歩みを進めると、未だ沈黙を貫いているヤトのそばにそっと腰をおろした――
◆◇◆
ヤトは生徒たちの視線から逃れるため教室から飛び出した。
日頃から気をつけているつもりだった。
だが最近はアンクルとの戦闘もなく魔力を使う場面がなかった。
そのせいで無意識のうちに体から力が漏れ出してしまったのだろう。
どれくらいそこにいたのか、気がつくと日が沈み始めている。
西日が顔に当たって眩しい。
そう思っていると校内へつながるドアが開いた。
「やっとみつけた」
そこから現れたのはカノンだった。
しかし今は一人にして欲しい、拒絶の意を込めて魔力を発する。
「そんな事しても私には意味ありませんよーだ」
そうなのだ、彼女にはヤトが何をしても無駄だ。
カノンはぺろっと舌を出してこちらに近づき、そして何も言わず、何も聞かずそっと寄り添ってくる。
しばらく沈黙の時間が流れた、あたりには人の気配はなくときおり吹く風の音だけが二人の身を包む。
そんな静寂を切り裂いたのは、ヤトの情けない言い訳だ。
「ちょっと寝ぼけてたんだ」
「うん」
「最近魔力も使ってなかったし」
「うん」
「みんなの視線にも慣れてる」
「うん」
「だから……逃げた訳じゃない……」
「うん」
そんな自分の言い訳をただひたすら聞いてくれる。
ほんとは視線が辛かった、一刻も早く逃げ出したかった。
カノンもそんなことには気付いてるはずだ、それでも彼女は自分を責めない。
「わかってる、わかってるよヤト」
今はそんな彼女の優しさがとても痛い。
「ヤトは、もう私を置いてどこかに行ったりしないないもんね」
カノンの言葉はヤトに言っているようであり、自分に言い聞かしてる様な感じでもあった。
「……ああ、それは約束する」
「うんっ!」
既に陽は沈み、吹く風は少し冷たい。
カノンは立ち上がり笑顔で、手を差し出してくる。
「ねえもう帰ろう」
「そうだな」
そのカノンの手を握り立ち上がり、歩き出す。
「今日のご飯は何がいい?」
「なんでもいい」
「それが一番困るんだけど」
「カノンが作るものならなんでも美味しい」
「じゃあ、生オムライスはどう?」
「斬新だな、興味がある。どんな食べ物なんだ」
「ただの卵かけごはんでーす!」
「……っ!?」
そんな冗談に付き合っていられるほど落ち着いたらしい。
ありがとう、ヤトはそう心の中でつぶやいた――




