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翌日、今日もまた目を覚ますと、カノンが体の上にいた。
しかし今回は髪の毛の闇は広がっていない。
その代わりにボーっとこちらを眺める目が二つ、そこにはあった。
視線は合っている気がするのだが、妙に意思を感じない。
「俺の顔に何かついてるのか」
「あっどうも」
完全に寝ぼけている。
「しっかりしろ、取りあえず降りてくれ」
「いえ結構です」
「それはこっちのセリフだ!」
言葉は、はっきりしているのだが会話は全く通じない。
「カノン、目を覚ませ」
「別にいいですよ」
まだ発言は微妙だが理解はしたのか、ようやく立ち上がろうとする。
良かったと、そこで気を緩めてしまった。
「ぅぐぇっ……」
カノンはそんなヤトの隙を突くようにお腹の上に乗り、飛び降りる。
「お前……わざとだろ」
顔を上げたが既に彼女の姿はなかった。
そんな、何事もない毎日がしばらく続いた。
少し変わってしまった毎日にも慣れていく。
カノンもこちらの生活に大分順応し始めたのか、今では友達もたくさんでき毎日楽しそうである。
最近は、なぜかアンクルも静かで全く現れなくなった、そうなるとこちらも楽でありがたいのだが少々物足りなかったりもする。
完全に力を持て余してしまっているのだ。
魔力をどこかに発散したい気持ちを忘れるため今日もまた、昼寝を始める――
◆◇◆
またヤトが昼寝をしている。
カノンはよくもまあそんなに眠たくなるものだと思っていた。
いつもなら起こすところなのだが、今日は午後から移動教室だ。
「カノンちゃん、授業遅れちゃうよ」
「はーい」
新しくできた友達に呼ばれ、腰を上げる。
「行ってきます」
寝ている彼の頭にそう囁きかけ教室を出て行く。
午後の授業が一通り終わり、数人の生徒と話しながら教室に戻っていると、前から同じクラスの生徒が走ってくる。
「はぁ、はぁ……満月さん、やっと見つけた」
「どうしたの?」
相当急いできたのだろう、息が荒い。
「大変なの、いいからとにかく来て!」
そう言われカノンも慌ててついて行く。
教室に近づくと、何やらドアの周りに人だかりができている。
「なにがあったの?」
一番後ろの生徒に尋ねた。
「満月さん遅い!」
「おいみんな、道を開けろ!」
突然怒られたかと思うと、グイグイ教室の中に押し入れられる。
戸惑うカノンの目に映りこんだものとは。
教室の4分の1を飲み込む、ヤトの闇のような魔力だった。
しかし彼は眠ったままの体勢だ、きっと無意識に出てしまっているのだろう。
自分の後ろでは尚も生徒が騒いでいる。
「君だけが頼りだ、何とかしてくれ」
「早く、とめろ!」
カノンは、ヤトを起こそうと、彼の席に近づいた。
「それに触っちゃだめ! 危ないよ!」
カノンのためを思ってだろう、先程まで一緒に授業を受けていた友達の一人が声を上げる。
しかし、その少女の言葉にカチンときたカノンは、やっとできた友達を無言で睨みつける。
いくら自分を思ってとは言え、ヤトを(それ)呼ばわりされたのだ。
近寄って文句でも言ってやりたかったが、今はそんな場合ではない、とにかくヤトだ。
カノンはヤトの姿を確認すると、ためらわずに魔力の炎の中に飛び込んだ。
その瞬間、集まっていた生徒の誰もが目を覆った。
ヤトの魔力の脅威についても皆は知っていた。
高等部での一番最初の戦闘訓練。
その時はまだ、彼はただすごい人だという認識でしかなかったため、怖がられることはなかった。
だが、訓練中事故は起きた。
黒い炎を珍しく思った生徒の一人が、それに触れたのである。
そのことに気付いたヤトは慌てて魔力の放出をやめる。
しかし触れた一瞬、生徒の手は全治3ヶ月の怪我を負った。
一瞬触っただけでそれだ、その中に飛び込むなど自殺行為だ。
生徒たちはみな、恐る恐る目を開いた。
だがどうだろう、少女はその真っ黒な魔力の中で平然と立っている。
「ヤト、何してるの起きて」
「んん? どうしたカノン」
ヤトはまだ自分の魔力が外に出ているのに気付いてないらしい。
「しっかりして、魔力が漏れてる!」
「……なっ!」
「落ち着いて、深呼吸だよ」
肺いっぱいに息を吸い込むと、次第におさまっていく。
どうやら平静を取り戻したようだ。
「どうして……いや、ごめんありがとう」
「よかった、もーしっかりしてよ」
しかし安心したのもつかの間、ヤトはカノンの後ろを見て青ざめている。
何事かと自分も扉の方に振り返ると、そこには化物に怯えているという風な視線がいくつもあった。
ただひたすらに、怯え、拒絶し、軽蔑するそんな視線が体中にまとわりついてくる。
カノンは気分が悪くなる、確かに弱い人間にとってヤトの魔力は驚異だろう。
しかし、これは既に人間に対して向けられる感情ではない。
あわててヤトをここから連れ出そうと、彼のいた方向に向き直る。
だがそこにはもう彼の姿なかった。
それからしばらくすると先生が帰りのホームルームをするため教室へやってきた。
ヤトがいなくなったあとは皆教室に戻り、先程のことなど忘れたかのように振舞っている。
きっと彼らに悪気はないのだろう。
もし目の前にゴキブリが現れたとしよう、私たちはそれを見て当然のように拒絶し気持ち悪がるだろう。
それと同じ感覚でヤトのことを本能的に怖がったのだ、そんな彼らを責めることはできない。
過ぎた力が身近にあれば、それだけで恐怖の対象になるのも分かる。
しかし少しくらい心配することくらいはできないものか。
ホームルームが終わり一人で考え込んでいると、数人の生徒が近寄ってくる。
「ねぇ満月さん、ちょっといい」
カノンの返事を待つことなく、他の生徒が捲し立てるように質問をしてくる。
「どうして、あれに触っても大丈夫だったんだ?」
「体、大丈夫なの?」
「今まで聞けなかったけど、どうして火守と仲いいの?」
「つーか俺と付き合わない?」
一度に話しかけられ混乱する。
そんな雰囲気に耐えられなくなり「あの魔力は本当に心の底からヤトのことを信じ、愛する者には一切悪影響はないの」とだけ言い、ヤトを探すからと逃げるようにその場を去った。
後ろからは、何その臭いセリフなどと笑い声が聞こえる。




