第一章・鬼神と鬼の子
大空に黒色の雲が輪を描くようにして広がり、雨粒が勢いを増して大地に降り注ぐ中、少年はその雨を額に受け、瞼をそっと開いた。
「……雨?」
赤色の瞳と無造作に伸びた血色の髪を持つ少年は薄汚れたボロ布をその身にしてわずかばかり体を起こした。周囲には木製の壁が広がり、天井の無い頭上からは激しい雨が容赦なく流れ落ちてきている。少年は欠伸を漏らしつつも大きく伸びをしてその空に視線を再び移した。
「水浴びに丁度いい。ここ数週間まともに体を洗っていなかったしな、しばらく雨に打たれるのも悪くないか」
すべての始まりは帝王を殺し、死に絶えた時から始まった。鬼神とまで言われ武の最高に君臨した男の末路にしてはあっけない最後であったが、死を受け入れ、千の地獄を男は覚悟していた。しかし男の魂は冥府の門の寸前で気まぐれな神によって呼び止められてしまった。そこは冷気が漂い、生ある者を寄せ付けぬ空気を纏う異空の地、決して生者には行き着くことの出来ない領域。そこで神は言った。
「人の子にして鬼神と呼ばれし我が同胞よ、幾万幾千の命を奪ったその鬼才に敬意を称してお前に二つの選択肢をやろう」
声の出ぬ体で男はその存在に訴えかけた。
---選択肢?
「そうだ、お前にとって悪くない話だ」
---どういう事だ?
どこからとも無く聞こえるその声、存在の話の糸を探るように男はそう言った。
「まず始めにお前は間違いなく地獄へ送られる。このまま冥府の門を通れば、の話だがな」
当然、男は理解していた。多くの命を奪い、根絶やしにしてきた血塗られた存在の自身が天界でよい待遇をされることなどありえない。死後の道はただ、永遠に続く地獄を味わうだろうと言う事を。
---当然だ。俺は多くの命をこの手で奪ってきた。それらの魂が俺に地獄へ行けと言うのなら、俺はその罪を背負い、地獄へ落ちる。そもそも俺はその覚悟でここへ来た。
(始めからそうだ。鬼神に落ちた俺はただ落ちるだけの存在なのだから……)
「ほぉーそう言うが、お前は地獄がどんな酷い場所か知ってるのか? ありゃー鬼神の俺でさぇ冷や汗が止まらなくなるほど恐ろしい場所だぞ? まぁーお前なら地獄の一つや二つ何とかなるかも知れないが、お前の家族はどうなるだろうなぁ~」
---家族だと? それはどういう意味だ!
体の無き、赤色の魂は空間に浮かびながらそう大声を上げた。
「家族だよ。お前の家族は妻、子供共に、地獄へ送られる予定だ」
---ふざけるな! 妻や子供になんの罪があると言うんだ!
「あるさぁーお前という鬼神を生み出した現況だからな。あの二人がいなければお前がここまで復讐に飲まれることもなかっただろう。それが彼らの罪だ」
---馬鹿な……すべて俺に責があるんだぞ! 怒りに駆られたのも俺自身で実行したのも俺だ。なのに何故妻や子が……
「悲しいか? 苦しいか? 怖いか? ならば、俺の提案に乗れ。さすればお前の家族を救ってやる」
---てっ、提案? お前の言っているのはすでに提案ではなく脅迫だ! だ……だが、俺はその話に乗るしかない。そうするしか……
「でも、実際選ぶのは君だ。君の選択で彼らの今後の運命は決まるがな。さぁーどうする?」
---どんな事だってやってやるよ。さぁー俺に何をさせたいんだ!
薄霧の舞う空間で、姿無き声に赤色の魂をした存在はそう言い放った。すると、頭上から今まで響いていた声の主が小さな道化の姿で魂の前に突如として現れ、軽く会釈をすると甲高い声を上げた。
「では、選択肢①、このまま冥府の門を通り、地獄へ落ちるというのは却下ということでいいな?」
---あぁ、当然だ
「ふむ---それなら選択肢②、邪心狩りの使者として他の地へ行ってもらう事になるな」
---邪心狩り?
「そうだ、言葉の通り汚れた魂を回収するのさ。もちろん人間の魂に限るぞ? そうでなくては面白くない」
---魂を回収する? どうやってだ
道化は仮面の奥からクスクスと笑い、呟いた。
「もちろん殺すのさ、汚れた人間を殺し、殺し、殺しまくる。それがお前の仕事。そして回収した魂はお前の体に備え付ける予定の魔剣によって保管される。時がくれば魔剣が意識を持ち、語りかけてくることもありえよう。まぁーそれに到達するまで万の人間を切るか、邪神を斬るくらいしないといけないがな」
---お前の言いたい事は大体理解した。で、体の無い俺にどうやってその魂を回収する責務を果たせというのだ? 幽霊になって化け殺せとでも言うのか?
道化は幾度か人形のような指で左右に動かして呟く。
「もちろん君には体を与えるよ。それも赤子から始まる一からの生命体で、つまり生まれ変わるのさ、君は新たな親と新たな名を受け、他の世界で前世の記憶を持ったまま生き、そして俺との約束を果たす。」
---転生ってやつか
「まぁー人々の中ではそういわれているな。で、どうする?心の準備がいるなら数分待ってやってもいいぞ?」
---必要ない。
「そうか---なら最後に一つだけ言っとくぞ? 汚れた魂以外を魔剣に吸わせると魔剣が狂乱するから気をつけろ。魔剣には他にもいろいろと機能があるが、それはまぁーつかっていけばわかることだから説明は省略する」
そういって道化は手を魂に翳し青色の光を放ちはじめる。
---待て、魔剣の機能がどうたらより、この責務の終わりの明確な個数を教えろ。いくつの魂を回収すればいい
光は徐々に強さを増し、次の瞬間魂が完全に光に飲み込まれた。
その最中、道化の声がこだまのようにして反響した。
「その時がくればわかるさ。というわけで、さらばだ我が同胞にして魂を狩る者よ。そして英雄に幸あれ---」