序章・狂い行く鬼神
帝国暦0027年、ヴァルニア帝国に一人の武人が流れ着いた。後に戦乱の地を血色に染めつくすその男の名は鬼神王、グレイ・グロズニア。僅か三年で隣国に存在する国々を攻め落とし、類稀な武の才を戦場で見せ付けた彼は34歳という若さで帝国、皇帝の側近までになりあがった。その数年後、鬼神王と呼ばれた男は数万の部下を引き連れて、皇帝に反旗を翻すのであった。皇帝軍15万に対し、鬼神王軍総勢3万は当初の予想をはるかに上回る形で皇帝軍を震え上がらせた。僅か三万に満たない軍が、次々と城を落とし、王都まで流れ込んだのだ。歴史で言う、鬼神火の日である。火の如く燃え広がったその勢いに人々がそうなずけたのだ。戦いはすでに皇帝軍の敗北で幕を下ろすほかないであろうと思われたその時、皇帝は七つからなる元帥たちを城下に放った。鬼神軍の放った火に街は焼かれ、黒煙が空に溢れる。そんな空を男は見ていた。
逃げ行く民には目もくれず巨大な赤色の刀剣を手にして---ただ呆然と血色の髪を爆風に揺らせながら滅び行く国の末路を眺めていた。
「ようやくこの国を滅ぼすことが出来る。我が妻を手にかけ、我が里を滅ぼした愚かなる王よ。我は今、長年の決意を恨みを持ってお前をこの世から、お前の作り上げた国をこの手で亡き者にしてやるぞ」
腕に張り巡らされた筋肉が、男の声と同時に強くしまり、握られた剣に力が乗せられる。
男は気づいていた。複数の殺意と、闘気が周囲に漂い男に向けられている事に、同時に全身に殺の気を纏わせ、周囲に怒声を上げた。
「向かってくる者には容赦はせぬぞ! 例えそれが元帥である貴様らであってもな!」
互いの気が磁石のように合間見えぬようにして反発し、五感を刺激してくる。
それは通常の兵では感じられぬ修羅の気。それを纏う人間は大将とその上にいる元帥くらいだ。
戦いの戦況を変えるほどの実力を持つ彼らが出てきたという事は王にも余裕がなくなってきていると言うことだ。それはつまり勝利まで後僅かだと言う事だ。男は改めてその身に重々しい空気を纏う。殺気と闘気の入り混じるその姿はすでに人の気配を凌駕し、異質な空気を纏う。
「昨日の友は今日の敵ってかぁ~? 笑えねぇー話だよこりゃー」
暗闇の中から一人、また一人と元帥たちが男の気に誘われるようにして姿を現していく。
手に光る双剣を握る若顔の男がそう言うと、続くようにして周囲から声が溢れる。
「やはり貴殿は裏切るか、復讐気にまみれる鬼神よ」
全身包帯に包まれた顔を見せぬ奇怪な者がそう声を上げると次々と声が漏れる。
「番犬が飼い主に噛みつくなど身の程知らずにも程がある。お前はここで我らが剣に屈服し化の地へ帰れ鬼神の気を纏う犬が!」
赤色の甲冑をした太刀を持つ女がそう漏らす。
続くようにして老人の声が漏れる。
「主とは一度手合わせしたかったんじゃあい。まぁーこんな形になって少しばかり残念ではあるがそれも運命、ワシの殺人拳にかかってあの世で養生するがいい」
背丈にして190をも超える老人がそう漏らすと、殺意を最も放つ男が老人の背後から声を上げる。
「カスがぁー! この国で最強はこの俺様以外ありえねぇーだからお前が最強って言われてるのには昔から鼻持ちならなかったんだ。今日ここで俺様がこの国で真に最強の男が誰なのか知らしめてやるぜ!」
「そうやねぇ~ワイもアルちんの意見に賛成、ま、最強はわいやけどね」
扇を片手にして佇む着物姿の男がそう漏らすと、最後に赤い服を着た初老の男が声を上げる。
「鬼神とまで呼ばれた戦場の戦神が、愚かにも皇帝陛下に仇をなすとは愚の骨頂、それは万死に値する。
みなのもの、ここでこの男、しとめようぞ!」
そう最後の男が漏らすと、周囲を取り囲まれ距離をつめられる。
通常の武人ならば、元帥七人に囲まれた瞬間、絶望に沈むところだが、この男は違った。
囲まれてもなおも笑みを零し、殺意を周囲に放出させるのだ。その背にはその体には一切の隙を許さない。
「一気にしとめるぞ! こいつは怪物、しかしされど人間だ! 首を切れば死ぬし心を刺せば息絶える。
我らが元帥の誇りにかけて、一撃で始末するぞ!」
「流石、この国の将、我の気を受けてもなお向かってくるか? だが、我はお前たち元帥7人程度ではとめられぬわ!」
「ぬかせ!」
刹那、それは一瞬の出来事であった。甲高い鉄の擦れ合う音が空間に響いた瞬間、頭上に雨が降り注いだ。しかしそれはただの雨ではない。赤く生ぬるい、それは血。誰とも知れぬ者たちのまだ暖かな血の雨であった。同時に男の周囲に佇んでいた者たちは次々と地面に倒れふせる。何人かは死に、何人かは過労味手生きているような状態。腕を失い、首を失い、体を失った彼らを男はただ剣を握りながら呟いた。
「我は鬼神、怒りに焼かれ、恨みに焼かれた人を捨てた鬼神なり! しかしあっぱれ、我の片腕をもぎ取った事、そして誇るがいい、我の命を削り、時間を削った事を、そして生き残った者はその目に焼き付けるがいい、国の終わりを迎えたこの国の末路を!」
その日、鬼神と呼ばれし人の子は片腕をなくしつつも王の居座る王宮へと出向き、数千の兵をなぎ倒しつつも皇帝の前にたどり着いた。そこで男は言う。
「皇帝、これが貴様の生んだ怒りの末路だ。お前は臆病すぎた。ここでお前の時を止め、地獄へと導いてくれようぞ!」
王座に座り、青白い顔で男を見据える皇帝、手には小さな剣が握られ震えながらこう漏らした。
「余のミスはお前のような化物を軍備につかせたことだ、何よりもお前があの一族の生き残りだと言う事にいままで気づかなかったのが最大の失態だ」
王座から立ち上がり、皇帝は男の前に歩み寄る。
皇帝は諦めたのだろう。生きることを、そして逃げる事に絶望したのだろう。
「潮時だ。俺の伏襲撃の幕を下ろす」
視界が徐々に霞みはじめていた。もうだめだ、血を流しすぎた。恐らく次の一撃ですべてが終わる。
「さらばだ、愚かなる帝国の王よ」
覇王の道を歩む王の最後とは思えぬほどにそれはあっけなく終わった。
ただ剣を一振りするだけで、王は動かなくなった。同時に付き物が取れたように鬼神の表情が緩み、全身にこびり付いた血がポタポタと地面に零れ落ちる。それと同時に意識が急激に薄れていく。
「終わった……すべてが終わったぞ。我が妻にして最愛なる者よ。我はそちらにはいけぬかも知れぬ。
いささか命を奪いすぎた。許してくれ……」
それは男の最後の言葉になった。男は徐々に体が硬直していき、最後には眠るようにして息を引き取ったのだ。